日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

彼岸花の葉

2018年01月11日 | 自然 季節

 「吐く息に 夢が広がる 冬の宿」、小学5年生の作品。今の季節を詠んだ5・7・5、こんな寒い季節に彼岸花の話しとは季節違いも甚だしい話ですが、まあ聞いてください。彼岸花は茎の先に多数の花を咲かせる。花の色は赤が一般的だが白や黄、桃なども見かける。正式な名称は彼岸花であるが曼殊沙華とも呼ぶ。

 彼岸花は田の畔などに秋の彼岸のころに突然咲き始めたかと思えば急に消え失せている。その姿は「花のあるとき葉はなく葉のあるときは花がない」と言われる。しかし力強い葉は今の時期に茂っている。

 花が枯れ丈夫な茎が倒れやがて冬の兆しを感じ始める11月頃になると鮮やかな濃い緑色の葉が地面にのぞく。すくすくと伸びるに従って細長い葉の中央を白い筋が走っている。秋の開花のための養分を根に送る働きをするという。こんな姿から「葉は花を思い花は葉を思う」ことから相思花として親しむ風習があるという。

 昨秋庭に咲いた彼岸花、押し合いへし合いの状態で花同士が小競り合いをしていた。花が終わったところで球根を掘り起こし植え替えた。と言っても初めてで経験のないこと、心配していたが細長いい葉が寒気に負けず伸びている。このまま葉が育ち夏のころ葉が消え、茎が伸び花が咲く、これからの一連の流れを観察していこう。
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切り干し大根

2018年01月10日 | 生活・ニュース

 諸種事情はあるようだが野菜の高騰がニュースになる。年末のころ、白菜1株約800円、大根1本300円強、みず菜1束300円などなど、スーパーの表示価格に驚いた。高齢夫婦の家庭では買いづらい、手を出しにくい、そんな野菜売り場だった。それでも年末年始のお節や鍋料理には欠かせない食材ばかり、財布のひもは緩んだだろうか。

 こんな文章に出会った。昨年から続く野菜の高騰、鍋に入れる野菜の種類や量に頭を悩ます。例年なら「野菜をしっかり食べてね」と言うが、この冬は「野菜をよくかんで味わって食べてね」。そんな対策の一つに大根やカブの葉を使う。これは冷え性や肌に良いので積極的に使うとある。作者の年齢から育ち盛りの子供さんがおられると思う。

 我家では祖母の時代から大根やカブの葉は炒め物や漬物にして食べており、今も続く。大根葉を食べると話したら驚いた人がいて逆に驚いたことがある。子どものころには「大根人参大嫌い、今日も母さん太鼓煮てる」そんなじゃれも言いながら遊んだことはある。野山を駆け回って遊んだ後の夕食、好き嫌いを言ってはおれなかった子ども時代の空腹、菜園の大根も人参も貴重な食材だった思う。

 年末、白菜や大根、カブやネギなどをいただきスーパーでの買い控えが出来た。そんななかこの冬も大根を切り干しにした。母や祖母は包丁で切っていたが今はベンリナースライサーがあり、妻が切り歯の調整をすれば私でもできる。乾燥した冬日を浴びた切り干しの味は、咬むほど増す甘みは自然のそのままで子どものころと変わらない。保存食として長く楽しめる一品と言える。
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写真で監視の世

2018年01月09日 | 社会 政治

 先日、久しぶり見に出かけた消防出初式のことを書いた。複数の人から「消防車は何台くらいいるのか」と聞かれた。ブログでは50台くらいと書いたが、これは感じで数えたわけではない。放水を見ながらパノラマにしたら面白いかもと思い、放水が終了したところで、4枚くらいに分けて全体を撮っていた写真を活用してみた。

 パノラマ写真は広い視野を撮影した横長の写真をいう。パノラマ専用のカメラを使用して撮影するそうだが、そんな高級品を見たことは無い。これまでの様に、我流でカメラを左から右に、水平移動するように心掛けながら撮って、繋ぎ合わせた。上下の不要部分をカットすればそれなりのパノラマ感が出せた。

 パノラマにして数えたら台数が検証できるが50台より少なかった。最近、都会では街中で監視カメラが動き防犯だけでなく事件や事故の捜査や検証などに利用されている。大型店舗だけでなくコンビニでも同様の役割を果たしている。スマホカメラの進歩で、街中の事件や事故もマスコミが到着する以前の映像が報道される。最近のドライブレコーダーの普及を見ればよく分かる。
 
 素人写真でも事件や事故の検証や証明に利用される。常に監視される社会の中にいることになる。いやなら閉じこもっていることになるが、それは出来ない。明日は110番の日、いつも潔癖、晴天白日の身で過ごそう。
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「その日始め」心掛け

2018年01月08日 | エッセイサロン
2018年01月08日 中国新聞「広場」掲載

 仕事始めの記事を読みながら、それに縁のなかった職場時代を思い出した。30代半ばくらいまで、化学製品の製造プラントで3交代勤務をしていた。連続して安定・安全運転をすることが毎日の仕事で、仕事始めなどという区切りはなかった。
 プラント運転ではちょっとした油断は事故や災害につながる。毎日の運転や安全についての始業前ミーティングが重要な仕事始めだったと思い当たる。
 年末年始の勤務によっては、タワーの頂上から瀬戸内海に昇る初日の出に何か手を合わせた。思い返せば、ぜいたくな経験をしていた。
 昔、農村では田畑へのくわ入れ、山村では木の切り始め、漁村では舟の乗り始め、商家では初売りや初荷を仕事始めとしたとある。
 現在は官庁、企業とも職員を集め、幹部の訓話が一般的となっている。それに比べると、昔の仕事始めはそれらしい実感が湧く。
 今年からは毎朝、「その日始め」を実行したい。平穏に過ごせることを実践し、人に迷惑を掛けないように心掛けたい。
 
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ことばを形に

2018年01月07日 | 生活・ニュース

 「火の用心 ことばと形を 習慣に」、これは配布されてきた今年の防火標語。時代劇では拍子木を打ち鳴らしながら夜回りするシーンは、更けゆく町を思わせるに欠かせない。現在は年末になると消防団員の夜回りがある。以前は拍子木が鳴ると「ご苦労さまです」の声掛けをしていたが、住まいの地区は最近、消防車で巡回となりそれは出来なくなり夜回りの情緒が消えた。

 乾燥しているからか、不始末なのかとにかく火災のニュースが多く、その度に死者が発生している。近くでもここ数年で4件の火災があり、うち2件は目と鼻の先、1件は飛び火を警戒しガレージの屋根に散水した。幸い難は免れたが改めてその恐ろしさを体験した。もう1件は家財搬出を手伝ったが、炎によって窓ガラスが破損する音と破片の飛散には恐怖を覚えた。

 恒例の消防出初式の放水が錦帯橋下川原であった。何年かぶりに出かけた。花火を合図に50台余りの消防車から一斉に空へ向けて水柱が昇る。体感的には暖かく、風がないので水しぶきの飛散もなく見学には絶好の日和だった。全消防車のサイレンの音と赤色灯の回転はこうした舞台でだけにしたい。

 出初式は市消防職員や消防団員などの関係者で行われいる。消防団といえば江戸時代の町火消、いろは組等が設けられた。それを主導したのはご存知、南町奉行の大岡忠相という。次第にその能力が認められ活動範囲に武家地など重要な役目を担うようになった言う。現在は火災だけでなく自然災害時の対応も重要な任務になっている。火元にだけはならない、夕食時に妻と話す。
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おみくじあれこれ

2018年01月06日 | 生活・ニュース

 初詣、さまざまな願いを二礼二拍一礼の作法通りに済ませる。続いておみくじを引く。最近は自販機なので引くというより買うという方が実感に合う。作法通りにお願いした事の吉凶をうらなうくじ、開くまでの緊張感はは若いころのこと、今は、さてなんと出るか、などと鷹揚な気持ちで開く。吉凶どちらが出てもそれをこなせるようになった。

 立ち読みしていたくじを境内隅っこの小枝に結んだ若い女性、大方の人が結ぶ場所を避けたのは何故だろうといらぬ疑念がわく。とにかく、占いの結果をすっかり信じて人目に触れないようにしたのだろう。「おみくじは憎やとばかり思いこむ、おみくじに願い成就と思いこむ」、さてどちらだろうか。

 折角ならおみくじは末吉でも小吉でも吉の付く方がいい。そして幾つかの占いごとのうちの一つでも、今の自分によく似かよっていることがあれば気分はよくなる。おみくじ、いつまでも覚えてはいないが、何かの折にふと思いだすかもしれない。おみくじを結わえながらあれこれ思う。

 苦しいときの神頼みという。信仰心薄い人が苦しい時や困った時に神仏に助けを求めることをいう。今年のおみくじを引いたことを機に手を合わせることを習慣付ければ神仏はきっと願が叶う力を授けてもらえる、そう思いこもう。それにしてもおみくじの値段で無数の人の無数の願いを聞く神の力の偉大さを知る。
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枯れすすき

2018年01月05日 | 自然 季節

 今朝方まで雪という昨夕の予報。それならと雪を見てあわてるよりと、電池は充電済みと入れ替えるなどカメラの準備をして床に就いた。寝返りの時、雪にしては冷え込まないと思いながら再び寝入る。起床時間の時報に促され床を抜ける。玄関の扉を開く、無情かな音もなく小雨が降っている。「小寒」と「雪」、この絶好のタイミングへの期待は明けやらぬ5時の彼方に消えた。

 今朝の気持ちは「小寒の氷大寒に解く」に似る。大寒がかえって小寒より暖かなことがる、物事が必ずしも思い通り順序通りにゆかないことを表す。大寒は非常に寒い時期を表すが、今月20日が大寒、2月4日の立春までは暦の上では寒さを覚悟しなければいけない。今日の最高気温は6度台、風のない午後、お節疲れの身体を戻そうと散歩する。少し汗ばみ寒を忘れる。

 青芒は夏の季語、穂の出た花芒はやがて冬の枯芒となる。枯れ芒の風情も捨てがたいと歌人はいう。近くの中州は上流からの流土が自然に堆積してできた個所で、草木を始め小さな生き物が自然に宿っている。その中でススキは他を圧倒する生命力で川の風景を形作る。しかし、冬ともなりと夏の勢いは消え、来春へ備えるため土に帰る。

 そんな枯れススキの茂みの中に1本、普通の背丈の半分もないススキが白い穂をつけて立っている。風が吹いていれば穂をなびかせ存在が示せるが穏やかな冬日で叶わない。小さなススキの傍の茂みから野鳥の鳴き声が聞こえるが姿は見えない。思わぬところに生き物の気配を感じ、万物の霊長が寒さに縮こまってはいられない、そう思いながら散歩を続ける。
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仕事始め

2018年01月04日 | 生活・ニュース
 

 今日は仕事始め。昔はその年の労働の安全や技能の上達を願うならわしがあったという。農村では田畑に鍬を入れ縄作りの作業を始め、田の神を祀って米や餅などを供えた。山村では山の神を祀り木の伐り始めを行った。漁村では船霊を祀って舟の乗り始めを行い、商家では初売や初荷が仕事始めとした。今は従業員を一同に集めて行う幹部の年頭訓話がニュースとなるが、昔の仕事始めはそれらしい実感が湧く。

 30代半ばくらいまで化学工場のプラントで3交替勤務をしていた。連続して安定安全運転することが当然のことで、仕事始めなどという区切りは無かった。年末年始の勤務によっては、タワーの頂上から瀬戸内海に昇る初日の出に何度か手を合わせた。今思い返せば、新しい年の迎え方としてはまれで贅沢な経験をしていたことになる。

 今日も家にいて救急車のサイレンを何度か聞いた。出かけた時にはすれ違ったし、散歩の途中では走り行く車両を見送った。こうした救急車をはじめとする市民の安心安全を昼夜を問わず守る業務に従事する職場には仕事初めの式典は無いだろうが、どんな区切りがあるのだろう。昔、諸官庁では執務を始めることを御用始めといったがこれは改まった。

 プラント運転ではちょっとの油断が事故や災害へ繋がる。そういう意味では毎日の始業前ミーティングは「仕事始め」に当たる。年齢を考えると毎朝「その日始め」で平穏に過ごせることを顧みて実践し、人に迷惑を掛けないように心掛けて行こう。
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筋書きのない駅伝

2018年01月03日 | 生活・ニュース

 駅伝のために正月がある、最近はそんな錯覚すら起こしそうな気配がする。三が日の延べ十数時間に及ぶ二つの駅伝TV中継は、申し訳ないがドタバタ騒ぎのお笑い物よりはるかに面白い。面白さを具体的に言い表すのは難しいが、気持ちが晴れる、愉快、心をひかれる、趣向が凝らされている、良く取材されているなど総合的に判断してということになる。

 もちろん、選手の真摯な走りから伝わる辛苦の姿があればこその話しだが、何れも期待を裏切らない姿勢だった。そこにはスタジオと違い筋書きのないドラマが展開される。練習を積んで心身を鍛えた走る技能がそこここに見られる。タスキを受け取り走り初めて快調さだけでなく不意に出会うアクシデントを耐える姿に感じる。

 第94回東京箱根間往復大学駅伝は、東京・大手町から神奈川県箱根町の往復約210㌔で競う。往路2位の青山学院大学が復路で逆転し、大会記録で総合4連覇を達成した。史上6校目の快挙という。4連覇と言うが「毎回、出場する選手もチームも異なる。一戦ごとの戦いだった」という連覇に安堵しない監督の言葉が耳に残った。

 こう書いているが、地元出身者が出場するとその選手は勿論、出場校まで応援しているから不思議だ。選手は青学3区・田村和希、西京高校卒だが生れは岩国。2位で引継ぎ東洋大が逃げる青学が追う展開だったが記録は区間2位でタスキを繋いだ。さて、次回も地元出身選手が現れて筋書きのないドラマを見せて欲しい。
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狛犬と阿吽

2018年01月02日 | 社会 政治

 氏神様の鳥居をくぐり境内に踏み入れると先ず迎えてくれるのが一対の狛犬。犬とついているが私には一対の獅子に似ているような像にみえる。魔よけのためともいわれる。 

 狛犬の姿は置かれている場所で姿かたちは違っているが口の形は同じで、右側像がぐわっと口を開き、左の像がぎゅっと口を閉じている。口を開いた方が「阿」像、口を閉じたほうが「吽」像で、この一対で、息のピッタリ合うことを「阿吽(あうん)の呼吸」を体現するという。文字にせず、言葉にせず、口にせずとも微妙な気持ちが伝わり「忖度」へと発展しかねない密室の政を狛犬は見抜いて欲しい。

 阿吽の呼吸といえば大相撲界となる。「大相撲すったもんだの年の暮れ」、これは昨年末に投稿欄に載っていた川柳だが、幾つもの糸が絡み合いもめるさまが詠まれている。土俵上での力士の立ち合いは「阿吽の呼吸」といわれ、合わなければ仕切り直しになる。報道だけで断じてはいけないが、相撲協会内の阿吽の呼吸がないばかりか、いくつもの忖度要因があるように感じる。軍配を上げて決着するのかそうでないのか、国技の発展に支障ないよう勝負をつけて欲しい。

 阿吽の阿は50音の最初なので1月、吽はその最後師走12月をそれぞれ表すという。この想像上の動物が年間を通して魔よけとして地域の鎮守の神の役割を担っている。最近、狛犬の研究や調査がちょっとしたブームとかで吉香公園でも行われたニュースをみた。これからは神社を訪れることがあれば撮っておこう、初詣がその初めになった。
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