何年、いや何10年ぶりかで見たタイトルそのままの生き物「食用カエル」。
初めてその存在を知ったのは小学校5年のときクラスメートの家に遊びに行く途中、雑草の茂った沼のような側を通ったときその中から何かの鳴き声が聞こえる。それは毎日耳にしていた朝鮮戦線へ向うB29爆撃機の重低音のように気味悪かった。
友に聞くと「食べれるカエル」という。進駐軍はよく食べるそうで、あの沼に捕りに来ているのを見たこともあると教えてくれた。終戦直後の食糧難時代にも食べた記憶は無い。あとで知った話だが、この地方では鶏や兎や貝を食していたのでカエルを肉代わりに食べる風習はなかったそうだ。
絶えたとばかり思っていた食用カエル、本当は「うしカエル」というそうだが、公園の堀で発見した。発見といえば大袈裟だが上半身3分の1ほどを目にした時はそんな気がして懐かしかった。
側によってきた男のが「母さんブチでかいカエル」と驚いた声で叫んだが知らぬ顔で行き過ぎた母を追って男の子は走り去った。非常に用心深い食用カエルが、子どもの大声を聞いても驚くそぶりはなく、日向ぼっこを続ける。ここにも平和ボケが届いているのか、と笑った。
初めてその鳴き声を聞いた沼は親水公園に変わっている。
(写真:気持ちよさそうに日浴びする食用カエル)