日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

足跡と足跡

2015年09月20日 | 生活・ニュース


 仲間との農園作業、先日はピーマンやナスの収穫、サトイモの試し掘り、白菜の苗やジャガイモなどを植えた。植えつけの済んだ畝には農作業の形跡がある。それを眺めると、秋空の下でうっすらとかいた汗も心地よい。防獣ネットの外周はイノシシが思うがまま掘りかえしている。

 棚田ならぬ段畑を見おろす道を歩いている。各段ともに秋の植えつけが進んでいる。その中の1枚、目測で15~20坪ほどが耕して凹凸の土をこまざらいで小さく砕き綺麗にならしてある。畝を切ればすぐに植えつけられる。そこに足跡、人のものでないことは一目瞭然、端から端まで残している。農獣であることは間違いなしだが、それが何かは分からない。残した跡は不規則なので複数の何物かだろう。

 足跡と書いて「あしあと」とも「そくせき」とも読む。「あしあと」は歩いた後に残る足や履物の跡で人や動物などが土や雪、ドロなどの上を歩いた後に残る足の形。「そくせき」は人の経歴や業績などを指す言葉。ただ、人に限った足の跡やさまざまな痕跡、通った経路などを指すときは「そくせき」という。「犯人の足跡」は「犯人のそくせき」という。畑の跡はあしあとになる。

 この畑の周囲に背は低いが獣侵入防止用ネットが張られているがその用を果たせなかった。綺麗に整地された端の方を歩いているのは多少遠慮したのか控え目にみえ何かくすぐる。あしあとを残した農獣、この後どの畑に向かったのだろう。
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遅れています

2015年09月19日 | 自然 季節


 私は彼岸花。私らは秋の彼岸の期間だけに咲くので命名されたのだと思っている。別名は曼珠沙華と書いて「まんじゅしゃげ」とも呼ばれる。歌謡曲で「赤い花なら 曼珠沙華 阿蘭陀屋敷に 雨が降る♪」という長崎物語に登場する。曼珠沙華は天上の花という意味でおめでたい花といわれる。

 暑さ寒さも彼岸まで、といわれる。明日は秋の彼岸の入り、いわれる通り最近は秋らしい涼しさを感じています。そんな季節なのに私らはまだ開花出来ずにいます。周りの仲間はみんな咲いているのになぜでしょうか。この天気なら今夜は咲けるかもしれないと思っている。

 私らの花言葉は「情熱」「再会」「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「あきらめ」「独立」「情熱」、まだある様ですが、それは人との関わりが多かったからと思っている。だから私らを見られた人のどんな気持ちにも添えるのかもしれません。咲けば数日の短い命です。しっかり観賞して欲しい。

 私らは花のあるとき葉はなく葉のあるときは花がない、そうです同時にはお見せできないのです。私らが消えるとやがて葉が出る。冬を越し春の日を浴び夏が盛んになるころまで私らのために陽を浴び開花のエネルギーを蓄えてくれます。花言葉に「また会う日を楽しみに」もあるそうだが、永遠に合えない花と葉、それでも生き続けております。
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10年目に

2015年09月18日 | 生活・ニュース
 

 今日は第115回岩国エッセイサロンの月例会。偶然だが、岩国エッセイサロンに入会し勧められて始めたブログが今日から10年目に入る。入会が昨日のように思える時もあるが、一応月日は重ねた。不定期なアップでスタートしたが次第にその間隔は短くなり、この1年は欠かさずに365回アップできた。パソコンも身体も健康状態が一応よかったことになるが、最大の理由は毎日、多くの人にこのブログを開いてもらえたことだ。

 たまには、訪問者に読み返してもらえるような内容を書いてみたいと考えるが、それは思うだけに終わる。日々、平凡に暮らす身ならば格別なことのないのが一番かもしれないと、言い訳しながらキーを打っている。

 それでも、毎年、1年分のブログを1冊に製本し8冊が書棚に並んでいる。そして9冊目が完成した。B6版両面刷り、目次などいれて500頁余、365編の字数は約22.5万字になる。この数字は途中では気づかずまとめ上げるときに気づいた。その多少の度合いは分からないが毎日600字余りの文を書いたことになる。

 10年目はどんな展開になるのだろう。飾らずに続けていきたい。続くといえば孫新聞もこの秋から15年目に入り、今月は172号になる。こちらは1号からB5版片面、カラーの小さな新聞だが、たまにファイルを開いてみると、そんなことがあったかと思い出す。ブログの年冊子も同じ、成長ならぬ老いの稚拙な文だが自分史の素材にはなりそうだと一人合点している。これからもご訪問ください。
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ここまで来たか

2015年09月17日 | 地域


 ゴミは分別し指定の日に出しましょう、これは地域に住む者の常識であり守らねばならないルール。ところが、たまにではあるが、ルールを全く意に止めないゴミに出合う。収集されないのでいつまでも放置される。収集場所近くの人らに迷惑ということを思いつかないことを不思議に思う。

 ゴミ収集場所の一つに「違反のゴミ監視中 収集できずに残ったゴミは開封、調査します」と記した掲示がされていた。散歩の途中、この場所では一見して無分別なゴミ袋を何度か目にしていた。調査は誰が実施するのか分からないが、いい方向に向かうことを願う。違反ゴミ監視中、の掲示は他でも見かける。

 こうまでしないとルールが守れないとは困ったものだ。司法試験を担当する考査委員ともあろう人物が法を犯す時代、何があってもおかしくはないのかもしれない。大多数の憲法学者の違憲論も馬耳東風の時代なれば何が起きても不思議ではないだろう。

 何度か収集されないゴミ袋を持ちかえり分別し処理したことがる。当然のことその中身は無神経な人としか思えない。通りがかりの車が投げ捨てるのを見たことがあるが、もしかしたらそんなごみが未収集かもしれない。収集場所の近くの人なら分別して出すと思う。
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9月の運動会は最後

2015年09月16日 | 地域


 午前中の降水確率70%の予報の朝。元気な声で会話しながら近くの児童らは傘を持ち登校している。親の言いつけを守ってか、予報を見て自分の判断か分からないが傘持参は感心感心と雲を見ながらひとり思う。お早うございます、の挨拶も嬉しい。

 登校の列に大粒の雨が降り始めた。赤、黄、青、白、桃、透明など色とりどりの傘の花が狭い裏通りに咲く。その鮮やかな色合いに、番傘主流の子どものころを懐かしく重ねる。児童らは近くに60数年前に卒業した小学校に通う年の大きく離れた後輩になる。

 この小学校では連休中の日曜日に運動会予定。そのために練習は本番を迎えているだろうが雨で運動場での練習は中止のようだ。熱中症対策用のテントがさみしそうに並んでいる。この小学校の前身は明治2(1869)年からと沿革にある。長い歴史といえども世の変化に従うためか、来年度からは運動会が1学期に移行されるので9月運動会は今年で終わる。

 1学期運動会実施のメリットにつて多く語られている。私が小学校に入学したのは昭和22(1947)年の義務教育6・3制になった年だったが、これまで運動会は9月と思いこんでいた。検討はされただろうが教育環境の変化は伝統をも容易に変える。澄んだ秋空の下での最後の運動会、しっかり記憶しておこう。
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セ ミ

2015年09月15日 | エッセイサロン
2015年09月15日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載 



 台風一過の朝、少しひんやりとした。爽やかな空気を思いきり吸い込もうとした。その時、降ってきたように、どこかから落ちてきたものがあった。

 それは何かと見れば、1匹のセミだった。よく見ると羽の先端はちぎれ、既に果てている。風に乗ってきたのか、鳥が運んでいる途中で落としたのか、上空を見回すが分からない。何かの縁で、わが家の狭い庭へ落ちたのだろう。

 セミは、身近にいて害もなく、誰もが親しめる昆虫で、思い出も多いと思う。地表に出てからは1週間の寿命と子どもの頃に聞いたのを今も覚えている。「観察したら放してやれ」。そんな心優しい人もたくさんいた。しかし、夏休み作品の一つに昆虫標本は欠かせない。セミは種類が多く、子供でも容易に捕れる貴重な標本対象なので、じっと木を見上げたものだ。

 最近のセミの研究では、地表に出て1ヵ月近く生きるものや、大型のセミほど長生きするというリポートがある。地下で過ごす7年近い期間を加えると、昆虫類の中では長寿というが、実感はない。鳴き始めてから1週間の寿命という説の方が命の大切さをより強く感じさせる。

 そのセミを手のひらにのせて見る。羽は先端がぎざぎざにちぎれていて、これでは飛べない。これは、ひと夏を満喫するまで飛んだ証しだと思う。

  「7年先、もう一度生まれ変わって出てこい」 

 そう言いながら、庭木の根元に埋めた。
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小さくても要注意

2015年09月14日 | 生活・ニュース


 仲間うちの月1度の農園作業での休憩時間。自分のズボンに止っている5ミリほどの大きさの虫を「これがマダニですよ」と指しながら教えてくれた人は、ズボンの上から腿当たりを吸血された様子。大した痛さではないようだが、虫さされの薬を塗布。写真では見ているが生きているそれは初めて見る。紙コップに捕えてしばし観察、コップの中での動きは活発。

 マダニの説明。「マダニはハーラー器官と呼ばれる感覚器を持ち、これらによって哺乳類から発せられる二酸化炭素の匂いや体温、体臭、物理的振動などに反応して、草の上などから生物の上に飛び降り吸血行為を行う」という。その吸血行為により最悪の場合は死に至る可能性もある。春から秋にかけて草むらや茂みのなかにいる。噛まれない予防は肌を出さないことだ。

 今の子どもらには思いもつかないことだろうが、私らが子どものころは山や草むら、田畑に小川の畔などが遊び場だった。蜂に刺された、毛虫に触れたなど虫らとの諍いはあった。それは転んで擦りむいたくらいの感覚だった。そのころには悪くすれば命を失うかもしれない虫の存在など知らなかった。

 「農作業の時によく見かけますし、何度か噛みつかれて当分くっついていたことが度々あります。ダニを怖がっていたら、農作業にはなりません。でも、重篤になることもあるので怖いですね」というコメントをもらった。恐ろしい虫が側にいるということになる。彼岸花やススキを撮るため茂みへの立ち入りは厳重な注意が必要だ。
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おっととっと

2015年09月13日 | 町かど


 錦帯橋の下流400メートルほどの川原。川原から水面までの法面に傾いてあわや錦川に突入しそうな車がいる。右前輪は水面に接触、運転手はさぞヒヤリとしただろう。先日らいの降雨で増水していたが水量は平常に戻っていてよかった。その後方のレッカー車の周りで数人の人が動いているには引き上げの準備だろう。消防や警察車両は見えないので事故などにはなっていないようだ。

 それにしてもどうしてこういう状態になったのだろう。普通には乗り込まない広い川原の端っこにきて法面まで乗り込むとはいったい何があったのか。といういらぬ詮索はしても仕方ない。自分の運転にこの教訓は生かそう。ずいぶん前のことになるが、同じ川原で水際に近づきすぎてレッカーで牽引される乗用車を見た。予知運転を心がけよう。

 今年も車両が冠水した道路を走る映像を豪雨報道のたびに映像で見た。冠水道走行には複数の危険性があると指摘され注意を促している。それでも急がなければならないのだろう道路中央で動けなくなったなり水没した車両も多い。車両も危険だが走行で押し寄せる波の力は子どもでは耐えきれない。冠水道路走行中には歩く人への配慮を決して忘れて欲しくない。

 付き合いのあるディーラーの店員は「冠水道で水深がタイヤの3分の2くらいの状態になったら、安全な場所に避難し決して走行しないことをお勧めします」という。「おっととっと」で済まなかったら大変、車のため身の安全のためにもそれが良かろうと心している。
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開院から131年目

2015年09月12日 | しっちょる岩国


 現役時の産業医から「退職後は家庭医を決めるよう」に指導をうけ、何が記されていたか知る由もない紹介状を渡された。家から歩いて数分とかからない岩国病院にお世話になることにした。正式には医療法人岩国病院だが会話では医療法人は省いている。それからは健康診断や予防接種などすべてお任せにしている。およそ4年前、初期の癌と診断され照会先で手術した。もうすぐ満4年目の検診を受ける。

 子どものころ、当時の院長の息子がクラスメートだった。小学3年の夏休み病院の暗室を使って卵からヒヨコが生まれるまでの観察をした思い出がある。親に連れられ昔の木造の門扉を開いて受診したこと、強い消毒薬のにおいなどの記憶がなぜか強く印象に残っている。そんなことから長い歴史のある病院だろうくらいは思っていたが、開院131年を迎えていたことを知った。

 岩国病院は東大医学部卒業の熊谷茂樹医師が郷里に明治17(1884)年6月に私立岩国病院を開設されたのが始まりという。当初は、明治維新で職を失った旧藩士救済のため設立された「義済堂」の中にあり「熊谷診療所」と称し、現在の地に移り今の医療法人に受け継がれた、と病院資料にある。岩国検定で義済堂の設立も学んだが診療所のあった記録には出合えなかった。

 医療を取り巻く環境は厳しいと報道される。そうした厳しい中で訪問診療もされているようで高齢者からは有り難いという声を聞く。温かく長いベテラン看護師のいる病院は地域の財産と思う。歴史を知り改めて頼りになる地域医療機関だと感じる。名勝・錦帯橋たもとから大名小路を歩いて下ること10分のところにある。
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線状降水帯

2015年09月11日 | 生活・ニュース


 気象衛星ひまわり8号が本格稼働を開始したのは今年の7月。日本上空からのデータ送信はこれまでの数倍と飛躍的に増加した。TV画面で見る今年の台風進路の連続写真はこれまでにないスムースな動きでその威力を感じていた。最近の台風進路の正確な予測もひまわり8号のデータから来ていたのだろう。

 昨年8月の広島市の土砂災害は記憶に残っている。その一つに、豪雨をもたらした積乱雲は山口県東部で連続発生し、広島県へ流れた。それが積乱雲の帯となるバックビルディングを形成し広島市北部の山に至り豪雨となった、という解説をなぜか記憶している。8日の夕方、民放の気象予報士が「線状降水帯」が予測されるので大雨に注意が必要と予測した。

 線状降水帯とは初めて知った気象用語。その説明はバックビルディングがさらに大きくなり、大雨の降雨地域が帯のような状態となり、大きな災害発生の恐れがある、予報図に現れた帯状の降雨地域は地域というより複数県に掛かる広い範囲を示していた。どうして発生がわかるのかという質問に、ひまわり8号の観測結果からと予報士は話した。当たらぬことを願いながら聞いていた。

 予報通りの線状降水帯は経験のないといわれる降雨は広範囲な地域を襲った。そんな中、鬼怒川の堤防決壊で逃げ遅れた人たちを救出する救助隊員の決死の作業は人命の貴さを改めて感じさせた。あの電柱に身を預けた人の救出時には我がことのように胸が熱くなった。子どものころ土砂崩れを経験しているがあの時の恐怖は今も忘れていない。東北でも被害発生、早い復旧と復興を願いながら画面を見る。
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