湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/14 寝苦しい熱帯夜の暑苦しい話/平和と忘れられた心という二元論の粗っぽさ

2010-08-17 16:36:44 | 引きこもり
2010/08/14 記
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天候がすっきりしない。我が家は古い日本家屋なので、エアコンが効かない。母の居間と2階の父の居室の2ヶ所だけが別世界である。昨夜は湿気が多いが縁側の戸を開けて網戸にした。しかしこれにすると虫が入ってくるし、私の夜間作業のキータッチ音や物をうっかり落とす音などが聞こえるらしく、深夜窓の開閉の形の抗議がくる。

夜間傾聴は大半が昼夜逆転した引きこもり青年とのたわいも無いメール交換である。しかしこの細い絆が時に大きな意味を持つときもあって、たまに現在の青年の紹介から、心の瀬戸際に立たされた青年がやってくる。その時は専用携帯を持ち出して公園や道路沿いに深夜出ては話し込む。このとき一番肝を冷やすのは電池の寿命だ。話が途切れたとき続けて連絡してくる青年は半数に満たない。私は自分になぜか関心をもってくれる変な人間のひとりに過ぎないからだ。

居間から発信すれば、隣人のトラブルとなり、出かければ電池の寿命で肝を冷やす。いのちの電話と違い、嵐のときや静かな臨死の闇の非常時だけではなく、明け方孤独に苛まれるパーソナリティ障がいや鬱の方との不器用なキャッチボールのときは、大声にならずに済むから、家からつなげている。

なぎのときは、学習相談を受けたり、雑談をしているが、所詮爺ぃである。先方が一生懸命話題を合わせてくれているのがわかる。しかし、私は忙しいからとは決して言わない。事情があれば大丈夫な時間を必ず明示して約束を守る。それがあるから彼らはなんとなく意味を見出して、私との不器用なつながりが続く。

しかし昨夜は寝苦しく、さすがに隣人が切れてワンギリ電話がかかってきた。ナンバーディスプレーがあるから、誰だかわかる。

昨夜は県立保健福祉大図書館の資料調べの資料をインデックスを作っていた。ここの図書館は比較的ラフで、多くのAV資料も貸し出してくれる。JHC板橋会のクラブハウス運動関連のAV資料は市販のものが、図書館にあった。そんな調査作業の中で□□君が下手くそ(失礼)な絵で、彼のもと居た高校担任の似顔絵が送ってきてうっかり笑ってしまった。隣人は切れ掛かっていた。そこで私が笑ったのが聞こえて、誤解したのか激しい勢いで窓が閉まった。困ったなと思いつつ、たとえ夜間傾聴が何のと説明しても通じないだろうなと憂鬱になった。

父がいるときは介護の世話を焼いていたので、そのことをいえばなんとなく剣を収めてくれた。父のいない今、職種不明な昼夜逆転爺ぃがうるさいとなれば、容赦はない。夜間傾聴は先方が隣の家に入居以前から続いていたことであるが、ろくでもない(確かだが)ことで、夜中じゅうカチカチと小さな音が聞こえるのは隣人には許せないとなる。ここしばらくは近所の新築工事が朝早くからあったが、その件で近所の軋轢があって、隣人が互いに総すくみ状態になっていたが、とにかく蒸し暑い現状で我慢しきれなくなったらしい。

朝5時に先方の窓が開き掃除機が掛けられ始め、6時前には曇り空というのに布団を叩き始めた。残念なことに、私はその時間から寝るので、音で目が覚めたわけではなかった。先方は定年退職した男性だった。こじらせないため、今夜は網戸にしておくのをやめることにした。

昨夜、夕食時にTVを観た。戦争番組だった。日本は平和になったが物質主義がはびこり、ひとが心を忘れたという論調が流されるたびに、なんと粗雑な発想かと思ってしまう。銃弾が飛び交わなければ平和というのだろうか。資本の営利活動というゲームパーク、またはブロイラーの養鶏場に閉じ込められていることを見ずに市民の物質主義という。どこを見ているのかと思う。この大雑把な「平和」ということばで精神障がいを持つ人たちは猿ぐつわをかまされているように感じるだろう。ひとの生死を左右する「立場と言葉」の暴力、制度の暴力はとても「平和」だったなどとは言えないだろう。宣教師の託宣のような「平和と人の心の回復」という継ぎ足し論に私は組しない。そんなことを明け方、メモしていた。まずはよく見ろそこからしか批判的精神は育たないのだと、結んだ。

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母が二階に誰か居ると、またいいだした。それはこの窓開閉事件の勘違い。夢だよと寝かしつけた。

今日は午後から寿町の夏祭りに参加する。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     ******君(仮名・母親)


(校正2回目済み)
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8/13 **さんの草取り/墓参帰りのインドパキスタン料理の店は在日の出会いの場所らしく

2010-08-17 14:47:26 | 引きこもり
2010/08/13 記
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昨日はゲリラ豪雨の通過する中、我が家の庭の芝刈りを元ビッグイシュー販売員の**さんが、やってくれた。高齢者事業団の++さんが従来担当してくれていた仕事だった。猛暑で体調を崩し、事業団の他の方も、お盆の時期だったこともあって、仕事は9月に入ってからという状態だった。私は怪我の後遺症でしゃがむことができないので、**さんに応援を求めた。

私はこの日、平常より一日早いが母方の墓参に行くことになっていた。母は春先に続いて留守番。春先は父のショートステイの日が取れず断念、今回は体調が悪化しているからだった。結果的に**さんと母が初対面ということになった。

私の昼夜逆転生活に配慮して、現地集合を11時として墓参後昼食を取ることになっていた。我が家は親戚が少ない。父方は翌日行うことになっていたが、猛暑で父の兄弟夫婦が入院ひとりを含み全滅、墓地参拝を子ども夫婦らに任せていた。互いに無理を避けようという事で、母方の墓参は*名だった。

9時に我が家の前に車で迎えに来てくれたのだが、そんな関係から**さんの芝刈りの初めに会うことが出来た。新品だが安物の鎌と移殖ゴテと軍手、ゴミ袋を**さんに渡しながら、作業と賃金の条件を確認、仕事をお願いして仕事は8時に始まった。我が家にはバラや柑橘類の庭木がある。小さな藪もある。だから虫が出て困っていた。だから**さんには事前に虫の件を伝えてあった。1分も庭に立っているだけで、やぶ蚊からブユまで総出でひとを刺し、じっとしていられなくなるほどだった。**さんは装備をしてこなかった。刺され慣れているからというのだが、庭師がうめくほどの状態だったので、気になってならなかった。

私が出発し墓地に到着するころ、雨が降り出した。線香は火が付かない、お盆前日なので花束が選べない、隣の墓では僧侶が雨の中読経をし、親戚縁者が我が家のスペースまではみだしていた。先方に頼んで、墓の前を空けてもらったが、私の悪行の祟り、雨男と、まあ車に乗せてもらったのだから黙っていたが、なるほど正しいとおもうところもあって、柏手を。お前墓に柏手はないだろう、神社ではあるまいしと注意が飛ぶ。新興宗教唯物無神論裏千路地千派だからいいのだと応答したのに既に相手にされていなかった。

**さんは雨の中、日送りせずに芝刈りを頑張っていた。予定の11時までには作業が終わらずに、昼食を挟んで14時過ぎまでかかっていた。慣れない仕事だからやむを得ないが、3時間の賃金ではあんまりだと母が有償を決めた。昼食も母がありあわせのラーメンを出して中断させたものの、そのままでは昼食が抜きになるというほどの全力投球だったと母が驚いていた。彼はびしょぬれになったまま帰っていった。

私は糖尿病である。運転手は体重が90kgに近づく立派な肥満。もうひとりは墓参の掛け持ちをして帰ってしまった猛者夫婦である。結局昼食の折り合いがつかず、インド・フィリピン料理というわけのわからない折衷料理を食べてきた。まずいというより、料理の値段が相場の3分の1という薄気味の悪い安さだった。素人切りのキャベツのぶつ切りは容器を縦横無尽にはみ出しており、ナンは1.5倍も大きかった。ラッシーは明らかに古く、結局私だけ帰宅後下痢を起こしたが、90kgは平気だった。

男二人、食事をすると殺伐としてくる。トイレの孤食がしたくなったと相手に行っておいた。

母への母は隣の墓は新盆なのか坊主が経を読んでいたと話した。「雨なのでこの辺で」とさっさと切り上げたドライな話を伝えて、お墓ビジネスの話やら、いかがわしいインドパキスタン料理の話をした。店の周辺の様子から、日本人客を想定した店ではなく、在日インドパキスタン人のたまり場だったのだと説明した。厚木はインド系の在日外国人が多い。料理より合流の場に価値が有る店だったのだろうと思った。藤沢にも香辛料の店がある。同質のものを感じたからだった。

90kgと同行するとろくな事が無い。以前はこだわりの天ぷら屋を紹介して、彼はお好み物を3人前平らげた。支払いは割り勘だったが、出した金額が全く違っていた。お品書きに値段が時価と書いてある店で、3人前食うなと言いたかったが、彼はぼったくりの店だと息巻いた。結局私が払ったが、おかげで当時TOTOドロノワ倶楽部の不登校の子向け陶芸教室のメンバーと、益子焼の現地市を観に行くのを諦めるはめになった。それからは、絶対に90kgとは、高いところには入らないと決めていた。

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私の初期のブログに登場していた入谷さん(仮名)は、国籍の谷間で、偏狭な日本人感覚の差別を受けていた。現在は親御さんとシアトルに移住し、奔放さを取り戻したようだ。米国で華僑と日本人のアジア系米国人夫妻の娘として育ち、3ヶ国語入り混じる環境から故郷の座間に戻ってきた。発音の違いをとりはやされて不登校になり、しばらくの孤立した医療生活を過ごして、通信制サポートをうけながら過ごしていたが、父親の仕事の関係で、再びシアトルに戻って行った。入谷さんの所属感のない生活感覚は、私も共感するところがあった。私は父の職業柄、国内を転々としていた。わたしの生まれ育った祖父母の家、東京下町商店街の思い出はあるが、帰属感は全く無い。私は私という感覚は独自のものかもしれない。だから、インド・パキスタン料理の店のように、同胞と交わる感覚も、どこかわかったようでわからない。

野球や国際試合を見ていて、何の不思議も無くチームからお互いがつながってしまう県人会風の繋がりが頭痛がするのも、なんでそうつるみたいのかさっぱりわからないからだ。いじめをする者の横のつながり、見ず知らずがひょいと協力できるつながり、それがなんでつながりでなくはならないのかがわからない。そんなつながりがなくても、自分ならして欲しいと思うことをするという行動原理でいいではないか。墓参しても墓が移ればそこが墓、そこに土地柄が付くのが全然わからない。女性の場合、苗字が変わり生活拠点が変わる方が多いと思うが、そこを貫いているのが「私は私」だろう。

野宿者が故郷・市民社会から切り離された者という発想が有るが、その所属こそ怪しいと私は思う。一個の生身の人間が彷徨っている。そういう感覚が私には有る。辺境・捨てられ感覚よりも深いところで、生と死の所属をめぐる攻防が拮抗している。そのひりひりする生の感覚を忘れてはならないのだと思う。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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8/12 病院医の盆休み/寿町夏祭りに野宿者招待提案は通るのか?

2010-08-17 09:49:08 | 引きこもり
2010/08/12 記
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昨日は母の受診日。北里東病院の神経内科まで、母に連れ添った。母は小田急線を使った藤沢経由の道を嫌がる。座れないし、相模大野から更にバスに乗るのが負担だというのだ。そんな関係で相模線を使う。茅ヶ崎は始発駅なので座れるし、二人連れなら、原当麻からタクシーを奮発しても高い買い物ではないというのだ。実際計算してみると、ひとり換算して片道380円高くなる。連れ添う側にとっても楽だが、小田急の車内で嘔吐騒ぎを考えれば1,500円/日は善しとすべきところだろう。

こんなせちがらい計算をしているにも関わらず、午後整形外科受診予約は、先方の都合で18日に勝手に変更されていた。経費節約のために2段重ねを依頼し、神経内科と整形外科双方の当日受診の予約を取っておいたものは、事務員の指令の形で一方的に変更させられ、通告は変更できないという。整形外科は初診を済ませ、検査の結果を聞くことになっていたが、神経系統の専門医に引き渡すための中継ぎの受診だった。病院では電子カルテが共有されているので、母の頚部・腰椎部のMRI画像は、神経内科でも既に使っていたから、この日の整形外科受診は大きな意味がなかった。直接専門医受診というわけにはいかないのかと、初診時、その医師に質問したが、一度診断をする必要が有ると断られていた。そこで決まった予約が、あっさり変更通告されていた。地元医でさえ予約変更は慎重だ。日程が「お盆休みかな」と神経内科で言われれば、腹も立つ。

それはそうと、神経内科では、平衡検査の結果を11日に聞くことになっていた。北里東病院では眼科外来がない。診断をするために眼科医がいるのだが、ここでも7月26日に受けた検査の結果が「お盆なので」出ていなかった。2週間以上前の検査結果である。結局MRI画像を使った2回目の説明があって、ここが怪しいので整形外科をという話の繰り返しを聞いて帰ってきた。次回は9月初め。検査で引き延ばされて3ヶ月を越そうとしている。まだ治療方針が立たない。どういう感覚をしているのかと腹立たしくもなる。自然に治ってしまうのを待っているみたいだと母が言い出している。血流をよくする薬を出すとのことで診察が終わろうとしたので、母の四肢のアザが出やすくなっていると母の腕を見せて、バファリン処方は続けていていいのかを質問。中止になった。北里東病院受診前に神奈川歯科大附横浜センターで、同一の医師にロキソニン処方の副作用を質問したとき、処方をやめた経過があり、今回もバファリンもやめておきましょうとなった。軽いなあと思う。改善薬なのだなとはっきりわかる。

母が気分替えの食事をしたいと言い出した。足元が酔っ払っているように安定していない。食べるといいつつ、いざ食事が出れば箸をつけただけで終わるなと予感がしたので、わざと原当麻経由で帰ろうと私は提案した。明日、私は墓参であり、帰りに父の入所する老健に立ち寄る。そのとき、菓子を差し入れるとの話があったので、茅ヶ崎駅ビルで買い物をしようと母を誘った。

母はそんなものいらないよとあっさり拒否。言い出したのは母である。まだ一日も経っていない。全く意外なという表情をされてしまった。医師といい母といい夏ボケではあるまいしと思った瞬間、玄関自動ドアにぶつかってしまった。まったく…厄日である。

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茅ヶ崎駅ビルの上階レストラン街は不況丸出しの閑古鳥が鳴いている。カツ重が食べたいという母の希望を、絶対に食べられないからだめだと遮った。常習犯なのである。全く手をつけず椀物をすすって終わりにするだけではなく、勿体無いから食べろとお鉢が回ってくる。私は糖尿病、とんでもないと母を叱って店を出ることが何回もあった。今回はカウンターパンチを用意していた。以前食べられなかったでしょう、「お百姓さんに謝りなさい」である。母は戦時中、子どもの頃、そういわれて育った。しかしあっさり切換されてしまった。「お前、いくつだい」である。

結局洋食をつついて食事を終えた。この日、18時半から湘南あすなろ会の定例会があった。路線バスを嫌がる母をタクシーに乗せて、私は茅ヶ崎図書館に向かった。本を読みにではなく、涼みにである。通り雨がありそうな曇り空であるが、こうしたことも想定して、JHC板橋会とクラブハウス関連の資料目録を仕上げるためにポメラを用意していた。テキスト入力専用機に何事かというと、iPHONEで検索し、結果をポメラで打ち込んでいくのだ。ノートPCは重い。母の付き添い時、持ち歩きたくなかった。しかし茅ヶ崎図書館も全く役にしない図書館だ。まだ辻堂図書館の方が、たまに関連情報にヒットする。配本担当者にセンスがないのだ。予算が少ないと担当者が以前説明していた。嘘である。辻堂・平塚には勘所を得た新刊が入っている。茅ヶ崎の新刊目録を見てみるといい。配本ポリシーが全く感じられない。読書人の配本ではないのだ。茅ヶ崎は某書店といい、書籍について後進圏である。

しかしポメラも石頭機である。メーラーだけでもいい、通信機能を付けて通信端末にしてくれれば、打ち込んだファイルを取り出しやすい。iPHONEともBluetoothで結んでくれると助かる。ポメラ後続機ではQRコードによるデータ取出しが可能になったが片通行である。

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図書館で間をつぶして、サポセンの湘南あすなろ会の定例会に向かう。

今回の定例会は、果たして許してもらえるか怪しい案件がかかっていた。14日の寿町夏祭り見学への参加者に、野宿者を招待する提案だった。茅ヶ崎<>石川町間の11枚つづりの回数券5,700円を買ってしまい、当日参加支援者会員のOさんと私は自腹で参加し、当事者2人以外に、3・4人の野宿者の往復の交通費を私が肩代わりして、祭りに招待するというものだった。拘束するのは出掛けの集合から現地まで。後は祭りを楽しんだら、配った回数券の断片を使って、自分の好きなときに帰ればよいというもの。どのみち真っ赤、赤字の企画であり、一見無駄遣いに見える。祭りをもっと前に伝え、酒代を貯蓄に回させ、1,140円を作らせろというお叱りも出そうな内容だった。しかしこれでは、実際に貯蓄するかどうかは難しいところだった。

あすなろ会は、支援活動後発活動である。ビッグイシュー販売活動から始まった活動で、当事者個々人への支援は踏み出したばかりで、支援者と当事者はまだ一部の方以外は、日常的な接点が出来ていなかった。この試みは、祭りに出かけるというところで、会話の場面を作り、当事者の方にも、日常に変化をつけてもらう試みだった。

プログラムちらし配布後、参加希望の当事者はたちまち集まり、定例会前に準備が整ってしまっている状態だった。

定例会では、私がメーリングリストで、事前に提案していないことに注意を受けたものの承諾してくださったばかりか、Oさんが進めているカンパから全額出資してくれることになった。こうして当日の参加者は支援者2名を含む合計9名に膨らんだ。経過は追って紹介する。


夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正1回目済み)
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