日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

10年目に

2017年01月11日 | 陶芸

 今年最初の陶芸教室、久しぶりに陶芸のことを書くようだ。「世界でひとつの焼き物を作ってみよう」という知人の誘いに「粘土なら、鉄や木とは違い柔らかいので形作りはそれほどに難しくはなかろう」と安易な気持ちで陶芸同好会に加入した。早いもので、年が明け足掛け10年目、ひと昔という区切りになるが、そんなに経ったかという感じ。

 確かに、作ったものは世界でひとつしかない。いや、同じものを作れと言われても何となく似たものは作れるかもしれないが、同じものは出来ない、自慢してはいけないが正直な話なのだ。安易な気持ちで加入したことは入会してすぐに反省したが、反省の効果は出ない。熱心さは負けないと思っているがセンスの無さ、手先の不器用さなどが災いしているのではと責任逃れをしている。

 会員は年金暮らし、粘土以外にも世に通じる趣味を通り越した技術保持者も多い。それらを活かし地域おこしなどのボランティアや文化交流など生き生きと活躍されている。昼食時やろくろを回しながらの雑談で活躍の話を聞く。新しい高齢者区分が先日提案されたが、実年齢より確かに活力を感じる

 陶芸教室は月2~3回。粘土は種類に関係なく水ものと思っている。硬くても柔らかすぎても手に負えなくなり水との兼ね合いが難しい。これまで百数十回は参加しているが土との相性を得るまでにはまだしばらく掛かりそうだ。作ることに終わりはない、楽しく作ろう、自分言い聞かせながら今日も粘土に遊ばれた。
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芸能界音痴の片隅で

2017年01月10日 | 生活・ニュース

 紅白歌合戦出場歌手決定、曲名と紅白の取り決定、とNHKは勿論週刊誌も民放もが話題とする頃の高齢男らの話。「若い歌手の名前も曲名もようわからん、歌を聴かせるのか踊るのを見せるのかどっちかわからん、早口で歌詞が分らん、片仮名が多い」、こんな雑談を関係者が耳にされたら吹き出され「歳はとりたくない」と思われるだろう。分らん者の言いたい放題の中に私もいた。

 「要は、わしらは芸能界音痴と言うことよ」でこの話題は終わる。確かに、家族がそろって聞いた昔の紅白歌合戦の舞台は今はない。それを思い出し、残念に思う気持ちが、肴の一つになった。しかし、演歌に物申す声はなかった。歌をしっかり聞かせ聞いてもらうという歌合戦を望んでいることがよくわかる。

 ある月刊誌2月号、「大女優9人が語る昭和映画史」という大型企画が載っている。女優の名前は「八千草 薫、山本富士子、香川京子、佐久間良子、加賀まりこ、小山明子、いしだあゆみ、岡田茉莉子、岸 恵子」。永久保存版と銘打ち70頁余の特集。名前を見て全員の俳優時代の顔が思い出せた。加賀といしだが私より少し若い、他は佐久間をのぞいて八十路を踏みしめている。

 芸能界音痴も小さな領域では昔の記憶が残っていることを知った。名前の載った大女優を見ることは「昔の映画」をTVで観るくらいになった。いくら大女優でも一人では作品にならない。監督をはじめとする全スッタフ、共演者の総合力が観客を劇場に運ばせたことを具体的に語っている。映画だけではない社会も政治も、家庭も同じだろう。今年は酉年、鶏は夜明けを告げる家禽で縁起がいいという、次の大女優の卵誕生の年になれ。
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切り干し大根

2017年01月09日 | 生活・ニュース
 
 「大根人参大嫌い 今日も母さん大根煮てる」、こんな口調で子どもの頃に遊んだ。子どもは全般的に野菜嫌い、現代っ子に限らずそれは長い歴史だという。そうかもしれないが、戦後の食糧難時代、とにかく好き嫌いで食材を選ぶという贅沢は言っておれなかった。自宅の菜園で収穫する大根も人参も白菜もごぼうも豆類も芋類も、とにかく何でも食べた様に思う。

 そんなことを思い出しながら切り干し大根を作った。大根は懇意な方から届いた新鮮なもの、煮しめにおでん、ぶり大根や手羽元との煮物などどれにしても、この季節ならではの食材だ。この大根、大事に食べるために昨年に続いて加工する。昨年の切り干しつくりの様子を新聞の読者欄に投稿したら掲載されてひと味増したが2度は投稿は出来ない。

 子どもの頃は、細く切ってむしろに広げて干し、手もみなどする母や祖母を見ていた。今に思えば立派な内職だったと言えるかもしれない。我が家には、大根を細く短冊に切って干すのに、むしろもなくそれを拡げる場所もない。むしろの代わりに花かご苗トレーをよく洗いキッチンペーパーを上敷きにして拡げて干す。

 トレー使用の良いところ、便利なところは日ざしの移動に合わせて簡単にトレーを移動できることだ。狭庭では一日中の日当たりは望めない。ましてやこの時期の太陽は低く隣家の陰も長く延びて遮る。さて大根3本分の切り干し、相成りまするやら。
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A3判の威力

2017年01月08日 | 生活・ニュース

 世話になっている知人から「黙って頼まれて」と声をかけられた。突然のことで何があったのか何が起きたのかと驚く。話はこうだ。知人がある施設の管理人から、展示場が長期間予定がなく空いている。その穴埋めを何とかしてほしいと頼まれ引き受けた。そこで写真を提出してほしい、という頼みだった。

 頼まれカメラマンは何度か経験したが、展示という人様に見てもらう、見せるという意識でシャッターを押したことは1度もない。仲間内には市美展で最高賞に輝いた人もいるなど上手な人がたくさんいる。ということでお断りしたが、知人も引き下がらず、日ごろのお返しにななればと、パソコンをひっくり返すがごとく過去のお蔵入りを探す。

 セミプロの目に適ったもの数枚をプリントする。サイズはA3判で初挑戦、プリンターはセミプロ所有で初めて目にする大型機。パソコンの印刷準備は我が家と同じで印刷をクリックする。作動を始めたプリンター駆動音の超静かさに驚く。1枚目が下部からのぞき始める。「おお、いいでよ」というセミプロの声に安堵する。

 作品として初めての大きさ、これまでパソコン内一覧展示での経験しかないが素人作品だが、大きくなった途端にそれなりに見栄えがよくなってくれたように思える。自分のカメラを使い始めておよそ60年、機種は何代目かになるがこれほど緊張したプリントは初めて、さて、下旬から始まる頼まれ展はどんなことになるのだろう。
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高齢者の見直し

2017年01月07日 | 社会 政治

 65歳になると自動的に高齢者とされていたが、この定義を見直し75歳以上が「高齢者」、65歳~74歳は「准高齢者」という新たな区分を日本老年学会が提案した。元気な高齢者が増えていることから65~74歳は、心身健康、社会活動も可能な人が多いため区分けするという。ちなみに90歳以上は「超高齢者」という呼称を提案している。10年前に比べ今は5~10歳若返っているという理由がついている。

 日本老年学会とは初めて目にした。調べてみると「広く老年学を研究しその発展を図る」学会という。何れも日本の後に「老年医学会、老年歯科医学会、老年精神医学会、老年基礎老化学会、老年看護学会」など多くの老年研究学会で構成されているようだ。そこが区分の見直しをしたという。高齢者は元気になっている、1億総活躍社会への応援になりそうだ。

 今は74歳までを前期、75歳以上を後期と区分している。後期高齢者医療保険の名称は差別的だ、姥捨て山だなど強い批判が出て、長寿医療制度という通称名を使用することもある。年齢は逆戻りできないので一方的に進み益々高齢化への速度を速めそうな日本、高齢者の区分けだけでなく実のあるケアについて為政者には検討を願いたい。

 そんな疲れをいやすのが七草。正月疲れの胃腸をいたわって七草がゆをいただく。また、冬場の野菜不足を補うという説もある。私の好きな解釈「厳しい寒さの中で芽吹く青葉のたくましさをいただく」、春へ向けての力の源になる、そんな気がする。
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小さなことか

2017年01月06日 | 生活・ニュース
 


 あるTVドラマの主人公、右手の人差し指を立て「最後にもう一つ」と質問する。聞かれた人は「そんな小さなことを」と聞き返しながら答える。主人公曰く「小さなことが気になるのが癖でして」、こんな場面が放送中に必ず1回見られる。そこは謎解きドラマの重要なシーンになっているのは毎回のこと、聞き洩らしてはその後の展開が分りづらい。

 ドラマではなくTVのニュースを見ていて小さなことが気になる時がある。ある局のニュースで「〇〇県〇〇市△△町で発生した事件です」というもの。この中で「町」を「ちょう」と繰り返しアナウンサーは読む。正しくは「町(まち)」のはずだ。町(ちょう)は市に次ぎ村の上に位する地方公共団体で町長(ちょうちょう)が行政を行う。市長のいるところに町長はいない。

 目くじらを立てることではないが、放送、それもニュースという性質上、その大小・重要か否に関わらず「正確」ということは欠かせない。氏名の読み違い誤記入は都度訂正されるとこを見るが、地名も人名と同じく大事に報道してほしいな~あと望む。

 なぜこだわったか。10年余り前全国で市町村合併が推進された。そのとき、私の住む市は6町1村と合併した。新市が発足して間もなく合併した町の一つを訪問した。その時、無意識に〇〇町(ちょう)と口に出たら「ちょっと違うんよ、まちになったん、町長はいないの」と注意された。悪気はなかったが受け取る側には思いがあるのだ。いくら小規模な集落でも呼び名は正しく、住む人の尊厳を傷つけてはいけない、そう教えられたことを肝に銘じている。
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変わる正月風景

2017年01月05日 | 地域

 18日間もあった子どもらの冬休みも残り少なくなった。大人社会の大方は昨日の仕事始めや公務初めで動き始め、今日からは本格稼働を始めたことだろう。温暖な正月三が日は一転してこの季節らしさとなった。今日は二十四節季の「小寒」、立春の前日(節分)までが寒の内で最も寒い期間となる。鳥だけでなく人のインフルエンザも多い、気を配りたい。

 私の初仕事といえば車の運転、「安全運転をする」を胸に出かけた。ところが、とんでもない光景が目の前で起きた。一方通行の道、前を走る軽自動車の後部座席で2人の子供が立たり座たりとふざけ合っている、危険だなと思いすこし間隔をあけて追従していた。軽が急停車に近い状態で止まった。そのショックだろう2人の子どもが運転席側に倒れ込んだ。様子を見ていると少しして子どもらは後部席に姿を現し軽は発進した。安全運転の大切さを年初めに認識させてくれた。

 年初め、歩いていて感じるのは「正月の風景も年々変わる」。その一つに門松がある。錦帯橋たもとには立派な門松が飾られ記念写真を撮る人も多い。錦帯橋畔のホテルや旅館、割烹などは例年と同じだが、一歩町並みに入ると今年は全く見かけなかった。休んでいる老舗の旅館もある。金融関係も最近はしめ飾りのみ、そういう我が家は仲間内で作るミニ門松を玄関内に置くだけ、人様のことを言えることではない、とは分っている。

 凧揚げも見なかったのは穏やかで風のないことが原因かも。凧揚げに適する風は風速で1~4㍍とか。風がなければ走って風を受ける状況を作れば上がるのだが、今年は広場に子どもの姿はなく落ち葉が舞っているだけ。これは家族団欒正月風景というのだろう。
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色々あるんだ

2017年01月04日 | 生活・ニュース

 官製のはがきに年賀の挨拶をしたためることは古くからあった。しかし、官製の年賀専用はがきがお目見えし多のは1949(昭和24)年という。私が小学校低学年のころ、郵便局勤務の父は「年賀はがきを買ってもらう」と知り合いを訪問していたことを薄々記憶している。ノルマがあったのか否か知る由もないが、自らも購入し夕食後に毛筆でしたためていた。

 そんな年賀専用はがきは民間人の提案、終戦から数年の混乱期のこと「うちひしがれた気分から立ち直るきっかけになる」というアイデアが生かされ、お年玉くじ付きはがきが誕生した。右肩上がりに伸びた販売枚数は1990年代半ばくらいから下降し回復の兆しはない。はがきの値上げ、お年玉も現金化など大きく様変わりした。

 「色々あるんだ」、年賀状を整理しながら驚いたというか発見というか、これまでのぼんやりを一人で恥じた。それは、年賀用はがきデザインの多さについてのこと。寄付金付きとそうでない2種類あることは知っていたが不勉強だった。購入は知人の郵便局勤職員のノルマ協力ということで購入を始めて長いのだが、デザインについて聞かれもしないが、注文を付ける知識を持っていなかった。

 JPのHPを見るとディズニーキャラクター 、ハローキティ、いろどり、絵入り寄附金付全国版と同地方版、無地として3種類もある。1通だけ1枚3円寄付付きの年賀切手を貼った賀状がある。豪華で酉年にふさわしい切手だがこれも知らなかった。周りの人は知っているのに私だけが知らないで平気でいる、これが「知らぬが仏」かと改めて自嘲、彼岸の父は苦笑いしているかも。
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穏やか三が日

2017年01月03日 | 生活・ニュース

 ちょっとした急変はあったが、来客もなく静かな三が日を過ごした。TVは駅伝、見ていないときも実況の声は聞こえてくる。こんななことは年初めしかないことだ。年末年始の3時間とか4時間とか続く番組は見ようともしないのに、何故か駅伝の長時間はそうならない。

 箱根駅伝も大会前の大方の予想通り青山学院が総合優勝し3連覇を達成した。7区、我が地元出身期待の選手に体調不良が起き予想外のブレーキとなった。見ていて心穏やかならずだったがタスキを繋げほっとしたのはひいきなものだ。22日の都道府県対駅伝には彼の弟2人も出場することで話題になっている。今日の体調不良が回復することを願っている。

 少し歩けば汗ばむような暖かな日なか、神殿前の初詣の列ほどではないかソフトクリーム店には長い列が出現、やはり若い人が多い。初詣など古いしきたり、慣例のように言われるが、並んで柏手までの順を待つ光景をみるとなぜかほっとする。そこには信仰とまではいかなくても神仏にお参りするという伝統を感じるからだろう。

 例年、公園で最も早く咲く白梅がチラホラと花開いている。 それが暖かい日差しに白く光っている光景は春がやって来る先ぶれのようだ。しっかり膨らんだ蕾が先咲きの花を取り囲んでいる。清楚な白梅を自分のほかに見上げる人はいないが、向かいのしだれ梅の開花を待っているようだ。
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AI夢の続き

2017年01月02日 | 社会 政治

 正月2日、新聞は休刊、年賀状配達は今年から中止、JPの経営も苦しそう。そんなことを思いながら「明日は少し朝寝するか」と目覚ましのセットを少し遅らせて昨夜は床についた。聞きなれない声で「起きろ」という声、目覚めはいいのですぐに起きるが声の主は不明。考えてみれば人工知能(AI)ロボと交流する夢の流れだった。

 このところAIは、将棋と囲碁のプロ棋士をもたじたじさせる力が話題、いや脚光を浴びている。その実力から職場や医療、家事に産業などへの実用化は近いと専門家は言う。AIが産業全体に採用されると就業者6割は失業という予測記事もある。6割分の労務費削減は大きなコストダウンを招く。AI化できない仕事は創造性や人間の交流が重要な仕事、それ以外はAI化可能という。実現したら社会は失業者であふれ混乱しそうだ。

 年初めにそんな夢のないAI化より先に実現してほしいものがある。その一つに盛んに言われている車の自動運転化技術がある。それも大都市のインフラ整備の行き届いたところではなく、道路事情のよくない過疎地域、免許返納すればその日から生活に支障が起きる人らを支援できるAIから着手してほしい。AIの素晴らしさを説く人は「AIは人間が使う道具」と言われるがまだ納得していない。

 一番気になるのは「人との関わり」が無くなりはしないか、ということ。高齢化社会の進むなかで地域共助社会の必要性が強く指摘されている。AIが苦手な人との交流をAI社会の中にどう取り込むのだろう。高齢になって機械に支えられても使われるにはいやだ、そんな凝り固まった頑固さに自分であきれる夢だった。
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