日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ひと月で10円値上げ

2021年10月21日 | 社会 政治
 

 原油の埋蔵量はこれから30年、そんな教科書の記述から何倍も年数は経ったが、原油は今も地球燃料のトップ位置にある。コロナ禍で停滞下降した経済が回復に向かいつつあり、原油需要量が増加している。一方で産油国が増産を見送っているなどから、原油の先物取引値が上昇し末端の価格がうなぎのぼりだ。

 ここひと月でガソリン1リットルが、2円、2円。3円、3円とスッテプを踏んで10円アップした。「ご迷惑をお掛け致しますことをお詫び申し上げますとともに、これからも当店への変わらぬご愛顧宜しくお願いいたします」と毎回メールで値上げ前日に入って来る。車載タンクの状況もあったが、私は2回目の2円アップの前日に給油したので、8円分の支払い増を免れた。

 170円台になる予想も出ている。「こんな値上げと選挙が同時進行で候補者も燃料費が大変だろう」と心配した人がいた。いろいろ規定はあるが候補者選挙カー1台のガソリン代は公費でまかなわれるから心配はない。だから名前の連呼だけでなくしっか有権者の声を聞き、実行できる公約を出してほしい。伴走車のガソリン代は請求できない。

 長年お世話になっているGSも合理化されてきた。従業員の人数は半数くらいになった。顧客別の対応や窓拭きの中止、給油方式のセルフ化、レンタカー事業の開始など多角化に向かっている。街では諸物価の値上がり始まっている。ひと品はわずかな値上げであっても、それは日常用品全般にわたると家計に大きく響く。報道機関の総選挙投票予測では政治改革には遠そうな結果になっている。さて、どうなるのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3カ月ぶり

2021年10月20日 | 陶芸

 陶芸同好会メンバーと3カ月ぶりに顔を合わせた。夏休みが終わり創作の秋の2学期を迎えたころ、新型コロナ感染爆発で第5波がやって来た。蜜を避けるなど基本的な対策に合わせ、県の施設が長期閉鎖となり陶芸教室は自動的にお休みとなった。感染防止対策の規制が解け、今日は3カ月ぶりの教室となった。

 3カ月も休みで顔を見ない間に会員に変化がある。亡くなった人、家庭事情から退会した人など、メンバーの大方が後期高齢者なら、これからも思わぬ別れが起こるだろう。でも、今日はコロナ対策万全で集まる。休み中、コロナに感染した人はなかったとのことで一安心した。

 久しぶりの送迎バス、換気のため窓を半開、流れ込む風はさすがに冷たく、窓の周囲は空席で走る。久しぶりと言えば昼食のうどん。今日は腰の強いうどんにかき揚げ、肉、油揚げが具材の温かうどん。むすび1個つきで550円でコーヒーつき。阿蘇山大噴火直後の映像を見ながら、みんな同じ方向を向いて箸を動かす。噴火による大きな被害のないことはなによりだった。

 終りになりましたが肝心の創作テーマは来年の干支「寅」を愛くるしく創る。それらしくなってくると、猫か寅かと遠慮ない評価が飛ぶ。トラはネコ科だからどちらにも似る、などと弁解しつつ仕上げる。素焼き、釉薬つけ、焼き付けとなり、持ち帰れるのは11月下旬ころ、正月飾りには十分間に合う。さて、どんな作品が窯から出て来るか楽しみだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑草も農業の一役に

2021年10月19日 | エッセイサロン
2021年10月19日 中国新聞「広場」掲載

 散歩中、畑の草抜きをしている人に「きれいになりますね」と声を掛けた。すると「草が生えるから野菜も育つので、むげにはできません」と返ってきた。
 ふと、菜園を楽しむ知人の「畑の草抜きをすると野菜がよく育つ」という話を思い出した。言葉は違うが相通じるものを感じた。
 庭でも道沿いでも雑草が生えるとうっとうしく感じる。しかし、草が生えるから野菜も育つ環境にあると捉えれば、草への思いや対応は異なるのだろう。
 抜いた草は野菜の根元に敷かれ畑の乾きを防ぎ、やがて枯れて土に返っていく。「畑の周りに捨てるものはない」と知人は言う。雑草も使い方で農業の一翼を担っていることになる。
 私は仲間との共同農園でダイコンやジャガイモなどを栽培している。作業頻度が少ないので草抜きは大事だ。育っている作物の根元に日が当たり始め、喜んでいるように感じる。単純で大変な作業だが、野菜を育て収穫を楽しむには欠かせないと頑張っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よくやったなあ

2021年10月18日 | エッセイサロン
2021年10月18日 毎日新聞「はがき随筆」掲載

 さほど汚れているとは思えないが、妻は春と秋に力‐‐テンの洗濯を欠かさない。私は完全リタイアしてから取り外しと取り付けを担当している。外すのに苦労はない。が、脱水済みとはいえ、取り付けではどっしりした重さを感じ、そして息がせくような感じを3年くらい前から実感している。
 私の現役中はこれら全てを妻が一人でこなしていた。若いから元気だったかもしれないが、踏み台を使っての作業は、さぞきつかっただろう。今ごろになって、ようやく気付く。
 乾いた後の「サラッ」としたカーテンの感触が疲れを癒やす。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬型の気圧配置

2021年10月17日 | 自然 季節

 10月なのに各地で連続何日もの夏日が続くという気象予報が一転して「西高東低」の気圧配置に変わり、寒くなるから気をつけるよう呼びかける。何とかと秋の空というが、自然に人間の姿が移ったのか気象も急変する。北の地域予報では冬用タイヤの装着を呼び掛けている。

 こんな気温の低下が呼び水なのか、市内北部各地でクマの目撃情報が連日発せられている。中には柿の木にクマの出没跡が見られたという内容もある。民家の近くかもしれない。付近の住人に公報では戸締り、生ごみの処理などに気をつけ、外出する際はクマに注意するよう呼び掛けている。彼らも冬眠準備に忙しいのだろうか。

 真っ青な秋空に白い雲が風に吹き流されるのか忙しそうに去っていく。天空も季節の急変で忙しいのだろう。そんな上空の動きを見ながら川沿いの遊歩道を歩く。最近はこの道沿いは経費が無いのか全く整備されず、歩道を雑草が覆うところもある。コロナ禍、歩く人も少なく、雑草や雑木が遠慮なく伸び、絡み合っている。

 新型コロナは新規感染者の発生減が続く。一方で規制が解け人流は増え経済活動も動き始めた。ころは秋、何にをするにもいい季節だ。第6波への途に続かないことを願う。インフルエンザ(流感)も息を吹き返す季節がきた。コロナ自粛で昨年の流感は抑えられたというが今年はどんなことになるのだろうか。健康のため気圧配置の変化にも敏感な歳になったようだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハロウイン日の投開票

2021年10月16日 | 社会 政治

 新政権10日余りで国会は解散した。岸田総理が解散させたと解釈しそうな報道もあるが、衆院議長は「憲法第7条により衆院を解散」と発せられた。第7条は天皇の国威行事として行われたことを示す。そこまでの段取りは総理の基で進められたが、公示も投票日も仏滅という。選挙関係で仏滅は珍しいそうだが「マイナスとマイナス」を掛けたらプラスになるというから面白い。

 その投開票日の31日はハロウイン、これに関する多くの行事はこの1週間から10日前に行われるそうだ。ということは選挙期間中はハロウインの諸行事と重なる。ハロウインを楽しんだことはないが、秋の収穫を祝い、悪霊などを追い払う行事やお祭りで、起原は古代ケルト人の風習で、日本ではお祭りとして親しまれているそうだ。

 近くの公民館にも大きなハロウインの装飾が置かれ子どもたちが眺めていた。散歩の通り道にある民家の飾り窓にハロウインの装飾が並んだ。この窓は年間を通して祭りや季節行事などの飾りを展示される。もうこの季節になるのか、時にはそう教えられることもある。几帳面なお家だろうなと思いながら眺める。

 映像で見るハロウインの装束や仮面は、日本のそれと異なり理解が進まないが、楽しむ人にはたまらないのだろう。しかし、選挙に出る人は仮面をせず素顔で、庶民のために何をどうするかわかりやすく訴え、政治家になれたら正直に隠さず話すことを固く約束して欲しい。綺麗ごとを言うなと叱られそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生日のリース

2021年10月15日 | 生活・ニュース

 もうすぐ80歳を少し超えた誕生日がくる。子どもの頃を思い返すと、太平洋戦争勃発直後で誕生日など記憶に出てこない。終戦直後に小学校入学、食糧難ということは分かる歳になっていた。低学年の頃は、給食のパンにするため、近所の子供同士でドングリなどを拾い集めて学校へ持って行った。

 誕生日祝いの記憶。我が家は両親と子ども5人、祖父母とプラスという大人数だった。誰かの誕生日、母はカマボコを家族の皿に一切れのせた。誕生日の者にはその倍をのせていた。大家族の台所を賄う母の知恵だったと思う。息子の誕生日には友達を囲んで小さなパーティーをしたようだが、私は仕事でその様子は話だけ聞いている。

 近づいた誕生日を前に、10数年来の知人が手作りのリース二つを持参し祝ってもらった。その知人は花については人一倍詳しく、特に「薔薇は恋人」というくらいで薔薇教室も開いている。リース作りは趣味を通り越し、求める人も多いそうでプロ級と思っている。狭い我が家のどこに飾ろうか、家内と相談している。リース材料の花々はよく乾燥されており、大事に扱えばきっと長持ちすだろう。

 誕生祝い、この歳になると孫の声が一番の祝で通してきた。こうして、家族以外から祝われるのは現役の若かりしころ以降ではないかと思う。知人からの祝いの品として大事にしよう。それにしても今月が私の誕生月ということを良く覚えていてもらったものだと感激する。今年も残り2カ月余、いいことがあるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治の信頼回復となれ

2021年10月14日 | 社会 政治

 「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」、今期限りで引退される大島衆院議長最後の発声で、31日への投票へ向けて先生方は突っ走ることになった。その任期満了1週間前であるが型どおりの選挙となる。新内閣誕生から10日ほど、国民に具体的政策の提示の無いままの選挙、前と前々内閣の延長政治と取られても仕方ないだろう。

 選挙前になって文藝春秋11月号への寄稿が話題になっている。それは現職の財務事務次官の「日本は今、国と地方で1160兆円の借金を抱えるのに、これを直視しないまま「ばらまき合戦」の政策論が横行している。黙ってはおれない、と心ある官僚の直言と思える。

 私も読んでみた。家庭に例えれば、給与は変わらないのに借金をどんどん膨らませるという簡単なことだ。このことに対す国への警告でよく理解できた。困っている人を救わないのかと政調会長はまくし立てたそうだが、困っている人は救済すると書かれている。まあ、選挙直前なので与党の反発のすさまじさは面白いが、麻生前財務大臣の了承を得た寄稿という隠れ蓑に興味が湧く。

 そんなことを思いながら、庭で陰に隠れていた千両を表に移した。気づかなかったが名前らしく無数の緑の実がついている。政治は、千両のように見られていなくても勤めを果たす人がまっとうに評価されるものであって欲しい。報道では選挙の争点は経済と一方的に流す。私はまず「何事にも嘘をつかない、何事も隠さない」正直な政治を願っている。何も難しくはない、そうすれば国民は政治を信用する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫の手作り新聞

2021年10月13日 | エッセイサロン
2021年10月13日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載



 今春、孫娘は学業を終え、親元を遠く離れた地で就業した。新型コロナウイルスの感染拡大により、輪をかけて会いにくくなっているので「じいちゃん、ぱあちゃん。元気ですか」と、時に電話してきてくれる。 
 大概、LINE(ライン)を使い、顔を見ながらのビデオ通話。おかげで私ら老夫婦は、従前にない長電話をしている。
 話してくれる内容は、半年になる自炊での工夫やリモートワーク中心の仕事など。「同期の人と交流できない」「帰省は難しい」とも言う。こちらは「必妥なものはないか」。そして、互いに「コロナに感染しないように」と注意を促して終わる。
 そうした中、大きな封書を郵便受けに見つけた。孫娘からだった。「きぽう新聞」と記されていた紙類が入っていた。
 「新聞発行」の勣機が短くつづられていた。「いつも気に掛けてもらってありかとうございます。何かお礼がしたいと考えていたところ、新聞のことを思い出しました。やっぱり、おじいちゃん、おばあちゃんと私をつなぐのはこれかなと・・・」
 他人には分かるまいが、私たち夭婦にはよく分かる文章だ。私は、孫娘が3歳になる少し前から20歳の誕生日まで17年3カ月、月刊「孫新聞」を出した。だが3年前に211号で休刊。最後は「コロナが終息したらお会いしましょう』と結んだ。
 初めての「新聞」にしては、休日の過ごし方など短い文によくまとめている。妻は「じいちゃんのDNAを継いでいる」と繰り返し読んでいる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カーテンが除かれて

2021年10月12日 | 生活・ニュース

 近所で新築の家に住まわれた施主一家は転勤となり、小学生と園児の子どを連れて首都圏に引っ越された。転居あいさつで「うまくいけば3年くらいで戻ってくれるのですが」という若いお母さんの話しに、手をつないだ子供が頷いていたのを記憶している。「待っていますよ」と見送った。

 その跡にしばらくして入居があった。道ひとつ隔てていて自治会は異なるからだろう、向かいあっていても転居してきたの挨拶などはなく、さてどこからだろうかと思っていた。そのうち、関西からの転勤で、3年くらいでまた転勤になる家族、そんな情報が近所から伝わってきた。自粛継続で顔を合わせることもなかった。

 そんな付き合いであっても、近所で何か起きれば助け合わないといけないという心構えはしていた。ところが、先日、引っ越し業者の車が横付けされ、梱包された荷物を運び出しているので転勤だと分かった。最後まで交流の無いことで申し訳なかったが、出発される時は近所の人らと見送った。そのときご主人らしき人を初めて見た。なんでも東北への転勤という。

 空き家になった透明なガラス窓から昼間は室内の天井が見える。日が暮れて灯りが灯らないと何かが抜け落ちたようで裏通りがその影を増す。3年したら、という施主一家の転入情報はまだない。あの子らも大きくなっただろう。私は転勤の内示を受け心の準備はしていたが直前に別のプロジェクトへかわり、転勤は取り消され1度もその経験がない。あの時、転勤していたら、今、ここには住んではいない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする