湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/1 夏期講習終了、**君の車でドライブを/8/14寿町見学参加者募集

2010-08-04 11:51:58 | 引きこもり
2010/08/01 補記
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夏期講習の前期が終わった。父の入所前からの予約が効いて私は夕方か夜間が中心になったので、炎天下の熱気にやられずに済んだ。私の教え子も横須賀が本拠地の予備校の契約講師をしている。私の苦手な教科の講師なのでときどき訪問の助言のバックアップを頼んでいる。生徒には見栄はらずに、教えてもらったことをばらしている。ここから先は○○さんに聞けという具合。彼を紹介するわけにはいかないところが難。

******君(仮名)は、バイトを初めて珍しく続いている。夏期講習最終日、突然教室に現れた。自販機の缶交換の仕事である。コンビニと比べれば、対人交渉が少ない分、喧嘩早い彼には向いている。家業を継ぐため経理が出来ないとと、日焼けした顔で進学の話を語る。昨年経理系の専門学校に合格したが、不満を感じて大学進学を目指している。

帰りに回転寿司まで載せていくというので、彼の車に乗った。延々と車を飛ばすので、どこの回転寿司までいくのかと聞くと、「海の近くまでいく、江ノ島の近くで店を知らないか」という。彼は、藤沢の駅前に江ノ島があってその展望台の隣が我が家というような空間の歪んだ地図を持っているので、大和・江ノ島線の路上で彼の車を止めさせた。話は進学問題だった。彼のバイト代では自前の寿司代も怪しいので、改めて会う時間を決めて、とりあえず湘南台に送ってもらった。「海がないじゃないか」という彼の文句には、「彼女と行け」とばっさり反論。なんとか終バスに間に合った。

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湘南あすなろ会のOさんはパワフルである。「ホームレス頼りNo.8」を仕上げ、我が家のポストに投函してくださった。あすから本格配布である。とりあえず、平塚・藤沢の市民活動センターに置かせてもらった。

8月上旬に東京の「舫(もやい)」の会合があって、会代表兼販売員のEさんが出席する。社会活動は各自が自分の世界を切り開くことによって活性化する。この日私も交流見学会の件だけでなく、放置傘再販の件で相談したいと思っているので実は参加したかった。渋カサの方たちが都内の活動との接点を探していたから、まだあすなろ会では対応が取れないが、東京の分を先に仲介したかったのだ。これはEさんが不本意な顔だったので、別の機会にしようと思う。

8/14(土) には、寿町の祭りがある。この日は覘きに行くので、参加希望の方はコメントにどうぞ。

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夜間傾聴;橋本2君(仮名)


(校正2回目済み)


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8/1 ☆7/15「映画『輝く未来へ Stepup』を観て、勝田俊一さんと語ろう」レポート☆より

2010-08-04 11:00:27 | 引きこもり
7/15 の「映画『輝く未来へ Stepup』を観て、勝田俊一さんと語ろう」懇談会レポートを関係者に配りました。映像を観ていないとわかりにくいと思いますが、ご覧下さい。


2010/08/01 文責:「わーく」編集部
飛田
------ ここから -------

勝田俊一さんがプレゼントして下さったCD「ATARIMAEクロストーク はたらく ちから」を今頃になって拝見し、「しまったなあ、これは会場で上映しておけばよかった」と、遅ればせに勝田さんの仕掛けに気付きました。いただいたCDの数が数枚だったので、主催者の私が開封してしまうのはどうかと、妙な気をまわしたのが仇となりました。

ここには、就労インタビューのエッセンスが込められていて、働くということが単純に賃金を得ることなのではないのだという就労体験が、現場実感を込めて語られています。

その語りが意味するものは、働くことが「ひととつながる方法」であったり、「ひととつながる出会い・体験」であったりしています。働くことを通じて社会に自分が意味づけられたり、知り合いが出来て支えあう、つまり「ともに生きる」ということがそこで始まっています。「今、自分がいる」、「自分の居場所と役割」が見える、語りはそういう喜びの告白なのです。この作品には、言葉の表現が難しくても働く喜びを身体で感じているというような方々も、そ画像の背後に広がっています。働ける方の喜びの告白というより、その背後の方の実感も代弁しているように聞こえます。「働くこと」というように、一般化した語りも聞こえてくるからです。

なんともまあ、ATARIMAE プロジェクトの見事なプロパガンダ映像だなあと思いつつ、今回の勝田さんの就労支援懇談会は、これを上映していたら、結論の先取りのようではありますが、テーマがもっとすっきりしていただろうと思うのです。

DVDに登場する方々は明確に自分を語れる方たちです。就労に困難を抱えている方たちが、社会の中で「当たり前に働く」ということを支え、契機を提供する活動の大切さを語りの裏側で伝えていると私は受け取りました。就労支援活動の基本的なことです。

今回の就労支援懇談会は、子どもの頃からの、いわゆる公的支援からこぼれ落ちてしまった、「地域に潜在し制度の狭間にある方たちの就労支援」にテーマが置かれていました。それは、いわゆる軽度発達障がいと呼ばれる方々であったり、精神障がいの方々、社会的引きこもりや就労挫折等の方々の就労支援の連携活動に手がかりを探る、連続企画の口火となるつもりの会なのでした。

私は引きこもり青年たちと出会います。そこでは「挫折」「生き下手」というような、まるで棍棒というか、または、もつれた糸にからまったような若者と話します。彼らにとって就労は、生きるためやむをえず行う「苦行」なのです。同じ「就労」と言っても、今回登場した知的障がいの方たちとは、ずいぶん風景が違うなと思います。実際私は、ハローワークへの付き添いや、専門学校の窓口に、何やら彼の保護者顔をして連れ添いますが、彼らは、気持ちを懸命にかき立てつつも、かすれかすれ、やっとの思いでぎごちなく面談のゲートを越えるのです。

この挑戦が、就業によって彼らの劇的な転換点になることは、現実には稀です。しかし一年もすると出会ったときの顔が、知的障がいなどの方の就労経験告白のときと同じような自信と喜びの顔に表情が変化しています。対人関係に弱点がある方ですから、再びいじめられて苦労していることもあります。しかしながら、彼らはよほどのことが無い限り、今の立場を手放そうとはしません。就業の痛みの中にも生きていく手ごたえを見つけているからです。

ここに共通している「働くこと」の価値を、なかなか形が作れない「制度の狭間の方々の多様なニーズを抱えた就労支援」を形作っていく、「エンジンのような企画」を作りたいと思うのです。

「輝く未来へ StepUp」(企画:教育庁 製作:都教委 2008)は、企業就労レポートですが、「傷がいがあっても、ここまですごいことがやれるのだ」という成功事例が次々に語られています。しかし面白いのは、特別支援校やジョブコーチ、企業の担当者等の裏方の力が背後に透けて見える、いわば表舞台の映像でした。それと同時に「働くって何なの」ということが喚起される映像でもありました。

しかし、ハローワークでバイトを探して、上司や客の無理難題に転職を重ねて疲れている方には、作品そのものは違和感のある映像です。「だからって何なんだよ」というところです。私たちがまさぐっている協同の支援活動には、現状の違うさまざまな人がいますから、その人たちが連携することを考えるには原点的なところをまさぐる必要があります。それぞれの領域の方がそれぞれの世界で適所さがしをしてきた従来の就労支援活動からすれば、社会的挫折組と知的障がい組との課題は接点のないものに見えていても当然と思います。

今回は企業就労している方々から、就労が社会参加であることを語ってもらうことを通して、就労の支援者の裏方のなしてきたこと、何を実現させていこうとしているのか、それを懇談の中で引き出したかったのでした。

つまり、ダイレクトにテーマを訴える会ではないという、わかりにくさがありました。もし賛同が得られるなら、次回は「地域起業の立場からの懇談」を重ねたいと思います。異質なように見える各領域の就労支援の活動が就労企画のネットワーキングによって媒介される、そんなもうひとつの就労をまさぐっていきたいと思います。

就労がジグソーパズルのピースをはめるような静的な能力認識の活動から、動的な及ぼし合いを推進する協業のチーム的な活動へと、就労基本単位を変える就労の転換が出来ないものかと考え、これが協業という接着剤によって、領域を超えた共通の検討課題になりうるのではないかと思うのです。それは一から十まで完成した出来あがった構想を実現するのではなく、当事者と試みを作り支援していく体制を実現していくようなメタ就労の「たまり場作り」を浮かび上がらせてくれるような、起業構想の芽の実験の場を想像出来るような地域の試みです。

就労を軸とした地域のたまり場が、一方では就労困難者の合流セイフティネットとなりながら、新たな起業や、チーム就労を生み出していく、そんな絵が描けないか、そう思うのです。店舗開設型の活動では、店舗に抱えられた方のための活動として(従来の施設は想定された有限の当事者のためのものでした。)搾り出されたものでした。入れ物と運営資金調達の壁がそこにあって、篤志家の資金が初動資金として存在しなければ、始まらないことでした。しかし、職種によってはこの資金の壁を低く出来る。そういう試みが実際にいくつかあります。鍵は地域の社会的ニーズに乗るという社会的企業の手法を前提にするということ。私たちが通勤し私的生活・家族を営んでいる場、つまり地域の消費社会のニーズに乗るということです。これには行政や、求める側の有志の参加も必要です。そうした大風呂敷の地域構想を練る企画に育てられないでしょうか。

当事者は集団の中で自分の持ち場を意識し支え、自分の技量を変容させていきます。この変容を支える社会システム(出番作りと居場所の底支え)の端緒を生み出していくのです。

今回の企画は、企業就労という切り口から、働くという事の意味の源流を探る意味をもっていました。次はそれぞれの領域の活動の合流の可能性を探ってみたいと思います。地域起業です。勝田さんの提供してくださったDVDは、私の手元にあります。ストレートパンチのような内容ですが、ご要望があればお届けします。

夏期講習もあって、ずいぶん遅ればせのレポートになりましたが、せっかくあちこちでセンターの芽が出来てきた状況です。有効な活用法もその構想検討企画の先に見えてくると思います。資金と構想と人材、その構想の側から人材への道を見通したい。是非「何、空想をこね回しているんだ」といわず、検討してください。
以 上

----- ここまで ------

勝田俊一さん:障がい者就業・生活支援センター サンシティ所長
       (平塚のセンター活動と同時に、県下の就労支援活動に
       活躍されています。)

----- この懇談会は、「スペアちがさき」「NPOサポートちがさき・地域就労支援PJ」「『わーく』編集部」の共催で行われました。

(校正1回目済み)

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7/31 あのときの人は、私には、わからないという構造

2010-08-04 10:05:54 | 引きこもり
2010/07/31 記
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父の勤めていた同業者協会から時々立派な冊子が送られてきていた。その経理担当者から連絡が入り、未納分の支払いをと料金請求の話。父と同年輩の方のようで、何回も脱会のことを伝えてきたが、今回は4回目。どうして話がこうも伝わらないのかと思いつつ、前回の脱会届郵送の件などを説明した。

やっとわかってきたことがふたつ。ひとつは存命中の脱会者が他にいないということ。脱会届が届いて、この担当者の方が確認電話を入れたところ、父に「出した覚えが無い」と叱られてしまったというのだ。後者は一見正しそうに見えた。父が電話に出れば、やりそうなことだからだ。届けは父の確認を取っていた。それでも、思い出す前に、「止める・はずす」には内容を考えずに父が反発することは予想されたからだ。しかし、届けを出した頃には、父は茶の間の親機を使うために階段を降りてこられるはずがなかった。父の居室の枕元の子機を父は使えない(外線ボタンがわからない。)ので、父が電話応答するはずがなかった。

いい加減な話をするなと先方に根拠を伝えると、先方の語気があらくなった。先方は父の同僚で、父のことは知っているというのだ。カレンダーをチェックしてみて、先方の言い分が明らかにおかしいことがわかった。父はその日ショートステイに出ていて不在だったのだ。先方にその旨を伝えると、昔話までしたのだから父に間違いないという。この議論は結局脱会で処理したのだが、その昔話の怪が残った。おそらく会員名簿のどこかちがうところにかけたのだろうが、年始の挨拶電話のとき、私は間違い電話の相手と10分も話しこんでしまったときのことを思い出し、可笑しかった。しかし、この話、どう説明しても母に伝わらなかった。何が起きたか、そのこと自身が伝わらないのだ。人称がからまってくると、最近、母との話が空転することが多くなった。

私の参加していないある場面を話題に、母が私に対して説明する話は、その言葉が誰が言った言葉なのかを明確にしてくれないと、母の話は混乱する。その場にいたAさんの発言の話なのか、Bさんの発言の話なのか、急に変わるからわからない。このわからなさが、話し手になぜわからないのかわからないという事態を生み出す。

子どもの話がよく、この問題を起こすのだがを、「あれが」「それだ」の「あれ」「それ」が指し示す物事共有されているものとして語るから、一層わからなくなる。田舎に出かけたときなど、「何とか松のなんとかチャン」がどうこうと語る語り口は眩暈がするのだ。突然歌舞伎だが、観客は役者の仕草のひとつひとつに約束事が合って、ある時代には常識の形をとって、仕草が自然と観客の共感へとつながっていた。同様の対話への同一コミュニティよりかかりは、ミクロには語り手の脳裏に浮かぶ光景への空想参加と再現の言い放ちに見られるが、語り手は出来事順に発言を再現するが、その場面を共有していない私がなぜこんなにはっきりしている光景がわからないのかわからない。わかる人としか話していないからわからない。母との対話で、母が話に熱を帯びてくると、これが始まる。

それではと、私は話す場面のいわば登場人物と場面設定をまず語って、その上に場面の出来事を話そうとする。ところがこれも、なぜそのようなことをしなければならないのかわからない方には、理屈っぽい苦行でしかない。

同業者組合の担当者の方が、果たして行き違いの怪奇をどう理解したのか、なんとも暑苦しい話だったのだ。しかしこれ、対面カウンセリングするとき、人称の激流を渡っていかないと沈没してしまうのだ。私もあなたも話の糸口(プラットフォーム)探しに苦労する。その断ち切られた糸口の間隙に精神症も潜んでいる。

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夏期講習に間に合わなくて、買い物袋を職員室に持ち込んだ。いつも誰か生徒が出入りしている部屋なので、たちまち話が教室に広まった。枝豆とビールの話が時間つぶしに生徒側からちょい掛けしてくる。ビールを授業後に飲むのかとしょうもない話。私は生徒に「ズンダもち」を作るのだとうそぶいた。「ビール」と飲酒の話題で授業を流されまいと話をはずしたつもりだった。妙な沈黙が走り、「ズンダって何?」と生徒。笑いが出たが笑った本人もわかっていないだろう。ちょっと悲しい。あと一日。

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7/15の上映懇談会のまとめレポートを仕上げている。明日関係者に流すが、もうひと息。…たしかにビールを飲みたい。


夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)

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7/30 湘南あすなろ会定例会と/絶望と風化に対峙すること

2010-08-04 08:18:39 | 引きこもり
2010/07/30 記
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28日夜、湘南あすなろ会の定例会があった。あすなろ会の活動を支えるワンコイン基金を作る件で、振込口座を新設することが決まった。今の口座は総合口座で、現金支払いで振り込む手数料が高く、振り込めない場合も出てくることがわかった。ゆうちょ銀行の説明が総合口座を利用する前提に立っての話だったので、混乱が拡大した。

振替口座を開く手続きをしたOさんは、窓口の優柔不断、定型にはまらない部分をそのつど、何回もセンター問い合わせを重ねる様に、爆発したらしい。そう、自己責任を回避するその徹底した逃げぶりは、私も総合口座作りのときに味わったものと同様だった。私は日参し粘り勝ちしたのだが。

ホームレス便りNo,8には、新設口座が正式に戻ってこない限り、まだ載せないことになった。まだ何が起きるかわからないからだ。

前任販売者の++さんを買い物兼夏期講習の出掛け茅ヶ崎駅南口駅前で発見した。明らかに酒気帯びの状態で座り込んでいた。あすなろ会の定例会には出席しているが、気力が抜けているのが気になっていた。路上生活者の方は、事情があるから路上に押し出されてきたのだ。しかし、飲酒が飲まない私には必須という気持ちがわからない。冬場は寒さしのぎと彼は説明した。しかし炎天下、彼はじっとりと汗をかいて眠りこけている。ビッグイシュー販売は、酒気帯びを認めない。販売収益を酒代に使っているという誤解を与える行為も、禁止している。

彼は販売時の酒気帯び禁止の規則違反で販売資格停止となった。様々な事情があったが、彼は販売部数を増やし、収入を拡大しても自分が抱える問題の解決には直結していなかった。茅ヶ崎は中高年定住組がほとんどで、自助組織をたちあげようとしても、彼らの腰は重い。彼の行動に関心を示す同輩がいないこともしんどさを加重していたに違いない。

横浜・寿町を歩くとすぐ目に付くのが、車椅子に乗った高齢者がひとりで往来の端にぽつねんと佇んでいる姿だ。障害年金や生活保護暮らしだろう。入れ歯を作ることが出来ず、熟年者がちょうどポパイ(古いかな?)のような顔しているひとも多い。しかしここには、鬱屈した熱がある。この熱が茅ヶ崎には感じられない。酒宴の声もすぐに消える。寿町の高齢ホームレスのような終着駅感覚もない。この見えない閉塞感は抵抗すれば更に立ちはだかる。

彼はリーダーになって引率するタイプではないので、彼の活動の場脱皮の必要性を感じてならない。湘南は今の状況が延々と続くことを前提に従来の支援活動が組まれているように見える。私は高齢化と、通過する若手の表面化が二極分解して変化するような気がしてならない。

若手は仕事を求めている。そのためには地方ではなく、横浜・川崎などの都市部に流れ、再び押し出されて一部が還流するような流動をますます特徴にするだろう。通過点としての地方都市の活動論が求められているように思っている。この点については、地域の就労支援セイフティネット構想の中でも検討していかなくてはならないことで、先進地域の、それこそ事例を探っているところだ。

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夏期講習に併行して巡回指導が入ってくる。高卒認定試験とは直接関係が無いひとは、むしろ自分の抱えている課題を定期的にチェックしていった方が、私との接触の意味がある。しかし夏場はファミレスも落着かない。図書館が午前中が苦手な彼らには席を確保することが難しく、ましてや対面指導などの場にはならない。公民館ロビーなどを使うこともあるが、暑い。テーブルがないなどの条件があって、彼らがいい顔をしない御宅にお邪魔することが多くなる。

昨日は普通ではない夜間の訪問となった。橋本からバスなのだが帰りは多摩境に出ないとバスが無い。夏期講習の終了後、短時間だが御宅に回ることになって、橋本23:21(20)の終電に間に合わせて帰って来る。橋本2君(仮名)のように駅前で会うことが多い方とは違って、自宅訪問はバスの時間制約が大きい。今回のように夜の訪問は、駅に出ると正直言ってほっとする。それでも今回は、茅ヶ崎駅から自宅までは歩きとなる。自転車を買わなくてはと思いつつ、片目夜間運転の怖さを感じてしまう。

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勝手なものだが、父の介護の戦争が終わって、私が外出すると母は時間を持て余してしまう。体調が悪いので思うに任せないことも影響しているが、父の介護の隙間に付き合っていた友人が歯が抜けたように他界したり、腰を患って出かけられなくなったりして、交際範囲がいつの間にか狭くなっていたことを感じているようだ。我が家に場合は、軟着陸のために、やり残しを解消するために生きるような虚無と向き合う日々となる。引きこもり青年と向き合うとき、ニンジンを目先に下げるような希望を語ることは欺瞞と思っている。意味があるから生きているというレトリックも危うい。いまここに生きてあること、それはともに生きることの中に開ける視界だと思う。説教ではなく母のQOLを低下させない注意を払う必要が出てきている。

夜間傾聴:相模大野3君(仮名・Aさん専属お初)
     □□君(仮名・こちらから)


----- ●「反貧困学習」(大阪府立西成高等学校著) が茅ヶ崎市立図書館に入庫。私が何回か他館貸し出しを繰返した成果だろうか。一応歓迎。


(校正1回目済み)

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