日々のことを徒然に

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醫院

2015年07月04日 | 地域


 患者として診察を受けたことはないが、高校時代の校医としてお世話になった醫院の解体が始まった。醫院は「いちすけ号」バスは通るが道幅はそれほど広くない一方通行の通りにある。通りには大正ロマン薫いくつかの建築物が残っており、いちすけ号の車窓から眺めると、レトロな光景に見える。そんな通りに建つしゃれた建物なのに「醫院」の文字は通りにふさわしく印象的だ。

 醫院、広辞苑では「医者が個人的に経営する小規模な診療所」とある。夫婦共に医師で、校医として学校には二人で来校されていて、共に若い素敵な医師だったと記憶する。特別な指摘や治療を勧められた覚えはないので、元気な高校生活を過ごしていたのだろう。

 醫は医の旧字体。音読みで「イ」訓読みで「くすし、いやし」、その意味は「くすし」は医者、「いやしは」病気を治す、とある。新は7画で旧は18画と画数に差はあるが、意味は病気を治すことで同じ。醫は古めかしい書体だが堂々とした落ち着きのある感じで安心して診察を受けられる気がする、は私の偏見だろか。

 醫院の解体とは関係無いだろうが秋には新設の医院が域内に開院する。個人負担が増す方向での社会保障制度の見直しが答申される見通しとの報道。医者のもとへ行かなくて済むのに行く人はまずないだろう。治らなかった病が医術の進歩で治ると長寿高齢化は進み医療費は増すばかりで問題は深まる。地域の人を見つめてきた「醫」の文字、進む解体の音を聞きながらどんなことを追想しているだろう。

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