正岡子規の句「毎年よ 彼岸の入りの寒いのは」、これには「母の詩、自らの句となりて」という前書きがあり、お母さんの口癖が俳句になったという。三寒四温は春来る前の寒暖の周期を表した言葉である。今年も、句にあるような異常な天気が全国的な話題になった。では何が正常で好ましく、何が好ましくない異常なのか考えると、三寒四温は気持ちを落着かせる言葉のように思う。
先日の例会で「椿と山茶花の違い」の問いにズバリ即答ある。そんな椿の句「赤い椿 白い椿と落ちにけり」という句、「赤い椿がポタリと落ちたかと思ったら、白い椿もポタリと落ちた」だけの何でもない句、と思ったら、正岡子規は「ありのままを描く、その淡々たるところ」が評価できるという。素直に聞けば何も言えない。
「暑い、寒い」「正しい、正しくない」「美しい、美しくない」、そんな判断は自分の価値観の中でしかも物事を見ていないと指摘される。そのことが、都合の良いときは自分の手柄、それが悪いときは他人の落ち度と非難することに、悲しいかな人の醜さがあると賢人は言う。
今日は彼岸の入り。三途の川の向こうは仏様の世界で彼岸と呼び理想と悟りの世界、我々の住むこちら側は此岸(しがん)といい四苦八苦を繰り返す世界という。春分の日の3日前を彼岸の入り。では春分(秋分)の日を決めるのは、昼と夜が同じ長さの日ということで国立天文台が決めている。この日は太陽が真西に沈む、浄土は西方にあると説かれたことから、先祖供養として墓参りが始まった、という。