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茨木のり子との出逢い(と別れ)

2020年01月19日 23時23分39秒 | 文学
この週末は家族で旅行をしていて、温泉に入ったり街を散策したりしたのだがそのときに、タオルを中心に販売しているのになぜか古本も少しだけ置いてある店があり、そこで妻がタオルを見ている間に僕は古本を見ていた。
そんなに興味を惹かれる本はなかったのだが、茨木のり子の詩集『倚りかからず』の単行本(の古本)があり、ちょっと見ているとなかなか良さそうで読んでみようかなと思った。
詩集というのはほぼ読んだことはないのだが、こういうのは出逢いだと思った。
しかしそこでその古本を買えば良いのだが、文庫で読める物を単行本で買うのも、新刊で買える物を古本で買うのも、どうかと思いそこでは買わなかった。(たしか五百円くらいだった。)
茨木のり子はこれまでも、何度か私の前に現れては消えていっているのだが、今度は読むかもしれない。
ちょっと前にも、何かのきっかけで興味を持ち、谷川俊太郎選の『茨木のり子詩集』(岩波文庫)を読もうかと思い書店で手にしたのだが、「こんなにまとめて詩なんか読めるはずがない」と諦めた。
何かのきっかけで彼女の詩の一編か二編に興味を持っただけなのに、いきなり詩人になってから死ぬまでの詩を、しかも代表的な物を谷川俊太郎が煮詰めたような物を、最初のページから最後のページまで読んでいくと思うとぞっとする。
詩というのはたぶんそのように出逢うものではない。やはり単行本を買って、ページを広く使ったような文字の配置で、読むようなものなのだろう。
でも貧乏性なのでどうせなら出来るだけ詰め込まれているような、ある程度網羅できているような本を選んでしまうのだ。出来るだけ急いで分かったような気になりたい。
なので詩が読めない。
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ケン・リュウ『ケン・リュウ短篇傑作集3 母の記憶に』

2020年01月18日 04時46分37秒 | 文学
ケン・リュウ『ケン・リュウ短篇傑作集3 母の記憶に』(早川書房)を読んだ。

「母の記憶に」
短いものだがおもしろかった。読んだときの感想はここ

「重荷は常に汝とともに」
高尚な神話についての文学かと思ったら、税金の話だった。
そういうことはあるかもしれないな。

「ループのなかで」
兵器開発の話。
テレビゲームの感覚で戦争を行っていても人間は心を病んでしまうので、ゲームプレイヤーも機械にしてしまおうとする。

「状態変化」
意味が分かりません。
人の魂をあるものに付加させる、または憑依させて、それが無くなったらその人も終わり、というような話なのだろうか。

「パーフェクト・マッチ」
ジョージ・オーウェル『一九八四年』のアップデートといった感じ。
非常におもしろい。
私たちはネットの検索を使用し続けることにより何を失うのだろうか。

「カサンドラ」
予知能力のある女性がスーパーマンと対立する。
未来に犯罪を犯す人間を殺すことは許されるのか、という話。

「残されし者」
肉体を失っても生き残るために、コンピュータの中の存在になるために先に死ぬ。
そういう人がどんどん増えてしまって、コンピュータ上の存在になることが正しいとされる世界。
しかし、現実に生きている人が少なくなってしまって、物もエネルギーも無くなっていって、いったいどうやってコンピュータを維持させていくつもりなのだろうか、そこが疑問だった。
でもおもしろい話だった。

「上級読者のための比較認知科学絵本」
まったく意味不明。
SFファンはこういうのもおもしろいのだろうか。

「レギュラー」
女性の探偵が主人公のミステリ。
迫力があっておもしろい。
過去の失敗、刑事の元夫、犯人との対決、などよくある感じで、それが悪くなく、良い。
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気になるSF作品

2020年01月14日 22時05分51秒 | 文学
今年はしばらく安部公房の本を読んでいこうと密かに思っていたのだけれど、『けものたちは故郷をめざす』を読んだ印象とその他の文庫作品を少し立ち読みしてみた印象では、期待するほどはおもしろくなさそうなのでやめにして、代わりに海外SF作品を読むことにする。
ちなみに少し立ち読みした安部公房作品は『壁』と『他人の顔』なのだが、悪い意味で純文学的で、ちょっとこれを難しい顔して読まないといけないのはつらいなと感じた。『壁』は最初の石川淳の「序」もよくない。息ができなくなるほどの純文学臭。

それで、読もうと思っているSF作品を整理のために書いておく。
・ジョージ・オーウェル『一九八四年』(いま読んでいる)
・ケン・リュウの短篇集を飽きるまで読む
・テッド・チャン『あなたの人生の物語』
・オースン・スコット・カード『無伴奏ソナタ』
・オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』
・レイ・ブラッドベリ『華氏451度』
・メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(やはり古典なので)

ひとまずこのくらい。
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ケン・リュウ「母の記憶に」

2020年01月14日 14時06分17秒 | 文学
是枝裕和監督の映画『真実』の劇中劇の原作であるケン・リュウ著「母の記憶に」を読んだ。
とても短いものだった。
十歳から八十歳まで、七年ごとに会いにくる母親を迎える娘の一人称の短篇。
《ママはたった二十六歳だった。わたしが彼女の歳だったとき、わたしは希望に満ちあふれていた。彼女はわたしの人生をほんとに理解できるのだろうか?》(13頁)
親は子どもにとっていつでも先を行き、そして手助けしてくれる存在であるのに、それが逆転してしまう悲哀がよく理解できる。
夫との出逢い、出産、夫との離婚、父親の死をひとりで乗り越えなければならなかったという背景も短いのによく分かる。
とてもおもしろい。
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是枝裕和『こんな雨の日に 映画「真実」をめぐるいくつかのこと』

2020年01月14日 01時33分00秒 | 文学
是枝裕和『こんな雨の日に 映画「真実」をめぐるいくつかのこと』(文藝春秋)を図書館で借りて読んだ。
『希林さんといっしょに。』でも思ったが、是枝裕和の本は非常におもしろい。今後も注目していく。

映画『真実』では主人公の女優が撮影しているものとして、とても印象的なSF映画が出てくる。
母親が不治の病になり、延命のため宇宙で暮らすことになる。歳をとらない母親は七年ごとに地球に還り娘に会うのだが、最終的には娘のほうが母親よりも歳を取る。
このSF映画の撮影シーンが映画の中で登場し、「すごいこと考えたな」と思いSF作家の才能もあるのではないか、タルコフスキーみたいなSF映画も撮れるのではないか(撮らないで!)と思ったが、このSF映画の元ネタがわかった。ケン・リュウの「母の記憶に」という小説らしい。これは読まなければならない。

以下メモ。

・トリュフォー『終電車』について
《とにかく作品自体が素晴らしい。》(40頁)
・ドヌーヴの発言
《そういえば、最近作られてる映画って常に長過ぎると私は思うんだけど。だいたい、15分ちょっと切ってもいいんじゃないかしら。》(54頁)
・デプレシャン『クリスマス・ストーリー』について
《僕は『クリスマス・ストーリー』が大好きなんですが、》(58頁)
・ビノシュの発言
《「勉強することを怖がって、そのままの自分で立ち会おうとする人が多いが、その怖いところに行って、いったん型に入ってみることが大切。リスクをとらないとずっとプールサイドに座っているだけになる」》(97頁)
・《『華氏451』
を観て、その撮影日誌「ある映画の物語」を読み直す。ほとんど役者とスタッフの悪口ばかりで笑ってしまう。この映画はきっと失敗するとまで監督本人が予言している。
 ただ、いくつか演じることについて面白い記述がある。
 「手袋と同じ。手袋は10人中9人の女性に似合うように、演じることは女性の天分だ。
  男で手袋の似合うのは10人に1人」(89ページ)》(116頁)
・《『サンフォード マイズナー オン アクティング』読了。
 面白かった。
 「演技は話すことでは無い。他人を使って生きることだ」(82ページ)
 「時間が経つと過去の意味は変わる。これが私が「感情の記憶」を嫌っている理由の一つだ」(144ページ)》(133頁)
・《劇中劇の中で「あなたの娘に生まれてよかったわ」とエミー役のファビエンヌが言うのは、母への「優しい嘘」なのだ。
 母は娘に、「優しい嘘」をついてようやくそのことに気づくのだ。で、ひとりで台本読んで髪をかき上げてみたりして。
 で、明日、あのお芝居をやり直したい、と思う。フィクションと現実がファビエンヌの中で交差して「真実」に辿り着く……。》(135頁)
・ビノシュの発言。
《「リュミールの役割は出産させることね。母の中にある罪悪感やわだかまりを表に出す仕事」》(208頁)
・是枝監督らしい発言。
《それは「俺が監督なんだから俺の言うとおりにしろ」と、現場で監督が演出や言葉ではなく「立場」で役者やスタッフを屈服させる行為と変わらない。
 そのことによって監督のちっぽけな自尊心は守られるかもしれないが、その代償として失われるものは計り知れない。》(212頁)
・カトリーヌ・ドヌーヴがお茶目。
《「リス2匹じゃダメなの?」》(222頁)
・演技だけではなく生き方でも必要な考え。
《自分以外のものへの意識を少しプラスして、自分へ向く分を少し削いでいく必要がある。》(234頁)
・NHKのBS1の番組でも同じ場面が取り上げられていてそのときはカトリーヌが何と言ったのかは謎のままだったが、本ではきちんと書いてあった。
《カットをかけ、エリックに確認する前にOKを出した。野暮は承知でマノンに「さっき何て言われたの?」と聞くと「『大丈夫よ。何度でも相手をしてあげるから』と言われたんですが、それよりフッとここ(二の腕)に触られたのが大きかったです」と、何かをつかんだという晴れやかな笑顔。やはり、カトリーヌ、恐るべし。》(300頁)
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安部公房『けものたちは故郷をめざす』

2020年01月11日 22時56分29秒 | 文学
安部公房『けものたちは故郷をめざす』(新潮文庫)を読んだ。
加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読んで以来気になっていたが、やっと読めた。
でもぜんぜんおもしろくなかった。
そもそもいったい何が行われているのかよく分からない場面が結構あった。夢の話も多く、ちょっと興味が持ちにくかった。退屈だった。
安部公房はやはり私には合わないのだろう。
『砂の女』も退屈だった記憶しかなく、この本もそうなのであればおそらく『方舟さくら丸』もそうであろう。
合う合わないはもう仕方がないことだ。
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エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』

2020年01月09日 21時40分21秒 | 文学
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』(東京創元社)を読んだ。
人間はいろいろなものから自由になると、今度は孤独で不安になり権威に縛られることを求めるようになるというような論だった。

《ナチズムにたいする攻撃はドイツにたいする攻撃であると感ずるので、ナチでない人間でさえも、外国人の批判にたいしては、なおナチズムを擁護するというようなばあいが多くみられる。》(233頁)
という部分は「ネトウヨ」の現象を思わせる。

《都市の爆撃や何千というひとびとの死を報ずるニュースに、なんの恥ずかしげもなく石鹸や酒の広告がつづき、ニュースを中断している。暗示的印象的な権威ある声で、政治情勢の重大さを放送したばかりのその同じ放送員が、今度はニュース放送に金を払ったある石鹸の品質のよさを聴衆に吹聴している。》(276頁)
とあり、そのことが批判的な思考能力を麻痺させると書く。
「次はスポーツです」と嬉しそうに言うニュースキャスターに違和感を感じることはあるが、テレビをそのようなものと思ってずっと見ているので批判的な思考能力を麻痺させられているかどうかすらわからない。

《われわれの願望——そして同じくわれわれの思想や感情——が、どこまでわれわれ自身のものではなくて、外部からもたらされたものであるかを知ることには、特殊な困難がともなう。それは権威と自由という問題と密接につながっている。》(279頁)
困難だけれど、われわれの願望か外部からもたらされた願望かは区別ができるとフロムは考えているように読める。外からの影響のまったくない本当の私というのはどういうものなのだろう。そんなものがあるのだろうか。疑問に思う。
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気になる安部公房作品

2020年01月07日 22時19分32秒 | 文学
テレビを見て、ネットで在庫を確認して安部公房の『方舟さくら丸』を近所の書店に買いに行ったら無くなっていた。
アマゾンで買うほどではないし、ちょっと手に取って読めるかどうか確認したいので出回るのをしばらく待とう。新潮文庫の安部公房作品は表紙が新しいものに変わっていっていて、『方舟さくら丸』はまだ昔のままのようなのでそのうち変わるのかもしれない。
安部公房については高校生くらいのときに『砂の女』を読んだきりで、あまり良い印象はないのだが、最近安部公房について読む機会が多いので少しまとめて読んでおいてもいいかもしれない。
以下のものが気になっている。

加藤陽子さんおすすめの『けものたちは故郷をめざす』
三島由紀夫さんおすすめの『他人の顔』
ヤマザキマリさんおすすめの『方舟さくら丸』

ヤマザキマリは安部公房作品が好きなようで、どういうところが好きなのか彼女の本を読んで確認しておきたい。

安部公房もカフカも嘘っぽすぎてあまり惹かれなかったが今年はしばらくそのような絶望的な状況を描いたような物語を読んでいきたい。
いまはジョージ・オーウェルの『一九八四年』を読んでいる。
権力者の都合のいいように公文書を書き換えるというような話を読んでいるとこれはSFではなくていまの日本だなと思う。
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「100分deナショナリズム」

2020年01月02日 00時06分57秒 | テレビ
NHKの「100分deナショナリズム」はとてもおもしろかった。
橋川文三の『昭和維新試論』はこれを機会に品切れじゃなくなって欲しい。中島岳志は品切れの本を選ぶということを意図的にやっているのだろう。前回もそうだった。
安部公房の『方舟さくら丸』はいままで一度も注目したことがなかったが、めちゃくちゃな話のようで興味を持った。この時代の核への恐怖というのはいまから見るとちょっと理解できなくなっている。
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