
偶然だが、取材中の知り合いの記者に出会った。脚立を肩にかけ、反対側の肩には記者独特の大きなバックを掛けている。場所はコロナで閑散とした公園、そこで春の訪れを感じさせる早咲きの白梅を撮るために脚立持参だった。小さな脚立に立ち、支えなしで撮る。慣れている、仕事だからと言えばそれまでだが、上手いものだ。
こうして撮った何十枚、いやもっと撮っているかもしれないが紙面に記事として載るのは、特集ででもない限り普通は1枚、それでも納得するまで撮っている。この知り合いの記者は本社写真部所属歴があり、写真特集の紙面も何度かあり、厳しい指導を受けたのだろうと思いながら拝見していた。
写真がフイルムでモノクロの時代、小遣い内でカメラを楽しむにはいくつかの知恵が必要だった。その一つに「この1枚に定べし」と絞りにシャッター、ストロボの向きなどをセットし、撮影枚数の節約を図った。この姿勢はデジカメになって一変し、今はシャッターを押しっぱなしで撮っている。撮っては削除、これでは撮る腕前は後退するばかりだ。
徒然草に、弓を習う人が2本の矢を携えたところで「この一矢に定むべし」という師の教えがある。写真だってこの教えに通じるだろう。写真も「撮れた」と「撮った」では喜びが違う。18歳で初めて自分のカメラを手にしてからのシャッター回数はいくらだろう、そう思いながらもデジカメの便利さに流されて粗雑な撮りになっている。何とか止めなければいけない、と思っているがそこから抜け出ていない。
(今日の575) デジカメで 撮り放題は 腕鈍る