1955(平成7)年1月17日5時46分に阪神淡路大震災が発生した。その時間は出勤前でいつものように朝食をとる時間だった。突然の大きな揺れに驚きながら、棟上げして間もない終の棲家が気になり、現場へ車を走らせた。周囲をかこった覆いに異常はない。内部を確認するも倒れたり崩れた様子はない。ほっとして家に戻った。
「大地震で大変なことになっている」と家内がTVを指す。いくつかの炎が見える。NHK中継画面と東京からの音声がかみ合わない。音声はさしたることは無い感じで流れる。あとで分かったことだが、すべての通信手段が途絶え、双方向の連絡はつかなかったという。ほどなくして関西に帰省していたアナウンサーが連絡を取り、現実の災害状況が伝わり始めた、そんな記憶がある。
急いで朝食を済ませ出勤。職場のTVで情報を取る。時間の経過とともに被災地の状況は拡大する。まもなく関西に帰省していた社員の家族が被害にあった。関西に住む母親が閉じ込められ救出待ち、出張中社員の安否確認など、TV映像とにらめっこしながら時間が過ぎた。「おい、昼飯は食ったか」という誰かの声を今も記憶している。
15日の午後、南太平洋のトンガ付近で発生した大規模な噴火、今日の午前にも噴火したという。15日は津波の心配はないといわれたが、夜半になり注意報・警報が発令された。津波発生の原因の詳細はこれから詰められるが、自然界には解明をされていない不思議があるようだ。
(今日の575) 未解明 地球の芯は 謎だらけ