2014/02/05 記
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どう父が葬儀を嫌い葬儀を避けると伝えても、周囲はいわゆる仏式の流儀に則って、49日だからと我が家を訪問する。今日、我が家にやってきた四人も、告別式に49日は無いと説明しておいたにも関わらず、そういうものではないと受付けなかった人々だ。寺と墓地はどこかと問う。骨壷は茶の間にあると伝えると、険しい表情になる。こういう事態は予測されたので、今日は就寝時、自宅用の固定電話のモジュラージャックを抜かずに、対応を母に任せた。傾聴が終わるのが午前5~7時だから、午前中に授業がないときは、午前11時ごろまで眠り、不足分は、合間の仮眠で埋めていく。ところがその生活自身が彼らには非難されるべき不摂生でしかない。
10年前ごろまでは、何人かの命の境の迷走の魔の時間、引きこもり青少年の孤独に伴走してきた。今は、JR相模原の塾を経由してきた特定の子と、東京南部の塾の卒業生の紹介の子たちが、利用しているに過ぎない。しかし貴重な時間なのだ。
朝8時前、茅ヶ崎駅にいると2人から電話があり、連絡なく家にやってきたひとりと、午後の出先に車でやってきたひとりの3組に起こされてしまった。だから今日は一日中、朦朧としていた。
なんとか二組が帰った後、包括支援センターの**さんがアポなしで現れた。母の様子見と月例の予定表を持ってきたのだ。私は出かける時間だったので、挨拶をして出かけたが、母に不可解な私のことをあれこれ聞いていたという。
母は私が塾などやっていないと応答したという。二十年ほどまえに、自営の塾は閉鎖した。その後は、雇われる身となって、講師を続けている。その意味で「塾は、やっていない」と答えたのだという。
確かにそれで生計をたてているわけではない。老後の手慰みと言うには早すぎるという程度、やっている自負はあるし、深夜声を潜めながら、怪しい会話をしているのも私ではある。しかし、夜中に出かけていくことや、時には巡査が我が家を訪問していたことも、実は母は全く意味が通じていなかったのだとわかった。身近に危うい話が交錯していることを知らないことは、かえってよかったのかもしれない。
茅ヶ崎市立図書館で、書籍貸し出し更新をしたあと、石巻赤十字病院関連の著作をチェック。あらためて地方図書館のザル状の現状を知らされたようなものだった。
県保健福祉茅ヶ崎事務所に通信No.005を配る。ああ、あれですねの「あれ」に、やっと進化した。課内居回覧しますと快諾してくれた。これで当日参加してくれれば、文句は無いのだが。(前回は初登場)
育成会のポストに投函の後、身体障がい関連の施設「にりん草」に届けようとして、浜之郷の迷路に迷い込んだ。タイムリミットがきて、結局、茶屋町からバスで駅に戻った。
相模大野校で面談。会議は睡魔の中、船頭よろしく舟をこいで帰宅となった。あれは放っておけばよろしいとばかり、相手にされない。定年カウントダウンの事務長は、高校生よろしく、股の間にスマホが見え隠れする。面談も緊張性腸炎の相談。親は心配するが当人は一年かけて、とうに克服していた。知らぬは親ばかりとは、古今東西変わらぬものと見える。
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ぶり大根をつくるために、戸塚産大根1本抱えてバスに乗る。私より上の世代の男性の侮蔑の目あり。しょうもないひとたちだなと思う。
●「石巻赤十字病院の100日間 : 東日本大震災医師・看護師・病院職員たちの苦闘の記録」を読み進めるはずだったが、睡魔が許さず、本を閉じた。
まもなく傾聴待機時間終了、明日は母が北里大附病院に精密検査を受ける、私も付き添う。あと2時間、ともあれ仮眠を取る。
夜間傾聴;ひとり
(校正1回目済み)
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