日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

川の流れ

2018年01月21日 | 生活・ニュース

 川の流れに沿って枯れススキの茂みが広がっている。茂みを押し分け踏み分けてできた様な細い道がある。しばらく進むと畳の2枚か3枚ほどの茂みを刈り取った場所に出た。すぐそばを川が静かに流れている。川釣りを楽しむ人らの場所の様に思えるが姿はない。時には怒りをぶつけるように荒れる流れを忘れたかのように静かに流れている。ふと浮かんだのがこれ。

 🎵知らず知らず歩いてきた 細く長いこの道  振り返れば遥か遠く 故郷(ふるさと)が見える
 でこぼこ道や曲がりくねった道 地図さえないそれもまた人生 
  ああ 川の流れのようにゆるやかに いくつも時代は過ぎて
 ああ 川の流れのようにとめどなく 空が黄昏に染まるだけ🎵
 
 この歌は平成元(1898)年になってすぐに出た。歌う美空ひばりのこの歌に対する心情を書いた短い文章を思い出した。自分の人生に重ねて「1滴の雨が木の根を伝い、せせらぎが小川になる。水の流れがあっちにぶつかり、こっちに突き当たりしながらだんだん大きくなる。やがて大河になり、ゆっくりと海にたどり着く」。日本の歌姫と言われる背景を伺うという。

 天皇崩御の喪に服す間に、自らの体調から現役引退を余儀なくされ、最後となったステージからわずかの間に還らぬ人となった。思えば、自分の運命をたどった曲の様に思える。足下の流れはまもなく海にたどり着く。ここまでの長旅の疲れを見せず穏やかに旅のおありに向かってゆっくりと流れる。我もこうありたいものだと思い流れを見送る。
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みんなの本

2018年01月20日 | 地域

 春から園児という孫を連れた知人の女性が「本好きな子どもで、近くに図書館があって助かっとります」と嬉しそうに笑う。子どもは本の入った袋を広げて数冊の本を嬉しそうに見せてくれる。この岩国図書館は、今後の世界は武芸偏重から教育の興隆が必要ということの一つとして吉川家が寄付された。吉川家の願いが入園前の子どもに繋がっている。

 岩国図書館は、1910(明治43)年に岩国小学校(岩小)の付設として設立され、今の図書館は中央公民館に併設の図書館として1973(昭和48)年に本館図書館としてスタート、中央図書館開設後は本館の役目が中央へ移管された。

 現在の建物は3代目になる。初代は岩小付設図書館として現在の教育資料館(三層楼)で発足した。2代目は現在地に「子爵吉川元光」より当時の岩国町に寄付された。祖父吉川経幹公50年祭、経健公10年祭を営まれその追憶の意により寄付されたとある。1923(大正12)年から1971(昭和46)年まで親しまれた。重みのある様式のそれは市民大学講座などもあり中高時代にはよく利用した。

 電子化に押され紙本は苦しい時代だという。長く通うが若い人の来館が少ないかなと感じている。借りた本に醤油らしきシミ、多数の菓子くず、線や丸を色ペンで記入など悪戯もある。願いたいのは髪の毛だけは取り除いて返本して欲しい。報道されるような切り抜きや破り等の破損には出会っていない。書架に並ぶのはみんなの本、大切に読もう。
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AIに書かせたい

2018年01月19日 | エッセイサロン

 「岩国エッセイサロン」の月例会は毎月第3金曜日、今日は今年初めての例会で通算143回目となる。年初めの例会では同人誌「花水木」が配布となる。花水木は、昨年1年の間に新聞などに投稿し掲載された会員の全作品を集録したもので1年間の総括になる。発行に当たっては代表のOさんが編集・校正、印刷関係一切を年末年始の間にこなされ感謝しかない。

 地方の狭い地域の文化団体のこうした同人誌は2号か3号までで終わる、と聞かされていたが途切れることなく続き今年は第12号、これまでの掲載数は千編を越えている。投稿には字数制限があり、252字から600字くらいまでの中で応募している。20人に満たない会だが、年齢を意図もせずエッセイを書くことと、上達方法を学んでいる。

 最近、人工知能(AI)の進化が素晴らしく各方面で活用され効果が高まっていると報道される。その範囲は人の仕事を取り込み人を排除するまでになっている。そんなAIにエッセイを書かせたらどんな作品になるのだろうかと空想する。最新知能を備えた車を運転している人の話しでは、路側帯の白線が薄くなったり途切れていたりすると知能車にはなれないという。地方デビューはまだ先になる。

 そんなAIがエッセイを書くときどんな技術が必要になるのか教えて欲しいものだ。AIは人の様に加齢で衰えてくるものはないので、一旦記憶すれば無限に広がり、誤字や用語の誤使用のない完璧な文章を瞬時に作り上げるのだろうか。ああでもない。こうでもない、などと悩む素人の文章味も悪くはないのだが、そんな比較はいつになるのか楽しみだ。
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寒暖の差

2018年01月18日 | 生活・ニュース

 第23回オリンピック冬季競技大会は来月9日から韓国平昌(ピョンチャン)で開催される。日本選手団も決まり、表彰台へ期待される種目も多くメダル獲得の予測も載っている。このところの国内報道はこの大会にむ韓国と北朝鮮の交渉が大きく扱われている。五輪成功は大事だが両国の協議内容の途中を捉えてああだこうだという推測に戸惑う。そんな影響ではなかろうが週末以降の気象予報について「南と北のしのぎあいが激しい」と寒暖差の大きさを解説する。

 子どものころ一帯は畑だった裏通りを歩いていると、年配の婦人が荷物を路上に置きコートを脱いでいる。体調でも悪いのかと声を掛けたら「寒いけえ出がけによけい着て出たら温うなって汗が出る」と笑いながら立ち話。タイミングよくというか「低温注意報発令」のメールが入ってきた。それを告げると「おかしな天気」と笑いながら行かれた。

 1週間ほど前の冷え込みに比べれば春のような陽ざしを、植えつけられたタマネギが気持ちよさそうに受けている。そんなタマネギを眺めている農家の方に聞くと「去年の収穫はゼロに近かった。今年は何とか期待できそう」と子どもの成長を見守るような目つき。そういえ昨年、何人かの菜園を作る知人から「タマネギはダメ」と聞いたことを思い出した。

 今朝も野菜高騰の情報がTV画面から伝わる。スーパーも売れればよしというだけでなく、多くの客に商品がいきわたる工夫をしている。今なら超安値の野菜、買い占め防止策だろう「お一人さま」に続けて個数制限が大きく記入してある。高騰原因の一つに気象不順が挙げられている。健康に欠かせない野菜、その安定供給は気象の安定に祈るしかないのだろうかと考える。
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広辞苑の補訂版

2018年01月17日 | 生活・ニュース

 昨年5月に亡くなった作家の杉本苑子さんは随想の中で「葬儀も墓も無用、骨は海にでも撒いてしまって欲しい」と書き、続けて、「文学者の墓の自分の名の下に「使い古した『広辞苑』を一冊埋めてくれ」と遺言されたという。広辞苑を引きながら創作を続けられたのだ、そんな姿が浮かぶ。そんな広辞苑第七版が「愛情と信頼に応えて」と銘打って第六版から10年目に発行された。

 持っている広辞苑は1976(昭和51)年12月1日発行の「第二版補訂版」、定価4600円とある。二千数百頁あり、重量はよいしょというくらいの重い。購入の動機は記憶していないが、初版から20年ほど過ぎている。私の本棚で40年以上暮らしたことになる。小さな文字で少々読みずらいが、どのくらい活用したのだろう。繰って見ても傷みはない。

 補訂版の発行は第二版のみで他の版では発行されていない。第二版発行から7年目、第三版はその7年後の発行だから丁度中間にあたる。以後の発行は10年以内だから、補訂が必要となったのだろう。補訂の意味を補訂版で引いてみると「補い訂(ただ)すこと」と短く載っている。新しい言葉や解釈が増えてのことという。その際、編集上の工夫がされ増頁は避けたとある。

 電子辞書を使い始めて何年過ぎただろう。数多くの辞書類が収録され携帯も便利で重宝する。先日その液晶が不良になり買い換えた。広辞苑の第六版を始め数十種類の検索ツールがあり、カラーで音声、図録も豊富と大きく進歩している。補訂を引いてみると「補い訂正すること」に続いて、参考に「補訂版」という説明が追加されている。紙の辞典・辞書を引くことは無くなるだろう。ただ、唯一発行された補訂版は貴重な1冊として本棚に残そう。第六版「阪神淡路大震災」は説明の後、「第二次大戦後の日本で最大の災害となる」と載っている。あれから23年、ご冥福をお祈りします。
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街はどう変わる

2018年01月16日 | 地域

 写真は1626(寛永3)年に創建された氏神様の椎尾八幡宮の石段を80段余り上がったとこから撮ったもの。ネットは転落防止用に設けられたもので、眺めより事故防止が優先のあかし、安心してお参りできる。近々発生すると予測される大地震で、津波が発生し避難するときはここの境内か最適かと時々思うことがる。

 パノラマ写真のいたずらで湾曲して見える手前の道は錦帯橋バスセンターから岩国小学校までの片側1車線の直線道路。中央で奥に直線で伸びる道は臥龍橋通り。何れも昭和30年代の初めころに完成した。臥龍橋通り、かっては昭和時代の商店街で、道幅は狭く、雨の日の登下校時にバタンコが通れば商店の軒下に避けた思い出などがある。防火帯と教えられたが、幸いにもこれまでその役目を担うことは起きていない。最近、駐禁にすべく検討中と聞いた。商店にとっては大きな問題、運転者には朗報、どうなるだろう。

 中央部の更地、ここには1924(大正13)年2月に移転・再建された錦座、後の錦帯劇場のあったところ。変遷をえてスーパーとなり地元には欠かせない存在だったが数年前撤退、地域の人らは買い物難民と笑いながら話すが状況は変わっていない。更地には観光客向けの錦帯橋テーマ館らしき建設計画があり、建設に賛成する近隣は少ないという声を聞くが工事準備は始まった。

 城下町と称される一帯、子どものころの賑わい復活は無理でも街並みを活かした策はないだろうか、最近、錦帯橋近くで閉店し灯りの消えたガソリンスタンドの大きな店舗が賑わっていたことを思い出しながら散歩をしている。
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1万分の1の幸運

2018年01月15日 | 生活・ニュース

 お年玉付き年賀はがきの抽せん会が昨日行われ当選番号が決まった。毎年この日は年賀状の読み返しの日としており、昨夜も住所録順に並べた年賀状を「あ」から繰っていく。元日のような気ぜわしさがなくゆっくり読んだり、家族や旅の写真などはゆっくり眺めなおす。ある後輩の家族写真は中高生の子どもの全国大会出場とその優秀な成績が記されている。五輪目指せと改めてエールを送る。

 年に1度の賀状での情報交換、年々増えるのが「今年限りで」としたためられた内容、今年は例年になく多かった。。それぞれの事情があり「それは困る」と言えるものではなく長い厚誼に感謝するしかない。賀状交換があればこそ知ることが出来る情報から旧知の人を改めて思い出し、お世話になったことなどを顧みる。

 さて、例年の通り切手シート当選番号の下2桁の当たり番号から探す。確率は100本で2本、160枚ほどを繰り終えて当たりはなんと1枚、最近の最低、前後賞があれば10数枚増えるがそれはなし。次に2等の下4件、これまでの実績から期待することもなく繰っていく、4分の1くらい確認したところで「3260」があった。後で知ったが2等の確率は1万分の1という。これまでは長年切手シートのみ、今年は何か幸いな年になるか、そんな予感を抱く。

 その当たりはがきは千葉県在住で定年退職されているかっての同僚Oさん。この方の賀状には毎年、頭を垂れている。文面構成から、送り先個人別に書かれている。今年も約350字ほどの中に私のブログの内容が織り込まれている。今年も読みながら、こうあるべきかと思いながら私には真似ることは出来ない。2等は39種類の商品から選ばされる、これは難問であるが急ぐことはないので熟慮しよう。Oさん有り難う。
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運転停止に

2018年01月14日 | 地域

 南バイバスを南進しR188との交差点に至ると2本の煙突と送電用の鉄塔が目に迫るのは中国電力岩国発電所。同所は石油火力発電所で1号機は廃止され現在、2号機と3号機が出力85万KWで稼働している。稼働は1966(昭和41)年というから50年をこえる。藤生の海岸線になくてはならない物、市民にはそんな感覚もある。

 この発電所は来月運転停止になると聞いたが、市民への情報はあったのだろうか。停止理由は分からないが停止後の同所の管理は中電で万全な対策を講じられることを願うしかない。それよりも停止による地元経済への影響はどの程度あるのだろう。そちらが心配である。

 一方で、石油でも石炭でも大気汚染や温排水の問題を抱えている。停止が瀬戸内の環境改善の一助になるのだろうか。現に三隅に計画されている中電の石炭発電所建設については環境省から厳しい注文が出され、中電は対応に迫れるとの報道を目にする。

 発電所国道側には広いこんもりとした緑地帯が続き、その海側に広がる設備をうかがい知ることは出来ないが、停止後の新たな活用策はまだまだ先のことだろうが、でもあの緑地帯は残して欲しい。市内中心部の緑を失った愛宕山跡地を思うと緑の大切さを改めて思う。
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解ける

2018年01月13日 | 社会 政治

 雪かきする人がインタビューに答えて「積雪が例年の10倍」という映像を見た。雪国の人でも驚くほどのこのところの積雪は異常な冬への表現だろうか。通勤に通学に物流にと大きな影響が出ている。先日は積雪で動けなくなった列車が、乗客を乗せたまま10数時間も立ち往生した。受験準備中の若い人も大勢乗車していたと言うが、車内で共通一次試験の受験勉強をした生徒もいたという。

 その通称「センター試験」は1月13日以降の土曜、日曜日に実施されることのなっているという。北国の先日来の大雪で受験生の足を心配していたが、時間遅れで開始された試験場もあったが大きな混乱は無かったと昼のニュースを聞きほっとした。2日目の明日も混乱なく受験出来ることを祈る。

 受験生に言ってはいけない言葉がある。頑張れ、落ちる、滑る、長いメッセージ・・・、幾つもあるらしい。受験生は頑張っているのだからさらにガンバレは「お前は努力していない」と言われるに同じ。「きっと勝つ」でおなじみのキットカットを渡したら喜ばれたというあるお店の人、CM入りかもしれない。

 大雪の道、凍てついた道、そこを歩く受験生の足元を心配してつい口にしてはいけない言葉が出そうになるがしっかり我慢して欲しい。そんなとき「氷は融ける、試験問題も解ける」と言ったとか。問題をはらんだ新設大学、昨春の入学合否の誤判定の始末など、幾つか未解明の問題はあるが、受験生は気にせず「問題は解ける」と信じ力を発揮して欲しい。
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高齢者の悩み

2018年01月12日 | 社会 政治
 
 70年余、平和な時を過ごしているが、国内的には戦争という時期があった、それは「交通戦争」。昭和30年代中ごろから「産官学」一体となった政策で「中卒就業者」は金の卵と呼ばれ全国から集団就職列車が都市へ向かい、日本の高度経済成長の担い手となった。それに合わせるかのように自動車の数が急増、合わせるかのように事故死者も増加した。

 急激な車社会の出現は運転する者、歩く者、何れも慣れない者同士で余り経験の無かった車による事故が増えた。人だけが原因でなく車社会の進歩にインフラが追っつかなかったことも大きな原因と思う。昭和40年代に入ると3交替勤務者は便利な自家用車通勤が増えた。それに伴いバスの運行数が減り、私も仕方なしに車通勤に変わった。

 10日ほど前、昨年の全国の交通事故死者数が発表された。前年より210人減の3694人という。これは戦後最もすかなかった昭和24年3790人を68年ぶりに下回った。昭和30年代の5分の1近いという。運転者の意識の向上に合わせ車の安全装備、法の改正等が寄与していると思う。ただ、高齢者の死傷者数は高止まりのままという。

 確かに、高齢者の被害・加害に絡む報道は毎日のようにある。どちらになっても良くはないが加害だけ絶対に起こしてはいけない。80代半ばの知人が免許更新の通知が来たが、どうしようかと悩んでいると話す。高齢ということで返納したとたん生活態様ががらりと変わり老け込んでしまった知人がいる。事故減になるかもしれないが人として大切なものの返納にも繋がる。ゴールドを返納する時期はそう遠くない歳になった。よく考えておこう。
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