2021/01/10 記
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<入手書>
. ●「希望を握りしめて 阪神淡路大震災から25年を語りあう」牧秀一著
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784909623058
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母の時期外れの「めまい」が通り抜け、以前から約束していた美容院に路線バスでひとり行かせるのも不安が残った。しかし、私も朝型人間の波状攻撃の後遺症があったので、午前中は休みたかった。行きはタクシー、帰りは茅ヶ崎駅南口合流で、店脇のバス停からの乗車を美容師さんに頼み、コミュニティバスに乗せてもらった。
非常事態宣言下、飲食店はさすがに客が少ないが、「てんや」で外食。さっさと路線バスで帰ってきた。車内がらがら。
母は茶も飲まずベッドへ。私は座布団並べてごろり横になって、録画しておいた番組をみていた。
まずはニュースをむさぼった。
トランプ支持者の議会乱入は、1916年の英国軍隊の突入から、個人テロを含めると6回目だそうで、議会制民主主義の破壊うんぬんという絶対基準からの断罪は、うさんくさい誘導を感じる。勿論トランプを支持するわけではない。私の脳裏には60年安保がチラついているが、委託政治と利害人脈集票システムの背後に、消費文化に飲み込まれ、無関心な民衆、自分がコロナをばらまく結果弱者が死ぬ危機や、自分のセイフティネットを破壊していることに無自覚な民衆の姿が見えてくる。社会・政治危機に追い込まれるまで個人生活をむさぼり、日本もまた、道を過つのだろうか。
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そんな暗澹たる気分の中、非常事態宣言を「20時前は外出していい」と読み替える青年。医療崩壊は運の悪い人の出来事と、自らとの関係を払い除ける動画と、しょうもなさ。
渋谷路上生活女性殺害事件の短絡的加害者像。
気がついている人々が、つながらなければ、表現していかなくては…、そんな飲み込んだ嗚咽は自己陶酔なのだろうか。
-----------引用-----------
「彼女は私だ」渋谷路上生活女性殺害事件(FB 玉井昭彦氏記事をシェア)
時代の風
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女性路上生活者、傷害致死事件 当然にあるべき「公助」=梯久美子・ノンフィクション作家
昨年11月に起きた事件が、年が明けた今も心を離れない。路上生活をしていた女性が、東京都渋谷区のバス停で、近所に住む男に殴られて亡くなった事件である。
被害者は大林三佐子さん64歳。昨年の春ごろから幡ケ谷のバス停で夜を過ごしていた。終バス後の午前2時ごろにやってきてベンチに座り、早朝に去っていく。キャリーバッグを持ち、身なりは整っていたという。
事件が起こったのは明け方の4時ごろで、石などを入れたポリ袋でいきなり殴られた。傷害致死容疑で逮捕された男は46歳で、「路上生活者にどいてほしかった」「痛い思いをさせればいなくなると思った」などと供述しているという。
12月、大林さんを追悼し、彼女に振るわれた暴力に抗議するデモが行われた。参加者が掲げたプラカードの中に「彼女は私だ」と書かれたものがあったことを知り、私がこの事件に大きな衝撃を受けた理由がわかった気がした。
報道によれば大林さんは広島県出身で独身、約3年前に杉並区のアパートを退去した。路上生活をするようになってからも派遣会社に登録し、昨年2月まで渋谷区のスーパーで試食販売の仕事をしていた。生活保護は申請せず、死亡時の所持金は8円だったという。
大林さんの5歳下である私は、彼女と同じ時代を生きてきた。地方から上京し、独身のまま東京で1人暮らしをしてきたことも同じだ。私は1年ほど前に故郷の北海道に戻ったが、東京で30年以上、組織に所属しない不安定な働き方をしてきた。もし何かの事情で仕事を失って収入が途絶えたら。もし大きな病気をしたら――。路上で亡くなった彼女が私であっても、決しておかしくない。
彼女の死について考えるうちに、都会で女性が一人で生きることのしんどさを、自分がこれまでほとんど書いたり語ったりしてこなかったことに気づいた。
上京したのも家族を作らなかったのも自分の選択だったし、東京の生活で多くのものを得た。だから愚痴のようなことは言うべきではないと考えていたのだと思う。だが単身の女性だから見える社会の姿というものも、確かにある。
たとえば部屋を借りる際のハードルの高さ。家賃や敷金などの負担の重さもあるが、それ以前に、まず保証人を確保しなければならない。多くの場合、安定した収入のある親族(男性という条件がつくこともある)でなければならず、住民票や戸籍謄本のほか、収入証明書まで求められることもある。最近は保証会社を利用できる物件も多いが、更新ごとに支払わねばならない保証金は決して安くない。
私の場合、正社員ではないということで、保証人がいても断られたことがあるし、年齢が上がるとさらにハードルは高くなった。「中高年の独身女性に部屋を貸すと、死ぬまで居座られるかもしれないからオーナーが嫌がる」と不動産会社で言われたこともある。
大林さんが住まいを失った経緯はわからないが、彼女のように働く意欲があっても、一人で年をとり、そこにいくつかの不運が重なれば、あっというまに住む場所を失う社会なのだ。
大林さんが襲撃されたバス停の写真を新聞で見た。2人掛けの短いベンチの真ん中には仕切りがあり、横になれないようになっている。路上生活者を排除するためだ。邪魔にならない深夜の時間帯だけ、彼女はここで座って寝ていた。
通りかかった女性が、体調が悪いのかと思い、温かい飲み物がいるかと尋ねると「大丈夫です。お気遣いありがとう」と言って受け取らなかったという記事(東京新聞ウェブ版2020年12月6日)を読んで、胸を突かれた。同じ状況になったら、私もそう言うのではないかと思ったのだ。
路上生活になっても派遣会社に登録して働き続け、おそらくは新型コロナウイルスのために職を失った彼女。生活保護を申請するのは当然の権利であり、そうしてほしかったと心から思う。だが、私たちの世代、とりわけ一人で生きてきた者には、男女を問わず「自助」の意識がしみついている。
政府が示す「自助↓共助↓公助」という順番には、真面目な人ほど追いつめられる。「公助」は、大きな声で求めないと得られないものではなく、暮らしの中に当たり前にあるべきものであるはずだ。
(毎日新聞1月10日)
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夜間傾聴 なし
(校正1回目済み)