湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

父は自力で立ち上がることが出来なくなっていた(転倒事故の二次障害を防ぐには)

2010-04-17 15:30:24 | 引きこもり
2010/04/09 記
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8日、東京の「あうん」「山谷」「舫」見学から帰宅すると茶の間の明かりが消え、母の寝室の明かりが点いていた。嫌な予感がして母の寝室に入ると、母が「あんな重たい体、持ち上げられないよ。もう、知らない!」と、布団にもぐってしまった。父の居室に行ってみると、父が床に仰向けになって、いびきをかいて寝転がっていた。周辺は尿のしみだらけ。アミノ酸臭が鼻についた。転倒から時間が経っているのだ。

間が悪く夜間傾聴用の携帯が、早々と鳴り始めた。出るとブログには登場いていない高校生が食器を投げて暴れているから、どうしたらよいかという母親の電話だった。普段はおとなしい子で、よほどのことがないと爆発しない。何か異常がおきたと直感し、とりあえず距離を置いて、話が出来る状態にして欲しいと伝え、母親は庭先に出て携帯をかけ続けていた。

彼の弟が挑発したらしい。弟はすでに自転車でどこかに逃げ出しており、彼は母親に怒りをぶつけていた。彼と落着いた頃に話したいから、電話するように伝えて欲しいと伝えた。途端に母親は私の用件をその場で怒鳴っていた。「なんで爺ぃに電話した!」「爺ぃ、出る幕じゃねぇ!」と彼の大声が聞こえてきた。母親もまた不器用なのである。「とにかく落着いた後で」と、母親に伝え電話を切った。

父は気持ちがわるいのだろうか。私がベランダ側で電話をしている最中に、下半身の紙パンツ等をすべて脱ぎ去ってしまった。こうなると体を支えるのは脇の下しかない。黙っているが放置されたことへの怒りが復活してきたのか、紙パンツを交換しようとしても受け付けずに、私の手は蹴飛ばされてしまう。とりあえず床の清掃をはじめ、作戦を考えていると、また携帯に電話がかかってきた。また衝突中の母親からだった。

彼はどこかに飛び出して行った。追いかけられないが大丈夫だろうかというのだった。このとき父はポータブルトイレの脚にしがみついた。このまま脚を引き寄せればトイレが転倒してしまう。私が取った苦肉の策は、私がトイレ椅子に座り込み、重しになることだった。滑稽な状況だが今も適切な行動だったと思う。

母親の話の中に、「物をぶつけて窓を割った」という言葉だった。彼は考えて物を投げる。威嚇なのだ。それが窓を割ったということは、制止が外れていることを示していた。持ち出した物を確認できないかと問い、母親が探す間の時間を確保し、一旦切ると伝えた。これで父にかかる時間が取れた。

父を「風邪引くからパジャマを履こう」と促した。「紙パンツを」とか「おむつを」というのは禁句なのだ。私が普段と違うことを察知してか、トイレ椅子の脚から手を離し、横臥の姿勢のまま動かなくなった。とにかく介護用手袋と紙パンツのセットを準備しなくてはならない。パジャマはやたらに洗うので、一階に干してある物を取りにいかなくてはならない。父から目をそらさず、手袋を急いではめて、携帯から我が家に電話をかけた。父の枕元の子機を取りに行くことは、再び父が脚にしがみつく危険があった。母にパジャマを持ってくるように促し、紙パンツに尿取りパッドをセットした。

母が生乾きのパジャマを持って階段をあがって入室した最悪のタイミングで携帯が鳴った。母には電話相手の状況が読めない。重い父を持ち上げることは出来ないから放置したことを電話の傍らで話し始め、父の表情が険しくなった。

財布がないが机の上に携帯を忘れているという。不思議なことだが、自殺を試みる者は携帯を忘れない。つながりを断つためのつながりのシンボルを身につける、儀式のようなものがあるのだろうか。彼の友人の**君が隣に住んでいるおり、彼の引きこもりに、ときどき訪問してくれていたことを思い出し、母親に**君に頼めと指示。弟に携帯連絡をして、彼の状態もつかんでおくようにと指示。急いで携帯を切った。

我が家の騒動は再燃しつつあった。母が父と、携帯に気を取られている私に怒りをぶつけ始めたからだ。父は脱いだ衣類を母に投げつけ、もがき始めたので、父の背後に抑止をかけた。精神科などで使う拘束の方法だった。

母は呆然として立っていた。その間に「パジャマを置いて、暖かいおしぼりを作ってくれ」と指示し、母を引き離した。

父の抑止中に携帯が鳴った。さすがに出ることは出来なかった。

「パジャマを履こう。冷静になって」と父を諌めた。父は力を抜いた。自宅に電話し、母に「おしぼりは、部屋の入口に」と婉曲に入室を禁じた。

父の着替えがやっと済んだところに、また携帯が鳴った。彼の友人が快諾して手伝ってくれた。彼はコンビニで本を読んでいたという。周囲を散歩して返すからとのこと。弟の状態は聞き忘れたがともあれ、緊急事態は解除されたと判断。次は間を置いて、こちらから連絡する旨を伝えて携帯を切った。

ざっとアルコールティッシュで陰部を拭いてから、紙パンツを着用させたが、この床に寝た状態で、おしぼり清拭を始めるわけにはいかなかった。父の寝転がっていた時間も考えて、危ないが力技を使うことにした。抑止をかけられた屈辱の残り火が、背後からの腰を羽交い絞めにすることを拒んでいた。屈辱を感じることは認知症がまだ「まだら」であることを示していた。

やっとのことで歩行器の補助を使いながら、父は立つことができた。父をベッドに誘導し、横臥状態にさせて、おしぼりで清拭を済ませた。紙パンツは汚れていたが、再度交換する余力は無かった。

部屋を掃除して、ゴミと洗濯物を下ろし、ともあれ一段落したところで、携帯をかけた。先方の母親は外にいた。彼は「帰らない」と友達の進言を断り、駅前通りの方向へ去ってしまったと、彼の友達から家に電話があったので、これから探しにいくところなのだという。

家で待っていたほうがいいと母親に伝え、様子見して、異常を感じたら連絡下さいと伝えて電話を切った。電話を再度してもらっても既に終電はなく、現場にいけるわけでもなかった。

見学会から帰った深夜は、こうして更けていった。母と多くを語る余力が無かったが、簡単な夜食を作って済ませたあと、今回、見学会をまた肩透かしした引きこもり中年Kさんにメールを送った。返事がしぶい。「今は睡眠時間です。9時が起きる時間です。」と私の違法行為(?)に注意していた。参った。彼は寝転がりながらゲーム中のはずなのだが…。

夜間傾聴:□□君(仮名・連絡のみ)
     中央林間君(仮名)



2010/04/10 記
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とにかくだるい。ポンコツである。長年不登校や引きこもりの方とつきあってきたが、今回のように我が家の騒動と、先方の緊急事態が重なったことはそうあることではない。少なくとも5歳は年食ったぞと自分に言う。ともあれ、朝の電話では、彼はいつの間にか自分の部屋で寝息をたてていたそうで、どうやら携帯のジンクスは当たっていたようだ。今日は身動きできないので、明日にでもお邪魔すると伝え、本校にも連絡を取った。危険なものを投げて威嚇する行為は、はじめ第三者が入ったほうがいい。そのあと親子の話が始まればいい。

しかし、フットワークが重くなった。交通事故入院以降、車や原付に乗らなくなったことと、父のことが錨のように私の足を縛り付けている。

9日は、母が出かける日。午前中、父のヘルパーさんが身辺介護に入って清拭と居室清掃・洗濯などをしてくれる。だから寝ているわけにはいかないのだが、億劫だった。父との留守番の一日になるので、家族がいないといけないという話を、無理を頼んで、茅ヶ崎図書館の書籍返却と駅前の銀行ATMだけ済ませるとの条件で、早足でバス往復して戻った。

ヘルパーさんの帰った後は、時間切れで残されたシーツ洗濯や、昼食作りが待っていた。父は気持ちよく寝息を立てている。昼食で起こす私は、割に合わない悪役となる。

母から、日の落ちる前に洗濯物を取り込むようにと、万年変わらない小言電話が飛び込んでいた。早々とケアマネさんから、5月のショートステイ予約の日程調整の電話が飛び込んでいた。父の入所希望申請を出したところのテスト入所を組んでくれないかと頼んでいたこともあったからだった。母に同行する方から、母が出かけたかとの確認電話が入ったり、宅配便が来たりと結構騒がしい。

父に好物のラーメンを出す。ところがベッドから起こしたらトイレだと言う。延びてしまうのにと思いつつ、歩行介助。ところが既に換えたばかりの紙パンツはびしょ濡れ。歩行中、サイドテーブル上のラーメン丼に手を突っ込みそうになって手を払うとペットボトルを握り締めて、あたかも取っ手をつかむかのように上下に叩きつけ始めた。すでに何回も見てきた行動なので、別の指示をすることで気をそらせることにした。「(トイレの)蓋を開けるよ」と、私の身体が父の身体のそばで大きく移動する、それだけでペットボトルのことを忘れるのだ。結局ラーメンは見る影も無く延びてしまった。

調理途中で2階にあがり父を起こし排泄を済ませ、椅子に座らせて階段を降り、調理を済ませて食事を運び上げるという段取りをとれば、このようなことは解決するのかもしれないと思い、前にやってみたが、そうは行かない。父は大人しく椅子に座っていない。ホームでは立ち歩き、家ではすぐにベッドに戻って湿った布団をかぶってしまう。「すぐ食事だから」といい含めても、たちどころに忘れて、ベッドにもどってしまうのだ。たとえ「暖かいラーメンを」と思っても、父はネコ舌、すぐに食べないで延びてしまう。ともかく、なりゆきにまかせなければ、介護者が胃炎になってしまう。

階段下に車椅子とテーブル用の椅子を逆さに組んでバリケードを作ってなら1時間程度の介護者の外出ができる。今回も母の帰ってきた23時前までに、ベッド下にずりおち、身動きできなくなったこと1回。派手な転倒2回と目が離せないのだ。擦り傷とアザ以外の重症にならないのが不思議なくらいだ。最近むせることが増えてきたので、嚥下障害(えんげしょうがい>飲み下しがうまく行かなくなりむせる)が始まるのかもしれない。始まると食事中も面倒をみなくてはならなくなる。嚥下障害防止の舌の運動を仕向けても、一切協力しない。憂鬱は募るばかりだ。

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見学会のレポートを書き始めたところで、睡魔。1時間のタイマーをつけて爆睡。肩がつまる。

「輝く未来へ Steo up」(都教委)の上映講演会の会場の支払いがまだ済んでいなかった。週明けに支払いを済ませる。茅ヶ崎市分庁舎B会議室である。チラシを作っておかないと減免が取りにくい。チラシ原案を作らねばというところで、調布桜ヶ丘病院のリカバリーキャラバン隊の方の当事者懇談話と、広報ちがさきへの湘南あすなろ会の団体活動紹介掲載が決まり、原稿が飛び込んできていた。後者はすぐにできるのだが、ビッグイシュー誌と打ち込んで、はたと困った。ビッグイシューの活動は、それほどメジャーではない。しかしそれを説明するほどに字数枠がない。野宿者の自立支援目的の社会的企業と書いても通じない。結局、中途でギブアップ。

買出しに出るためにバリケードを組んで、リカバリーキャラバン隊のIさんたちを当事者懇談に招待するも、私の地元当事者は2名きりである。他の精神を中心とした当事者懇談参加者をどう募るか見通しが立たなかった。今年の初めは、精神障がいの就労の件から、IPS(援助つき雇用)とリカバリー(インクルーシブな一般就労の中で働く)の可能性を、当事者がじかに話して貰う小規模の会合を実現したかった。次が「輝く未来へ」の境界域の方の企業就労話、次が専門性を持ちうる軽度発達障がい系の方の就労について組んでいる。最後は以前、軽度発達障がいを持つ歯科技工士さんを招待し、懇談したので、今回はIT企業を起業した女性プログラマーにモーションをかけている。しかし、いずれの場合も私が地元で接点を持っている方はふたり。例え10名前後の懇談を実現するにしても、当事者をどう集めるか、今、若松町ゆめたい実行委から外れた現在、質をみてくれる方は少ない。今年は20万円程度の出費は覚悟している。ここで境界域の方の領域横断地域就労型の自主活動の芽を育てることは、どうしてもやっておかなくてはならないことだからだ。

キャラバン隊の参考資料をサポチガのMさんに託した。来週精神の関係のところをまわって話を進めようと思う。すべてこれらの交渉は直接話さなければならない。13~15日の父のショートステイの間が勝負になりそうだ。

リカバリー・キャラバン隊の方への当事者懇談依頼文書と、広報ちがさき記事原稿、京大医学部付属病院宛のセカンドオピニオン申請書と、ブログの文書、問題集屋の訂正2稿を仕上げて、夕食の買出しに出た。

買出しの間に携帯に電話が転送されてきた。嫌な予感がした。電話が家中で鳴ってから転送してくるからだ。タクシーで戻ると、父は電話機(子機)を落としたベッドの枕元の隙間に頭を下にしてぶらさがって、身動きできなくなっていた。電話機を落として拾おうとしたらしい。家にもどるまでの20分強、父は逆立ちでいた。いつか致命傷の事故を起こす、そのリアルさを共有できない虚しさ。

屑野菜でスープを作る。スズキを使ったハーブ焼きに添える。生返事でいびきをかいている父の傍らで百万の虚しさを飲みこんでいる私がいる。捨石かな。

夜間傾聴:******君(仮名・母親)


(校正2回目済み)

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