日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

最後の空の旅

2019年12月19日 | 生活・ニュース

 報恩講、「親鸞聖人の御命日を縁とした報謝の集い(浄福寺寺報)」。毎年、この時期に3日間にわたり行われ、その年最後の寺参りとなる。年間数回行われる法会に中で集う人が多い。その年1年への報恩への感謝の気持ちからだろう。「お会いするのはいつも本堂ですね」と幼馴染から声を掛けられ、「ご縁でしょう」と笑いあった。

 いつの集いでも、仏法に関する話が「法話」として毎回変わった視点から教えられる。誕生も死も今は多くが自宅でなく病院となった。いろいろ話の進む中で「お骨に対する敬いが次第に薄くなっている」、それにつれて親子を含む人と人の繋がりが疎遠になり鬱陶しく感じる世になっている。法話で各地を回られる講師の法話はその具体例があるため理解し易い。

 金婚式を終えたばかりで妻を亡くした人。関東から九州の墓へ納骨のため骨壺を鞄に入れ空港で手荷物検査を受けた。「お預かりします」という職員に手に持って搭乗したいと了解を得た。着席したら客室乗務員がやって来て「隣の席を確保しました。鞄を乗せお二人で旅をしてください」といいシートベルトを掛けてくれた。お骨に対する航空会社の姿勢に講師は感動したと話す。聴く方も涙目になった。

 「隣はなにをする人ぞ」、そんな社会になって久しい。そうなった原因は各方から発せられているが、少子高齢化も絡み終息しそうにない。解決のひとつに「お骨」への意味合いを思いあうと、これまでとは違った人と人の関係が見え始めるのでは、法話の資料を見返しながら思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする