湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/6 高卒認定試験が終わり/祖母の介護時代と父の時代のヘルパーさんの違いは

2010-08-09 15:26:32 | 引きこもり
2010/08/06 記
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この時期は、ふだん連絡を疎にしてしまっている方からひょんな電話が飛び込んだりする。愛知県新城市の黄柳野高校の関係者の方だ。「全国合同教育講演・対話集会」のが近々名古屋会場であるが、平塚市の方からの問い合わせがあるが、話し合いのときに、私の名前が出たので、懐かしくなってとのこと。

フリースクールをつくろうということで、教科の全国大会の場で何回か協力させてもらったとき、顔なじみになった方だった。黄柳野高校創設当時の話だ。しかし何で平塚の方がと話を伺ってわかった。親御さんが私のもとの塾生。そのお子さんが不登校で苦しんでいた。すでに途絶えてしまった私の通信の読者さんだった。転居かなと思いつつ、黄柳野高校が全寮制の高校であることを思い出した。

この方は、黄柳野高校の牽引の一線から退いている方だが、お話は相変わらずエネルギッシュに各地を回っておられることがわかり、残念ながら横浜にいらっしゃる日程が合わなかったが、9月に入って、東京で再会することになった。

私は不登校・引きこもり関係の活動は、広汎性発達障がいとか、鬱・社会的挫折などの心の問題がらみの方とか、活動領域が就労支援に絞った形の変則的な活動に変わっている。というか、手帳を持っている方との境界線を媒介する活動をしている。だから再会は身が引けるところも、実はある。

夏期講習を通して、学齢期の子と対話すれば、その世界は豊かに脈打っていることを感じていたから、行き詰って言葉を奪われた青少年に伴走する場と、ちょっと違う。授業と教育という世界があるからだ。個別指導の世界に授業は無いかといえば、確かにある。しかし複数のインタラクティブな世界ほど、重い岩は転がらない。講師の麻薬の飢えみたいなものかなとも思う。

平塚の**さんに早速電話をしたが、私の古い連絡簿の電話は既に閉じていた。まあ黄柳野高の++さん仲介にすれば連絡が取れるので、直接紹介すると個人情報で問題になるといけないので、説明会の会場に**さんと私に声をかけてくださいとお願いした。懐かしい話。大会会場の温泉の湯気まで思い出してしまった。

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母の眼科は茅ヶ崎駅北口からバスに乗っていく。大丈夫だという母を路線バスに押し込んで、母が診察を終えるまでの時間、イトーヨーカ堂などで買い物をしようと地下に降りていって気がついた。今日は木曜日、休診日なのだ。曜日の感覚がなくなっている。まずいなと思って、母の携帯に電話を入れると同時に母から電話がかかってきた。休みではないかという。実はこの日は手術日となっており、医者は閉じてはいないのだが、母は駐車場の様子がおかしいので気付いてバス停に戻って電話をしていた。

歩行が不安定な母は、歩くことを嫌がる。食事でつるのも、胃切除しているので喜ばない。どうしたものかと、とりあえず駅に戻ってきてもらうことにした。喫茶のような場もコーヒーというわけにも行かないので、女性だらけの苦手な甘味喫茶で休ませる段取りを思いついた。目に付いたものを餌食に話題を拾うおしゃべりが蔓延している雰囲気は長時間いると頭痛がしてくるのだ。まあ静かな方をと企みつつ、母を待った。

母が戻ってきたとき、なんと故祖母の件で我が家のヘルパーさんだった方と駅ビル前でばったり出くわした。すでに退職されていたが、結局その方の誘導で、私が一番避けたかった駅ビル*階の小さな喫茶に誘い込まれてしまった。母がいる以上放置するわけにもいかず、母を家に戻した後、巡回が待っているしなどと心ここにあらずで話をしていた。

しかし介護の話も、こうも違うものかと思う。女性の場合ひとと出来事が話題の大半を占める。私は車椅子を変えたとき、祖母の自分の力では回転してしまった動きが治まって、なんとかまっすぐ進むようになったときの驚きのように、その記憶の断片は裏方技術の発見と祖母の笑顔が結びついたような切り口が多い。話すと簡単にあしらわれて、次の話題に行ってしまう。ツボが違うというか。冷や汗をかきつつ、なんとか安宅関を越えて、家に戻った。いや弁慶が打った相手はハゲてはいなかったが。

しかし、2000年頃の状況と最近の状況では、ヘルパーさんの自由度が全く違う。祖母の部屋の隣が私の部屋だったが、物置き状態の部屋にため息をつき、畳が沈んでしまうと、本の山に掃除機の先をぶつけては、私に本の山の移動を迫っていた。大丈夫、部屋全体が沈むからと言い訳をしていたが、祖母の願いの物置解消の尖兵をやって、祖母の居室からはみ出した範囲の掃除をしてくれた。母の渡したおすそ分けの粕漬けの変わりにと、遠藤地区の実家の完熟トマトを持ってきてくださった。今、こうした私的交際はご法度だし、分刻みで動くのでゆとりも無い。

日送り補填分の巡回だったが、本来の分が移動。結局小田急相模原君と相模大野で会ってきた。小田急相模原駅前は飲み屋街、ほんとうに限界を感じる。この前は知らないで市立図書館の相武台分館を使った。駅から遠い遠い、彼は自転車だから大差ないのだが。

藤沢駅から茅ヶ崎駅行きの終バスが間に合ったので、バス停でバスを待つ間、地下道の野宿者の人たちの様子を見てきた。まだ2名の常連さんが眠りこけていただけだったが、そこに辻堂のネットカフェで見かける若手が通り過ぎた。彼の本拠が藤沢なのかとも思ったが、何回かアクセスしたが全く応答してくれなかった。藤沢のカトリック教会と「きずな」が、どのように支援しているのかよく知らないので、それ以上のことはわからなかった。父の体調が悪化して、茅ヶ崎・辻堂・藤沢のネットカフェ巡回を中止してからもう数年経つ。また再開しなくてはと思う一方、巡回していたときに感じた、誘い出し先の無い悲しさはあいも変わらず引きずっている。人生の果てに流れ着いている人に対して、今・ここの出会いの価値を生み出すには、まだ自分が技量不足。世の中捨てたものではないということを絵空事で語るのではなく、彼を巻き込んだ状況として語れなければ、物事は動かない。ぶつぶつ言いながらバス停に戻り、がらんとしたバスに乗り込んだ。少しずつネットカフェ巡回を再開していこうと思う。

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帰ってみると高卒認定試験関連のメールが何通も溜まっていた。無事済んだ内容のメールばかりで、まあ、よかったのだが、速報解答を流すときに、いつものことだが、合格圏内だがわかっていて誤答を書いてしまったという落胆の声もいくつかあって、そのインタビューを専任たちが束ねていた。もう少し待つとチラシにその声が反映する。私は今回は沈黙している、行かなかったから来年を確約させらえるからだ。前半期のひとくぎり。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     中央林間君(仮名)
     旗の台君(仮名・傾聴にあらず)


(校正1回目)

コメント
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