真赤な彼岸花と相前後して咲くリコリス。彼岸花に似てはいるが我が家のそれは少し趣が異なりあでやかに見える。花が終わり花茎が消えると、その跡は何も無かったかのように落ち着いている。葉は花を見ない、花は葉に出会えない、という不思議な関係にある。そんな関係を表すような「相思花」という名前を私は一押しにしている。
そんな相思花が咲き終わってまもなくふた月、消えた跡に次の代へつながる営みが始まった。土の中の球根は季節の移ろいを忘れずに営みを始め、新しい葉の芽を覗かし始めた。姿を現した葉はこれから伸びて茂り、来秋の開花のための養分を球根へ送る。それを役目として勤め終えると枯葉となって姿を消す。立派な花を見ないままに。
姿を見せないといえば新型コロナウイルス。科学の力で撮られた姿を映像では見れるが、実物は目では見えない。見えないが人には感染という行為で体内に入り悪さをする。時には人命をも奪う。見えない力で人を喜ばせる相思花のような働きに変換できないのだろうか。新規感染者が漸減しているのは喜ばしいが、専門家は第6波への備えを警告している。
リコリスの花言葉は彼岸花に似ている。その色合いから「情熱・陽気・元気な心」などという。確かにそりかえるように開いた花びらと長く伸びた雄しべの組み合わせは、3つの花言葉のどれにも該当するように思える。我が家のリコリスを見た人が「打ち上げ花火のようだ」と表現した。そういわれればそうか、来秋はどんな花火を見せてくれるか楽しみだ。葉の成長を見守ろう。