近くの雑草のなかに清楚で可憐な茗荷の花が咲いた。茗荷で思い出す話がある。子どもは食べてはいけない。その訳は「物忘れしてバカになるから」と教えられた。その人は近くに住んでいた大学生だったと思うが、大学のお兄ちゃんの話だから本気になっていたかもしれないが定かには思い出せない。あの味を子供は好かないだろう。
祖母は菜園の日陰で管理していたように思う。いつ頃から口にし始めたのか覚えはないが、いつのころからか麺類や冷奴などの薬味としていた。酢の物や天ぷら、味噌汁の具としても食した。この食し方は今も変わらない。かなり食べているから相応のバカになっているかもしれないが、最近の研究では学問的・栄養学的にそのような成分は無いと言われる。逆に、香り成分に集中力を増す効果があることが分かっているという嬉しいレポートを目にしてほっとしている。
子どものころバカ呼ばわりされると「バカいう者がバカなんよ」、こんな言い返しをしたように思う。バカとアホウはどちらも愚かなことをいう。軽く言われると争いにはならないが、時と場合、機嫌の善し悪しでは大事になる。「馬鹿を言え」くらいで納めておきたい。あいつのような馬鹿につける薬は無い、あいつの言ってることは馬鹿の一つ覚え、そんな皮肉を言われないよう研鑽しなければ。
茗荷の味の表現は難しい。しゃきっとした歯触り、香りが爽やか、口に入ると清澄感が広がる、などは思い出すが、これは味を表現していない。まだまだ観察の修行が足らないようだ。茗荷には馬鹿になる成分は無いようだからこの次にはしっかり噛んで味を言い表したい。
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