日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ここが銀座通り

2019年03月01日 | 町かど

 昼下がり、人影のない数百㍍の直線路を歩いているのは私一人。向こうからやって来た二人連れに声を掛けられた。手には錦帯橋周辺の案内図があり観光の人と分かる。「この通りは確か銀座通りではないですか」。「そう呼んで賑わった時もありました」と答える。聞くと、数十年ぶりの岩国ということだった。あまりの変わりように驚き尋ねたという。

 立ち話をしたのは臥龍橋通りとかっての銀座通りが交差する位置で塩井印房や桧山文房具店のあった付近から少し下ったあたり。この辺りで営業中の店は時計と電器の2店舗だけで寂しい。シャッターの降りていないのは駐車場に変わった空き地、先日も昔の遊技場が解体になった。旅の人は住んでいる九州で古い商店街は同じ傾向と話される。

 旧銀座通りは、子どものころと少しもかっわらない車の離合も容易でない道幅、現在の車社会に適応出来る商店街作りは大変なことは分かる。銀座と呼ぶ時代は自転車か徒歩で商店街へ買物に行く、それで用が足りていた。年末年始は上野アメ横くらいの混雑ぶりで活気があった。それは昭和40年代の中ころまでの思い出になる。

 同級生の3代目店主が店を閉め店舗を解体し駐車場にした。古くからの店は1店1品種なのでいくら良品をそろえても、大型店舗の品数には勝てない、と努力だけでは続けられないと話していた。この旧商店街を歩くたびそれを思い出す。観光PRでは城下町とよぶが空々しく感じることもある。残念だが私には何もできない。
コメント (2)
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