2021/09/17 記
----------------
台風14号の関東通過の予報があって、土日の予定はできる限り済ませておこうと、残りのビッグイシュー誌の配達と糖尿病薬の補充を行った。母は髪染めを勧め、美容院に預けた。
茅ヶ崎市立図書館には
●「急性期病院のエスノグラフィー 協働実践としての看護」2020/08
が来ていた。いわゆる「空気」の細部監視の参与観察のような方法が成り立つのか疑問があるが、救急医療の現場の感触は、外野からの評価を外さないための大事な素地になると思っていた(野次馬根性なのだが)、しかし、てごわそうだ。
図書館にビッグイシューを置いて、裏道からクリエイトにでて処方薬を受け取った。来週は飛び休日と休診日があり、今日の先手の始末は完璧だと思っていたら雨が降り出し、あわせるように携帯が鳴った。医者のところに糖尿病手帳を忘れているというのだ。やむなく受け取りに戻ると、母から鍵が開かないと、携帯に電話が入った。がらがらと予定が崩れるのを感じた。髪染めが早く済んだから先に帰ったのだという。雨が降ったからタクシーで帰ったが、入口の扉が開かないのだと訴えていた。母は自分の鍵を持って出なかったのだ。
やむなく私も、急ぎタクシーを呼んでマンションに戻ると、エントランスにも部屋扉前にも母がいない。ため息をついて携帯で母に電話すると、同じマンションの自治会役員さんが、お茶をと、母をあずかっていてくれた。エントランスで立ち尽くしている母に、通りがかりの際、声をかけてくれたのだった。お礼を言って帰宅したが、介護・子育てに予定は立てられないという言い伝えは、なめてはいけない。実際、予定は未定なのだ。
幸い母は発作を起こしておらず、私の糖尿病検査も順調にA1cもさがっている。しかし、母の西伊豆ドライブ大丈夫かと気がかりが。これらに相関はないが、漠とした不安に囚われる、こういう人の心が状況への反映のフラジャイルなあり方を判断できるだろうか。
こういうもやもやがあるときに、自分に言い聞かせてきた言葉がある。
「正露丸飲め!」である。
(クレゾール丸…日露戦争、征露丸だった時期もある、すごい下痢止め薬)
(校正1回目済み)