2021/04/25 記
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サポセンに行き、##さんに「企画案/もやもや対談リレー"ぶつぶつ"」を預けた。だが「中間支援者は、つなぎ屋であって提案者ではない」とするなら、またボツだろうが、活動が停滞する時期には、もとになるつなぐべき活動がでてこない。それでは、停滞期には無力ではないか。
まだ素案なので、詰めるべき部分を残している。組になる次に繋ぐ相手の仕込みは、実行委で決めるとか、その実行委は当事者参加か仕掛人集団か、類似のテーマは連続させないよう散らす交通整理作業など。
まだまだ議論の余地がある。しかし、それは走りながら考えるべきだろう。語りの中身に暴走の危険を語るだろうか。私は企画初めから広がる圧を感じない。始まってみて、企画への魅力を感じる方と価値なしと見捨てる方の出入りがあってから、助走のように加速していくように思う。その知られる期間が耐えられるか否かがカギで、その意味で、面白がる運営チームが必要。しかし地下水圧はある。
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4/26
引っ越す前、書庫を借りていたが、引っ越すときに解約し、防湿梱包し直して、新居のベランダに引き取っていた。「こども論」などのスクラップ集や、「数学教室」、「教育と医学」など数十年分を古紙処分するのが切なくて、行き先を探してくれる古書店探し半年を経て、買取価格は無残だが、やっと引き取り仲介してくれる古書店が決まり、ベランダの書は、今日旅立った。一旦、神保町に着いて防虫消毒処理をして、国外に渡るという。大学図書館かなにかかと聞いたが、教えてくれなかった。古紙にならないでよかったと自分に言い聞かせつつ、想像が止められなかった。こんな思い、大人になってからしたことがあっただろうか。
ただ、この思いは即座に崩壊した。ベランダを掃除していた時、梱包紙の残骸に混じって、子どもの習字の半紙が丸まってでてきたのだ。母がそれを発見して怒り出したのだ。
母は習字のお稽古塾を、私の塾が始まる前の早い時間を使って運営していたのだ。古い話なのだが。
見つかった半紙の切れ端は、名前から、今は二児の父の作品だったのだ。半紙がどこで紛れたか全然記憶にないのだが、梱包材になっていたようだ。塾をやめるとき、各自のお宅に残っていた作品を返送したのだが、それでも残りがあったのだ。「作品を何だと思っているのか」と、母は激怒した。謝ったが犯人は、書庫への移動を頼んだ時の業者の仕業だった。私の書への空想は泡沫のように消え、悲しみとやりきれなさに変わった。
母はビーフストロガノフ、私はシラスパイと卵サラダを黙々と無言のまま夕食を食べて、一日が終わって行った。
(校正2回目済み)
p.s.税務署話は明日に。