日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

曲りに習う

2009年06月25日 | 生活・ニュース
               

曲げさせられることはあろうが「曲がったことは嫌い」というのは普通でこの反対は口にしにくい。最近「正義が曲げられたと」いって辞任した大臣の話は記憶に新しい。世論調査では7割以上の人が辞任した人を支持した。

美しい曲がりもある。日本庭園で見る松の木、幹も枝も周辺に合うように曲がったり、曲げられたりしている。その曲がりに感心することはあっても、曲げたと言って怒る人はいない。

ある旧宅の日本庭園を任されている庭師、キセルに火をつけながらこんな話を聞かされた。枝も幹も曲げる時には木と話しながら曲げる。痛がって悲鳴をあげないようにする。次に四方八方から眺めて木が喜ぶまで手直しする。たかが一枝、されど一枝ということです。

若い時に聞いた話。思い出してみれば松の木の枝ぶりを整えるだけでなく、その内容は広く通用する。1服めの吸殻を手のひらに落とし、2服目のきざみを詰め、手のひらの吹穀でそれに火をつける。熱くないかと尋ねたら「これも修練」と笑って立ち上がられた。

実がたわわに生っているがその根元が直角に曲った梅の木を公園で見つけた。この曲がりは梅の木の意思ではない。だから切られずに生き延びた。こんな曲がりもある。大蛇のようにうねった幹、それに生えた苔はともに歳月を感じさせる。

(写真:直角に曲げられた梅の木)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする