もうすぐ80歳を少し超えた誕生日がくる。子どもの頃を思い返すと、太平洋戦争勃発直後で誕生日など記憶に出てこない。終戦直後に小学校入学、食糧難ということは分かる歳になっていた。低学年の頃は、給食のパンにするため、近所の子供同士でドングリなどを拾い集めて学校へ持って行った。
誕生日祝いの記憶。我が家は両親と子ども5人、祖父母とプラスという大人数だった。誰かの誕生日、母はカマボコを家族の皿に一切れのせた。誕生日の者にはその倍をのせていた。大家族の台所を賄う母の知恵だったと思う。息子の誕生日には友達を囲んで小さなパーティーをしたようだが、私は仕事でその様子は話だけ聞いている。
近づいた誕生日を前に、10数年来の知人が手作りのリース二つを持参し祝ってもらった。その知人は花については人一倍詳しく、特に「薔薇は恋人」というくらいで薔薇教室も開いている。リース作りは趣味を通り越し、求める人も多いそうでプロ級と思っている。狭い我が家のどこに飾ろうか、家内と相談している。リース材料の花々はよく乾燥されており、大事に扱えばきっと長持ちすだろう。
誕生祝い、この歳になると孫の声が一番の祝で通してきた。こうして、家族以外から祝われるのは現役の若かりしころ以降ではないかと思う。知人からの祝いの品として大事にしよう。それにしても今月が私の誕生月ということを良く覚えていてもらったものだと感激する。今年も残り2カ月余、いいことがあるかもしれない。