2014/07/20 記
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浜降祭の合図の花火の音を聞きながらブログを書いている。
昨日の少年の家族から、出かけ先の実家の鵠沼からだと教室に電話が入った。連休明けから夏期講習に参加させるというものだった。休日なので事務員ではなく講師が応答したのだが、講師の質問に、海岸のお祭りを見に来たということを言っていたという。浜降祭だなとわかった。長年仕事をしてくると、思い激しい空転があったときでも、納得するのではなく、起こりうることとして、想定内にすることができる。以前は「何か事情があるのかもしれない」と考えるようにしてきたが、今は「ただ連絡をくれ」とだけ考えている。身勝手な理由を平然と言ってのける事例が結構あるのだ。勿論叱る。
急遽私からの提案を先方に伝えることにした。短時間でもいいから藤沢駅前で会おうと提案したのだ。彼はしぶしぶ承諾し、近場の面談となった。彼は私が近所に住んでいることを知り、面白がって、私が夕食の食材購入の買い物した後ろに、ついてきた。扇風機を新調したが、選んだのは彼だ。夜、組み立てて動かしてみたが、音が静かだった。彼と会ったら言おう。
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茅ヶ崎市内の特養ホーム職員の**さんと、在宅診療と介護についてメール交換した。3.11以降東北被災地では、過疎高齢化の傾向が顕著になっている。2025年問題の先鞭のような事態から、いわゆる医師の往診とセットで地元総合病院からの高齢者の引き剥がしでありながら、当人は終いの棲家への帰宅として一部歓迎する方もいらして、問題がみえにくくしている。
**さんは特養・老健への入所まで数年は順待ち状態だから、医療ケアは、「在宅診療」という言い方で、責任を家族負担させていく。老老介護状態や失職介護のような家族の実態がある。それほどに介護は重い。在宅診療と言ったとき、地域の濃厚なケアサポートがなければ,身が持たないというのが実態なのだ。その家族負担の現状を隠して「在宅診療」を美化することは過ちである。だからコミュニティ・ケアを篤くしていかなくてはならないのだが、その実態が希薄な話となるので、いわゆる市民活動というより、専門性の高い社会活動からの立ち上げが必要となる。矛盾が大きいのだが、介護の実態ほど一般の方が知らない世界もないわけで、専門職の効率的運用に閉じてシステムを閉じては無理となる。
それゆえに、介護全般を全般として取り組むのではなく、喫緊の課題でもある避難後の災害(防災)と医療ケアという領域において、コミュニティ・ケア的協力関係を作っていかなくてはならないのだと思う。
この辺のことで**さんは、在宅診療と介護の推進の時流に怒りを表明されていたのは、家族の負担増とケアの質の低下ということを懸念されていたからだ。特養の質も私にはばらばらに見えるのだが、頑張ろうとしている職員さんがいることも確かだ。議論しようよと、懇話会参加を呼びかけて電話を切った。
明日は橋本行だ。雨堪忍してほしい。
夜間傾聴>なし
(校正1回目済み)