日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

餅の食べ方

2022年01月11日 | 回想

 鏡開き。子どもの頃のこの日は鏡餅の入った善哉を食べた。年末の餅撞で二臼目に搗いた白い餅を鏡餅にしていた。鏡餅を作るのは祖母で、その鮮やかな作り方は今も目の奥に残っている。完成すると三方にのせて床の間に飾っていた。鏡開きの日、硬くなった鏡餅は木つちで割られ善哉に入れられた。祖母は何故かこういう仕来りにこだわっていた。

 息子は小1の時、自分から希望して近くの公会堂道場での剣道を習い始めた。年が明けると冬休みが終わるまで朝5時ころから寒稽古が始まる。火の気のない道場で子どもら良く頑張った。稽古の最終日、少し早いが鏡開きが恒例だった。母親たちは手分けして準備した具材を持ち寄り稽古終了に合わせ仕上げていた。冷たい床板に正座して食べた善哉の味、覚えているだろうか。

 購入した餅の容器にこんな文字が印刷されていた。「もちを食べる際には、のどにつまらせないように十分に注意をして召し上がってください。もちは、食べやすい大きさにして、よくかんで食べるようにしてください。もちは必ず加熱調理して召し上がり下さ」、意味は違うが「餅は餅屋だ」。もちを喉に詰まらせ救急搬送されたニュースを元日に見た。餅販売者からの注意呼びかけ、心しておこう。

 終戦直後の我が家の暖房は火鉢。そこには常に赤くなった炭火があった。餅をおやつに食べるとき、炭火の周りの五徳に金網を乗せて焼いていた。何度もひっくり返しながら焼け具合を確かめていた。たまにプ~と膨らむことがあり喜んだ。今は餅を食べたい時に食べれる、思い出で作りにはならなくなった。

 (今日の575) 搗き立てが 祖母の手先で 鏡もち
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