明日の日曜日は参議院議員の補欠選挙、次の日曜日は衆議院議員選挙と国政選挙が続く。各党の公約、目を閉じて聴くと、日本には金を無尽蔵に作れる「打ち出の小槌」があるかの如くばらまき策が多い。生活が厳しいといわれる今の時世に合っているのかもしれないが、余りにも安易な政策に聞こえてしょうがない。
コロナ禍で社会の様子がおオーバーにいえば一転した。総理はこれを改めるため長く続いた新自由主義から転換し、新しい日本型資本主義体制にすると公約された。その具体的な内容は示されていないが、中間層の拡大を図る方針と読める。当初の発言と内容が若干後退してきているのが気になるが、地位を占めるまでの策であったでは困る。
そんななか、選挙報道の写真でおやっと思う写真が流れている。候補の掛けるタスキに「衆議院議院候補」と書かれている。冗談ではなく名も顔も知られた方がマイクの前に立ち握り拳を構えている姿。国民は院でなく員を投票するのだが、気づかないのか何かの忖度なのか不思議だ。
私は選挙権を得てから1度も棄権したことが無いので、投票率の低さをいつも嘆く。投票に行かない人の報道される声の中で「何も変わらないから」という一般受けする声がある。変わって欲しいと思うのなら、なおのこと投票に行かなければ変わらないことになる。OECDの中でも日本のそれは低すぎる、特に若い人のそれは他国の半分にも満たないという。安全運転のため確認するカーブミラーを見るように、公約を吟味し投票に行こう。