「話はどこでどう転ぶか分からない」という。思わぬ展開があるということだろう。先日、車の自動運転車について実用化はいつだろうかという話が、我が町の狭く曲がりの多い道でも使えるのか、期待するが気がかりな話題になった。話の終わりに「錦帯橋はその昔は国道だったと聞いた」という話に誰もが驚くというより信用しなかった。
錦帯橋は1673(延宝元)年に、洪水にも耐える恒久的な橋の建設を目指し、第3代岩国藩主・吉川広嘉の命によって架けられた。日本三名橋の筆頭、三奇矯のひとつとして知られる木造アーチ構造で世界的にも例がない。幾度か台風や洪水で被害を受けたが都度修復を行い観光のシンボルになっている(いわくに通になろう参照)。
国道は国が政令で指定した道路の総称で、標識は丸みを帯びた逆三角形で知られる。国道が制定されたのは1876(明治9)年であるが、錦帯橋はその翌年に国道に指定されている。当時、錦川を渡る事が出来る橋は錦帯橋だけだった事が理由という。1914(大正3)年、錦帯橋下流に臥龍橋が架けられ、こちらが国道となり錦帯橋は市道になった。1966(昭和41)年に錦城橋の完成で同橋が市道となり錦帯橋は外れた。
思いがけない経緯から知った錦帯橋の昔話。そういえば何年か前になにかの資料で見た記憶があり考えてみたが思い出せずにいた。それが思いがけないところから出た。ということで私が短時間で調べた資料と見比べたら大きな違いはなかったので自信をもって載せる事が出来た。その資料は市民活動支援センター編「岩国のへぇ~」(2011年6月)、有り難う。