2014/07/12 記
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昨日4:22福島県沖で震度4の地震があり、石巻・大船渡などで、20cmの津波が観測された。震源の深さ10kmと浅いが、ひやりとさせられた。
●「石巻、大船渡 津波20センチ 宮城、福島で震度4」
被災地の復興が依然、荒野状態のまま遅々として進まない地域で、一部浸水。3.11被災地はまだ、かさぶたも取れない状態と感じている。
このブログの記事は、13日に書いているが、先ほどまで、鶴見俊輔氏と「思想の科学」の番組を観ていた。その発想の根源に、「人民(鶴見氏の言い回し)」の戦争体験の行方という切り口から、行動の質的な転換が「人民」にとって、自己責任の形を残さず、時流に流されていくのはなぜかという問いを紹介していて懐かしかった。私は高校生のとき、この問いを知って自分の足元に急峻な崖下を見るような孤立感を味わったことを思い出した。
同じことが東日本大震災にも起きている。震災の肝を冷やすような余波が起こるたびに、PTSDを発症していなくとも、忌まわしい震災の記憶が過去のものではないことを、被災者の方は感じているだろう。やがてそれが話の「通じなさ」の雲に覆われ、言葉が胸の奥によどんでいくことを恐れている。
私は「情動でひとを動かすこと」が嫌いだ。そこに「理由」を求める。情動が煽られるとき、そこには必ずどこかに、嘘やごまかしがある、ひとを操作しようとするいやらしさがある。この「情動」というあたりが通じなさの分岐点かなと思う。
しかし、だらだらと長く社会活動を続けていると、余計な習性も身についてくる。「福島を見続けるTV(だったかな)」を見ていて、またかと思ってしまう。歌でつながることに反対はしないが、その絆は続かないなという幻滅感、いわば太宰治流に言えば「とかとんとん」が聞こえてしまう。情動自身を否定しているのではなく、その表現に不消化なモードが見えてしまう。それがうんざりなのだ。私のようにインテリぶりもまた、社会的には、爺ぃモードであろう。しかし、幻滅を理由に斜に構えて沈黙し、身を引くのも生を裏切る話で、私は善しとしない。接点を追い求めて行く道に身をおく。何が出来るかを考え続けていく。むき出した情動に違和感を感じ、言葉を捨てないはことを、昔、数教協の故・森毅氏が「それは"粋"というものだよ」と言っていたのを覚えている。粋が泥仕合を善しとするか、はなはだ疑問だが、面白かった。
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●「避難所で最大411人犠牲 陸前高田市」
災害弱者の像をあらわす数字がまた明らかになった。震災避難後、指定避難所において、津波の被害で400人近い方が命を失っていた。防災行政の責任が問われる話だが、私はもうひとつの数字がまとまることを待っている。津波に飲まれて救い出された方や、移動自身が無理な方を含み、避難所にすし詰めになった結果、体調を悪化させて亡くなった、いわば関連死の実態だ。
実は今日、**子君の関係で、都内のてんかんの団体の役員の方と偶然知り合い、話しあった。**子君も薬を飲み続けなければならない状態だが、被災時、薬を持ち出せなかった。優先的に病院のネットワークで、ふつか後に薬を入手できて助かったが、医療サポートが必要な障がい者・高齢者・傷病者の常備薬が絶たれることで、深刻な状態に陥った方は多いと思うという。今、薬剤師さんともコンタクトを取ろうと思っている。
地域のチーム医療を行なう上で、複眼的な目を持っていかなくてはならないのだが、看護と介護の連携が課題といっている現状で、チーム医療などは、大河の向こうなのかもしれないが、災害を契機にしながら、被災そのものの対策と同時に、高齢化社会の準備も見通す活動が必要なのだと思う。
石巻の新規情報の収集を始めているが、一度いかなくてはと思っている。いつもの現地0泊バス2泊のけちけち訪問が可能か、調べている。陸前高田にも用事があって、少々困っている。まもなく夏期講習が始まるので、8月に入ってからで動けるのか毎年の憂鬱が始まっている。民族大移動「お盆」の隙間だ。具体化できたら、被災地見学を呼びかけるつもり…今からでは無理かな。
夜間傾聴>**子
(校正2回目済み)