2010/08/14 記
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天候がすっきりしない。我が家は古い日本家屋なので、エアコンが効かない。母の居間と2階の父の居室の2ヶ所だけが別世界である。昨夜は湿気が多いが縁側の戸を開けて網戸にした。しかしこれにすると虫が入ってくるし、私の夜間作業のキータッチ音や物をうっかり落とす音などが聞こえるらしく、深夜窓の開閉の形の抗議がくる。
夜間傾聴は大半が昼夜逆転した引きこもり青年とのたわいも無いメール交換である。しかしこの細い絆が時に大きな意味を持つときもあって、たまに現在の青年の紹介から、心の瀬戸際に立たされた青年がやってくる。その時は専用携帯を持ち出して公園や道路沿いに深夜出ては話し込む。このとき一番肝を冷やすのは電池の寿命だ。話が途切れたとき続けて連絡してくる青年は半数に満たない。私は自分になぜか関心をもってくれる変な人間のひとりに過ぎないからだ。
居間から発信すれば、隣人のトラブルとなり、出かければ電池の寿命で肝を冷やす。いのちの電話と違い、嵐のときや静かな臨死の闇の非常時だけではなく、明け方孤独に苛まれるパーソナリティ障がいや鬱の方との不器用なキャッチボールのときは、大声にならずに済むから、家からつなげている。
なぎのときは、学習相談を受けたり、雑談をしているが、所詮爺ぃである。先方が一生懸命話題を合わせてくれているのがわかる。しかし、私は忙しいからとは決して言わない。事情があれば大丈夫な時間を必ず明示して約束を守る。それがあるから彼らはなんとなく意味を見出して、私との不器用なつながりが続く。
しかし昨夜は寝苦しく、さすがに隣人が切れてワンギリ電話がかかってきた。ナンバーディスプレーがあるから、誰だかわかる。
昨夜は県立保健福祉大図書館の資料調べの資料をインデックスを作っていた。ここの図書館は比較的ラフで、多くのAV資料も貸し出してくれる。JHC板橋会のクラブハウス運動関連のAV資料は市販のものが、図書館にあった。そんな調査作業の中で□□君が下手くそ(失礼)な絵で、彼のもと居た高校担任の似顔絵が送ってきてうっかり笑ってしまった。隣人は切れ掛かっていた。そこで私が笑ったのが聞こえて、誤解したのか激しい勢いで窓が閉まった。困ったなと思いつつ、たとえ夜間傾聴が何のと説明しても通じないだろうなと憂鬱になった。
父がいるときは介護の世話を焼いていたので、そのことをいえばなんとなく剣を収めてくれた。父のいない今、職種不明な昼夜逆転爺ぃがうるさいとなれば、容赦はない。夜間傾聴は先方が隣の家に入居以前から続いていたことであるが、ろくでもない(確かだが)ことで、夜中じゅうカチカチと小さな音が聞こえるのは隣人には許せないとなる。ここしばらくは近所の新築工事が朝早くからあったが、その件で近所の軋轢があって、隣人が互いに総すくみ状態になっていたが、とにかく蒸し暑い現状で我慢しきれなくなったらしい。
朝5時に先方の窓が開き掃除機が掛けられ始め、6時前には曇り空というのに布団を叩き始めた。残念なことに、私はその時間から寝るので、音で目が覚めたわけではなかった。先方は定年退職した男性だった。こじらせないため、今夜は網戸にしておくのをやめることにした。
昨夜、夕食時にTVを観た。戦争番組だった。日本は平和になったが物質主義がはびこり、ひとが心を忘れたという論調が流されるたびに、なんと粗雑な発想かと思ってしまう。銃弾が飛び交わなければ平和というのだろうか。資本の営利活動というゲームパーク、またはブロイラーの養鶏場に閉じ込められていることを見ずに市民の物質主義という。どこを見ているのかと思う。この大雑把な「平和」ということばで精神障がいを持つ人たちは猿ぐつわをかまされているように感じるだろう。ひとの生死を左右する「立場と言葉」の暴力、制度の暴力はとても「平和」だったなどとは言えないだろう。宣教師の託宣のような「平和と人の心の回復」という継ぎ足し論に私は組しない。そんなことを明け方、メモしていた。まずはよく見ろそこからしか批判的精神は育たないのだと、結んだ。
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母が二階に誰か居ると、またいいだした。それはこの窓開閉事件の勘違い。夢だよと寝かしつけた。
今日は午後から寿町の夏祭りに参加する。
夜間傾聴:□□君(仮名)
******君(仮名・母親)
(校正2回目済み)
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天候がすっきりしない。我が家は古い日本家屋なので、エアコンが効かない。母の居間と2階の父の居室の2ヶ所だけが別世界である。昨夜は湿気が多いが縁側の戸を開けて網戸にした。しかしこれにすると虫が入ってくるし、私の夜間作業のキータッチ音や物をうっかり落とす音などが聞こえるらしく、深夜窓の開閉の形の抗議がくる。
夜間傾聴は大半が昼夜逆転した引きこもり青年とのたわいも無いメール交換である。しかしこの細い絆が時に大きな意味を持つときもあって、たまに現在の青年の紹介から、心の瀬戸際に立たされた青年がやってくる。その時は専用携帯を持ち出して公園や道路沿いに深夜出ては話し込む。このとき一番肝を冷やすのは電池の寿命だ。話が途切れたとき続けて連絡してくる青年は半数に満たない。私は自分になぜか関心をもってくれる変な人間のひとりに過ぎないからだ。
居間から発信すれば、隣人のトラブルとなり、出かければ電池の寿命で肝を冷やす。いのちの電話と違い、嵐のときや静かな臨死の闇の非常時だけではなく、明け方孤独に苛まれるパーソナリティ障がいや鬱の方との不器用なキャッチボールのときは、大声にならずに済むから、家からつなげている。
なぎのときは、学習相談を受けたり、雑談をしているが、所詮爺ぃである。先方が一生懸命話題を合わせてくれているのがわかる。しかし、私は忙しいからとは決して言わない。事情があれば大丈夫な時間を必ず明示して約束を守る。それがあるから彼らはなんとなく意味を見出して、私との不器用なつながりが続く。
しかし昨夜は寝苦しく、さすがに隣人が切れてワンギリ電話がかかってきた。ナンバーディスプレーがあるから、誰だかわかる。
昨夜は県立保健福祉大図書館の資料調べの資料をインデックスを作っていた。ここの図書館は比較的ラフで、多くのAV資料も貸し出してくれる。JHC板橋会のクラブハウス運動関連のAV資料は市販のものが、図書館にあった。そんな調査作業の中で□□君が下手くそ(失礼)な絵で、彼のもと居た高校担任の似顔絵が送ってきてうっかり笑ってしまった。隣人は切れ掛かっていた。そこで私が笑ったのが聞こえて、誤解したのか激しい勢いで窓が閉まった。困ったなと思いつつ、たとえ夜間傾聴が何のと説明しても通じないだろうなと憂鬱になった。
父がいるときは介護の世話を焼いていたので、そのことをいえばなんとなく剣を収めてくれた。父のいない今、職種不明な昼夜逆転爺ぃがうるさいとなれば、容赦はない。夜間傾聴は先方が隣の家に入居以前から続いていたことであるが、ろくでもない(確かだが)ことで、夜中じゅうカチカチと小さな音が聞こえるのは隣人には許せないとなる。ここしばらくは近所の新築工事が朝早くからあったが、その件で近所の軋轢があって、隣人が互いに総すくみ状態になっていたが、とにかく蒸し暑い現状で我慢しきれなくなったらしい。
朝5時に先方の窓が開き掃除機が掛けられ始め、6時前には曇り空というのに布団を叩き始めた。残念なことに、私はその時間から寝るので、音で目が覚めたわけではなかった。先方は定年退職した男性だった。こじらせないため、今夜は網戸にしておくのをやめることにした。
昨夜、夕食時にTVを観た。戦争番組だった。日本は平和になったが物質主義がはびこり、ひとが心を忘れたという論調が流されるたびに、なんと粗雑な発想かと思ってしまう。銃弾が飛び交わなければ平和というのだろうか。資本の営利活動というゲームパーク、またはブロイラーの養鶏場に閉じ込められていることを見ずに市民の物質主義という。どこを見ているのかと思う。この大雑把な「平和」ということばで精神障がいを持つ人たちは猿ぐつわをかまされているように感じるだろう。ひとの生死を左右する「立場と言葉」の暴力、制度の暴力はとても「平和」だったなどとは言えないだろう。宣教師の託宣のような「平和と人の心の回復」という継ぎ足し論に私は組しない。そんなことを明け方、メモしていた。まずはよく見ろそこからしか批判的精神は育たないのだと、結んだ。
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母が二階に誰か居ると、またいいだした。それはこの窓開閉事件の勘違い。夢だよと寝かしつけた。
今日は午後から寿町の夏祭りに参加する。
夜間傾聴:□□君(仮名)
******君(仮名・母親)
(校正2回目済み)