日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

新たにオオサンショウウオ

2017年06月20日 | 地域

 国の名勝・錦帯橋の架かる錦川は清流として知られる。その錦川沿いを走る三セクの錦川清流線は四季の風景をめでる観光列車など地域に密着した交通手段の一つになっている。清流線終点近くに宇佐川という錦川の支流がある。ここの鮎は姿や味などで日本一を何度か獲得している。その宇佐川は本州最西端といわれるオオサンショウウオの生息地として知られている。清流線の車両にはその大きな姿が描かれ、始めての人を驚かせる。

 宇佐川では堰堤で行き場を失うなどして弱ったオオサンショウウオの個体を保護し地域で飼育監視している。天然記念物のため手続きを得てのことではあるが、その様子を見学したことがある。地域住民皆さんが保護について熱心に取り組んでおられることに驚いたことを忘れてはいない。体調の快復した個体は清流へ戻されるが簡単ではないという。

 そんなオオサンショウウオが宇佐川からいくつかの山坂と川を越えた市内北西部の盆地で7匹生息しているのが見つかった。きっかけは地元の子どもからの情報だった。昨年10月に3匹の生息を確認されていたがこれほどまとまって発見されたのは初めて、地元小学児童らの喜ぶ顔が映像で流れた。児童の「天然記念物なので保護します」という元気な返事にエールを送る。

 発見された大きな個体は重さ3.3㌔、体長82㌢、大きさから推定して50年以上は軽く生きている「主」的な存在という。この地域では約10年前に確認されたのが最後だったという。調査された個体はマイクロチップを埋め込まれ再び川に放された。これの生息は清流の証でもある。これからの取り組みに期待する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

税込み236円

2017年06月19日 | 生活・ニュース

 物価上昇2%アップが日銀と政府の経済政策の大本、金融の大緩和や三本の矢など打ち出す政策の効果は国民目線には見えず、言われるほど経済はよくなっていない。いろいろな方法で手段で値上げはされているが目標に届かず、現行の金融政策が続く。物価の継続的な上昇は経済発展に欠かせないというが、生活安定の見極めがついてからに願いたい。

 国の思い通りにならない原因の一つに、消費者が賢くなったと指摘する声がある。1例はチラシで価格を比較し、ポイントサービスの多い店を利用する。無駄な買い物をしなくなったなど言われる。株価はかなりの高額に達しているが、米国の株価変動、為替の値動きなど外的要因での動きが大きく日本経済の実態との関係が分からない。

 アンパン、クリームパン、メロンパン、カレーパン、ふんわりちぎりパン5個の値段が税込みで236円。粗製乱造の品でなく味は店頭品と変わらない。というのは何度も利用しているので言い切れる。始めて利用した日、安さに驚きついつい買いすぎ、賞味期限のこともあり夫婦では処分できずおすそ分けした。それ以後そのようなことのないよう賞味期限を含め注意している。今日買った物は賞味期限切れ間で3日ある。

 こうした安売りは消費者としては助かるが、日本経済に与える影響はどうなのだろう。消費者はそこまでは考えない、安売りのパン屋さん、お昼を過ぎたころだったが今日も主婦、家族連れなど何組かが店内で買い物。消費者としてはいつまでも続いて欲しい、そう思いながら店を後にした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノンアルコールビール

2017年06月18日 | 生活・ニュース

 ある宴席、連日続く乾燥注意報下で夏日のような暑さなら乾杯はまずビールだが、都合あってマイカー出席なのでアルコールは厳禁。昔なら「そうわ言っても始めの一杯だけ」とグラスを強引に握らせ勧めていたが、車社会のルールとして無くなった。今は勧めた者も罰せられる。最近はどこの施設でもノンアルコールが必ず準備されている。

 冷たければのどの渇きはおさまるが、アルコール有りの喉に染みわたる美味さは何とも言えない。最初の一杯は生き返ると感じることはある。その点、ノンアルの場合は意識しているからか生き返るという比較はしない方がよい。でもビール気が無いよりは有った方がいいに決まっている。父の日に子どもから届いたビール、先日の宴会を思い出しながらこの夏はしっかり飲めると喜ぶ。

 ビールの価格を下げて飲んでもらおうと各社は競って安いビールを研究し開発し売り出し、消費者の大きな支持を得た。それなのに税額を上限一律に、怪文書ではないがそこらの説明をしっかりして欲しい。怪には怪しく不思議という意味があるが庶民には分かりずらい政策だ。税収増の恩恵は庶民に還元されるだろうか。

 普段飲まないノンアルコールビールだが、これにもいろいろあるという。麦芽100%、カロリー・糖質オフ、特定保健用食品のトクホ指定、フルーティー品、輸入品もあり嗜好に合わせて飲める。好みはそれぞれだから選択肢の多いのはいいことだ。飲酒運転防止に欠かせなくなったノンアル商品としてはいい。アルコールに対し煙草の自動喫煙防止は与党内の反対強し、行くすえが心配になる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祖母とトウモロコシ

2017年06月17日 | 生活・ニュース


 農家の方「とにかく適量の雨が降って欲しい」、その話し方は切羽詰まっていることを思わせる。稲の植わっている田に水不足から早くも亀裂の入った報道もある。出されている梅雨入り宣言、改めて出されるのでは、そんな冗談も聞かるくらい梅雨らしくない。来週半ばころには雨が降るか、そんな予報も出ているがどうなるか。それにしても沖縄地方の水害が心配だ。

 共同農園にも一雨欲しいのは同じだ。そこのトウモロコシ、昨年は鳥獣被害もあり収穫したという感覚はあまり残っていない。今年はプロの目にもいい感じの生育状況というから期待している。そういえば花もしっかりついていて素人目にも元気そうで収穫が楽しみと知人に話したら、「それはトウモロコシとは言わない、スイートコーン」と訂正が入る。

 呼び方違いで物は同じ、と思い込んでいただけに疑問に感じた。同じ疑問を持っている人も多くあり一安心したが、思っていることは間違っていたようだ。要約すると「トウモロコシの品種の中にスィートコーンがあり、スィートコーンは人間がそのまま食べられる品種」という。それ以外は家畜の飼料や澱粉材料で直接口にするものではないという。

 子どもころ菜園の隅に、祖母がおやつ用にと植えてくれていたのをトウモロコシと呼んでいた。それでは飼料用を直接口にしていたことになる。祖母が孫のためにと育ててくれた一品で悪気などあろうはずがない。祖母は「スイートコーン」という言葉は知らなかったと思う。そんな祖母は65年前、梅雨の季節に他界した。農園のスイートコーン、収穫出来たら仏前に供えて、あの頃のおやつの礼をもう一度言おう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紫色の座布団に

2017年06月16日 | 生活・ニュース
 

 40歳を過ぎたころから続く高校3年時代の級友との飲み会、昨年の会で「来年は盛大にやろうで」でお開きになった。今年77歳になることから盛大な会をということだった。喜寿の祝いは本来なら数え年で77歳の祝いだが級友の都合もあり今年「満」で祝うことになった。ここまで生きると平均寿命近くなり少々感激するかもしれない。

 ご指名で幹事を仰せつかりひと月先の予定で電話案内をした。全員が「待っとたで」と気持ち良い返事につい長話になる。遠くは関東地区からも参加してくれる。関西地区の一人は入院中だった。予定の日は退院して自宅寮中なので、どんなことがあっても参加すると嬉しい返事。電話した全員が参加となった。

 現役を離れて時間が過ぎ馴染みの店が閉まった事もあり、会場は長年お世話になっている居酒屋。店のママが学校の後輩、先輩風をふかしてはいないが小さな心遣いが長く利用している理由かもしれない。

 若かりし頃に比べると、酒量は下がり残る料理の量が増えるのは年相応の現象と感じている。最近は健康についての話題が増えた。その背景は我が年を考え家族を思ってのこと、人間的に丸くなったということだろう。全員の気持ち良い出席の返事に応えて、さてどんな趣向にするやらひと月かけて練ってみよう。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

境内で遊んでいた

2017年06月15日 | 生活・ニュース

 国宝を含む各地の文化財に悪戯では済ませられない毀損行為、建物の柱や床に塗料や油種を塗りつける、文字などを書きつける行為が相次いで発生している。観光名所として有名な寺院仏閣の困惑は大変だと報じられる。なぜ、今頃になって子どもとは思えない理解に苦しむ事が起きるのだろう。

 子どもころ、町内の神社や寺の広場は安心して遊べる場所として集っていた。缶けり、かくれんぼ、コマ回し、パッチンなどなどなんでもして遊んだ。そこで悪戯をしたとして怒られた記憶はない。この頃は、子どもが屋外で飛んだり駆けたりする姿を見かけなくった。たまに見かけると生き生きした子どもの姿にほっとする。

 今は1歳の泣いている子どもにスマホを持たせると泣き止み、それで遊ぶという。3歳になったばかりの女の子が、高3の女子生徒とスマホを中にして話しながら、笑いながら遊んでいる。ガラケイの私にはその中身は分からないが、二人は姉妹でもないのに本当の姉妹のように見え、スマホの不思議な力を驚きながら、子どもだけでの屋外遊びの少なさを改めて思う。

 小さな神社。神殿には鍵がかけてあり中を伺うことはできない。神殿前の広場には左が兄で右が弟だろうか、異形の髪形をした兄弟木が植わっている。手水場の御幣は新しく初夏の日が白く見せている。裏通りで車は通らないが、子どもだけで遊ばせるには、最近の子どもを取り巻く環境を思えば心配になる。そんなことからスマホに頼る気持になるのだろうか。子どもらだけで安心して遊べる戸外の場が欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一番咲き

2017年06月14日 | 生活・ニュース

 「一番」、素人的には第一、最初という言い方で通じるが辞書によると名詞、副詞にわけていくつもの意味がある。この一番のつく言葉は戦に係る意味が多いことを知った。一番受、一番貝、一番駆け、一番首、一番備え、一番手、一番槍、一番乗りなどあるわあるわ、これをもとの意味とし転じてこれこれとある。「一番駆けは戦場で第1番に敵陣に駆け込む、転じて人に先んじて事をなす」。

 先月下旬に、種まきから育てた朝顔の苗をプランターに移植した。梅雨入りしたというのに雨は1日だけ、毎日水やりを続ける。正直なもので葉の数は増え、弦も支柱に巻き尽きながら伸び始めると、花が咲く兆候も芽を出すなど生育が目に見えるのがうれしい。今朝、今年最初の朝顔が咲いた。最初に実った果実を一番成りというそうだが、一番咲きは辞書にないので最初に咲いた花だからかってに一番咲と命名しておく。

 「朝顔に孫の名をつけ帰省待つ」。孫は帰省すると朝夕、小さなジョロを使い水遊びを楽しみながら朝顔への水やりを手伝っていた。10数年も前にはこんな楽しみもあったが、年々成長して大学生にもなるとさすが朝顔と戯れる事はなくなった。ある年、体調を崩した妻が、毎朝咲く朝顔から元気をもらったことがある。その子孫を今も咲かせ続けているが今朝の一番咲を見つけたのは妻だった。

 弦が適当に伸びたらその先端を切ることを摘芯という。それによって脇芽を出すようにし、繰り返すと株が大きく花もたくさん咲く、教わっているし毎年行っているが摘芯は初めのうち、茂り過ぎると適当に切っているが、よく咲いてくれる。今年はどうなるか、明日は赤が2輪咲きたそうな姿をしている。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まもなく棟上げ

2017年06月13日 | 地域

 久しぶりに我が家の近くを歩いたという知人が「新しい家が多いのに驚いた」と話す。幸いなことに先の戦争で爆撃を受けなかったことで、昔の家屋敷が多く残っている。よく言えばまだ城下町の面影がそこここに見られる。観光のシンボルとして行政などは残したい意向だが、「世代が変わり生活様式が変わるなどして建て替えざるを得なかった」と苦しい決断を話した後輩がいる。

 大きな建築物が解体撤去されると分譲地として売り出される。また、古い戸建てが解体されるとこれまた新築準備が始まる。こうして新しく建つ家々に共通するのは、家と道路の間に駐車スペースが設けられる。ここ数年で近くに20軒ばかり建ったが、どこも2台の車が止まっている。特に、乗用車の離合がかつかつの道幅の端から迫り出すように建てられた旧い街並みでは新築の家の駐車スペースが目立つ。

 そんな狭い通りだが、棟上げに向かって準備の進む新築現場がある。間口の広さで課税されたから、間口は狭くても奥行きが長い、城下町といわれる一帯に共通する屋敷の姿だ。この現場も奥に引き込まって建つ感じだが、車庫と小さな花壇か菜園くらいは設けられるほど道路側は空いている。新築現場に出会うと我が家のそのころを思い起こし、施主は張り切っているだろう、と知らぬ人のことを思う。

 新築のころは精一杯のことをしたと喜ぶ。年月を重ねると、あそこはこうしておけばよかった、ここはなぜもうひと工夫しなかったのかなど思いつく。我が家を3軒建てると満足した家になる、と聞かされているがそんな相談はできっこない。経年劣化などで発生する小さな補修をしながら、今あるものを大切にしよう、20数年経った我が家に思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迷惑な駐車

2017年06月12日 | 地域

 高齢の女性が手押し車を押しながら歩道を歩いているが、どうしようかと立ち止まる。歩道といっても、手押し車が通れば対抗する人は歩道を一歩外れて道を譲るくらいの幅しかない。女性の立ち止まった先には歩道をすっぽり塞ぐように、車庫からはみ出した車が止まっている。運転免許証を所持する者の止め方ではない。

 ちょうど通りかかったところだったので手押し車は抱えて車をかわし移動させた。それほどの高さのある歩道ではないが、支えになる車がないと女性の姿勢は不安定、手を貸すと、よいしょと言って歩道から降り、よいしょと声を出して歩道に上がり車に手をかける。安心したような顔つきにほっとする。丁寧な礼の言葉を残し再び歩道を向こうへ進む。

 迷惑の意味、一つはどうしてよいか迷う、二つ目は困り苦しむ、難儀すること、三つめは他人からやっかいな目にあわされて困ること(広辞苑)。出会った車の駐車方法は迷惑という言葉以外に表せない。法的にはどうなるのか分からないが外見上は歩道上駐車。所用を済ませ10分余り経って通りかかったが様子は変わっていなかった。

 車の自動運転技術は日ごとに進歩しているようで、自動車メーカーはその進捗を公開している。安全に走行できることは自動運転車に欠かせない条件でもあるが、歩道上に駐車など規則にそぐわい停止や駐車については運転手へアラームを出すというか、車が自動的に拒否するくらいのシステムを望みたいが、そこまで自動を頼っては人を失う。思いやるマナーは無投資、大切にしたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年は忖度

2017年06月11日 | 社会 政治

 診察が始まるまえの病院の待合室、TVは森友学園問題を放送している。質すほうにも今一つ不足を感じるが、答える側の答えようとしない姿勢にはあきれている。そんな放送見ながら前の席の女性の会話が聞こえる。「今年の流行語は決まったようなもんじゃね」「何に」「忖度以外に無いいね」「そんなに忖度せんでええいね」。

 問題発覚から時間が経つにつれ新しい状況が出て疑義が大きくそして深くなっていくように思える。有る、確認できない、とする或る文章の存在は現役官僚が存在を告発、国民の要求に押し切られ存否を再調査することになった。現役官僚の告発通りになった場合、先の調査が不十分ということで新たな問題が起きるように思う。早く「ストン」と国民の心に落ちる決着をつけてほしい。

 そんな内閣について、購読紙の第2朝刊にこんな記事が載っている。発表された骨太方針について、「今の政権の雰囲気だと19年10月に延期した消費税増税を、さらに先延ばしする可能性もある。財源探しは厳しい」(財務省幹部)。「議論はまれにみるほど盛り上がらなかった」(官邸関係者)。「この内閣のエンジンは経済。風向きが変わり、安倍政権の終わりの始まりを感じる」(閣僚経験者)。

 閣僚経験者と同じコメントをする政治評論家もいる。「始めあるものは必ず終わりあり」という。「生あるもは必ず死す、栄える者は必ず滅びる」という道理を説いた言葉として誰もが知っている。あれほど咲いていたさつきが大方その務めを終え花数はわずかになった。これは自然界の決まりではあるが、政治家も道理にかなう言動を願う。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする