ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

エッカーマン『ゲーテとの対話(中)』

2014年12月16日 22時07分12秒 | 文学
エッカーマン『ゲーテとの対話(中)』(岩波文庫)を読んだ。
通勤時にちびりちびりと読んでいるのでほとんど内容は覚えていない。ゲーテがエッカーマンに『色彩論』の間違いを指摘されて、ものすごく意地悪な人間になるところが印象に残っている。

日付がついているのでこれまで読んだ本の中に並べるとこんな感じ。
『ゲーテとの対話』 1823年6月 ~ 1832年3月
『富士日記』 1964年7月 ~ 1976年9月
『成城だより』 1979年11月 ~ 1980年10月
『成城だよりⅡ』 1982年1月 ~ 1982年12月
『成城だよりⅢ』 1985年1月 ~ 1985年12月
『246』 1986年1月 ~ 1986年9月
『遠い太鼓』 1986年10月 ~ 1989年秋
『雨天炎天』 1988年9月 ~ 1988年10月
『日日雑記』 1988年 ~ 1990年(?)
『シドニー!』 2000年9月 ~ 2000年11月
『走ることについて語るときに僕の語ること』 2005年8月 ~ 2006年10月
コメント

内田樹『もういちど村上春樹にご用心』

2014年12月14日 02時07分25秒 | 文学
内田樹『もういちど村上春樹にご用心』(文春文庫)読了。
これまで読んだことのあるものも多く、少し退屈しながら読んだようなものもあった。
「「激しく欠けているもの」について」、「太宰治と村上春樹」、そして書き下ろしの「「女のいない男」の一人として」がおもしろかった。
「「女のいない男」の一人として」は、たぶん内田樹が離婚したときの話が出てきていて、あまり読んだことのない話で興味深かった。よく知っていると思っていた人が、これまで語ったことのない話をする場合、いつも興味深い。昔私の母親が「仕事なんか何をやってもつまらんよ」と言ったことがあり(たぶん僕が就職する前)、こんなことを彼女から聞くのははじめてだなと思って驚いた記憶があり、印象に残ったのでいまだに記憶している。
村上春樹ファンとしては同じような切り口が続くし退屈するのだが、内田樹ファンとしてはおもしろい本だったかもしれない。
内田樹の村上春樹批評はおそらく、こういうものなのだろう。「ファンとして」書くと明言しているので村上春樹に対する不満のようなものは聞かれない。

そろそろ竹田青嗣は、村上春樹について再び語り始めないのだろうか。村上春樹じゃなくてもいいのだが、文学作品についてそろそろ語ってほしい。
コメント

太宰治『斜陽』

2014年12月13日 01時51分46秒 | 文学
太宰治『斜陽』(新潮文庫)読了。
スウプをひらりといただくお母さまの印象のみが残り、この小説はいったいどんな話なのかいつも覚えていない。
読み終えた今はさすがに覚えているけど、しばらくすると忘れてしまうだろう。
この間ちょっと読んでみた「桜桃」も、子どもより親が大事、のところだけ印象に残っていて、この話が実は夫婦喧嘩の話であること、子どもの障害についてきちんと夫婦の間で話題にしないことなど、結構切実な話であることに驚いた。
『斜陽』についてはお母さまが死ぬことすら覚えていなかった。直治が遺書を書いて死ぬことも覚えていなかった。あらすじについてはほぼ何も覚えていない。
ここでこうやって感想を書こうとしても、ちょっとまとまらない。
たぶんそれで、また忘れてしまうのだろう。
「こういう話」ということが言えない。

日記が入ってきたり、手紙が入ってきたり、遺書が入ってきたり、いろいろな文体が登場し、そんなことも忘れてしまっていた。
直治が南方から帰ってくるまでは、太宰治のなかでいちばんおもしろい、と思っていたが、直治や上原が登場してきて、いちばんではなくなった気がする。
コメント

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

2014年12月10日 22時13分26秒 | 文学
村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』(文春文庫)読了。
太宰治の小説と村上春樹のエッセイを交互に読む生活が続いている。でもそれもそろそろ終わりだ。村上春樹のエッセイで読むものがなくなってきた。
しかしこの、ある作家の小説とある作家のエッセイを交互に読むというのはなかなかよいと思う。リズムができる。料理に入れる黒胡椒のようなもので、口に入るとピリッとして食欲が持続する。
次回は、太宰治が終わった後はヘミングウェイを読みたいと思っているのだが、そのお供は誰がいいだろうか。誰かヘミングウェイによく合うエッセイストを知りませんか。「1926年のヘミングウェイには雑味がありますから、肴にはこれがおすすめです」とか言う、書店員に会ってみたいものだ。
この本を読むのは二度目。
この本を読んでも走る気にはならなかった(久しぶりに泳ぎたいとは思った)。走っている人は世の中には多くて、車に乗っているときにそんな人たちを見ると、走ったら気持ちがいいのかもしれないなとは思うのだが、どうにも踏み出せない。学生の頃のマラソン大会も嫌で嫌で仕方なくてほとんど最初から歩いてたし、1500メートル走も歩いてた人間は走ることなどできないのかもしれない。
学生の頃に獲得した「私はこういう人間だ」という思いは、なかなか払拭できない。

このところ読んだ日付のある文章のなかでの位置はこんな感じ。
『富士日記』 1964年7月 ~ 1976年9月
『成城だより』 1979年11月 ~ 1980年10月
『成城だよりⅡ』 1982年1月 ~ 1982年12月
『成城だよりⅢ』 1985年1月 ~ 1985年12月
『246』 1986年1月 ~ 1986年9月
『遠い太鼓』 1986年10月 ~ 1989年秋
『雨天炎天』 1988年9月 ~ 1988年10月
『日日雑記』 1988年 ~ 1990年(?)
『シドニー!』 2000年9月 ~ 2000年11月
『走ることについて語るときに僕の語ること』 2005年8月 ~ 2006年10月
コメント

太宰治「右大臣実朝」

2014年12月09日 23時31分43秒 | 文学
太宰治「右大臣実朝」(新潮文庫『惜別』所収)読了。
吾妻鏡からの引用もきちんと読もうとしていたのだけれど、そうすると最後まで読み切れなくなりそうで、途中から引用は読み飛ばしてしまった。
『津軽』のときも思ったが、引用を読み飛ばしても太宰治を読んだことになるのだろうか。「なりません」と言われそう。ああ、そうですね。
私はやはり古文が読めない。
しかし今回発見は、「五月小」とか「三月大」とか吾妻鏡に出てくるのだが、これについて調べて、旧暦では同じ五月でも年によって二十九日のときと三十日のときがあることを知った。二十九日のときを「小」といい、三十日のときを「大」と言うらしい。
公暁が蟹を食べ散らかす場面があり、そこが太宰治登場! という感じだった。
「惜別」も最後に魯迅が長くしゃべるところがあり、そこが太宰治らしいところだったが似た雰囲気を感じた。
コメント

集英社の季刊誌「kotoba」、ドラマ「ごめんね青春!」第九話

2014年12月08日 21時23分51秒 | 文学
開高健について調べていて、集英社に「kotoba」という雑誌のあることを知る。季刊誌で前回の特集が開高健だった。
新潮社の「考える人」は毎号何が特集になるのかをチェックしているのだけれど、こっちは見ていなかった。すみません。
しかし「考える人」にしても「kotoba」にしても高い。1500円程度出して雑誌を買う気には僕にはなかなかなれない。
例えば、ちょっとだけ興味のある開高健特集がメインだとしても、あと簡単でおいしい料理のレシピやMacのアクセサリのミニ特集、内田樹か加藤典洋の文芸時評、高倉健のおすすめ映画、子育てエッセイなどがないと1500円出して雑誌を買う気にはなれない。
やはりインターネットの影響で自分で調べて簡単なことであればわかる(わかった気になる)時代なので、雑誌を作るのは難しくなっているのだろうな。ただでいろんなことが見られるのに、わざわざ雑誌を買ってまで読みたいことってなんだ? って思うと相当にハードルが上がってしまう。
「考える人」もずいぶん買ってない。

テレビドラマ「ごめんね青春!」を見た。
あなたが放火魔でも私たちは運命でつながっているから乗り越えられるだろう、というメッセージはまるでドストエフスキーの『罪と罰』じゃないかと思った。相手がどんな罪を犯していても(殺人でも放火でも)、それを乗り越えていかなければならない。それが運命だ、それが宗教心だとクドカンは言うのだなあ。
こんなにも日本人にはわかりにくい宗教的なテーマを扱っているドラマを僕は見たことがない。
宮藤官九郎ってやっぱりすごい。
最終回がたのしみ。
コメント

村上春樹『シドニー! ②ワラビー熱血篇』

2014年12月06日 22時58分40秒 | 文学
村上春樹『シドニー! ②ワラビー熱血篇』(文春文庫)を読んだ。
今後もオリンピックは僕は見ないだろうなと思った。
後半はまあまあきちんとオリンピック競技について書いていた。
女子マラソンも男子マラソンも閉会式についても書いていた。
ずっとオリンピック競技の話だと飽きるので、途中で新聞記事からの話を入れたりして(村上春樹的に言うと)リズムを作っている。確かにそうすることによって読める。
村上春樹はどこかで文学プロパーのために書いている訳ではない、と書いていた、かそのように読み取れるように書いていた、かどうか忘れたが、そんなふうなことを言っていたと思うのだが、おそらくその思想は今回のこの本でも同様で、オリンピックプロパーまたはスポーツプロパー(そんな言葉あるかな)のためだけにこの本は書かれた訳ではなく、間口を大きくしている。
この本はシドニーオリンピック期間中のオーストラリアで書かれたにもかかわらず、いまだに読めるものになっている。
オーストラリアは、やはりちょっと行ってみたい。料理が意外においしいというところに惹かれる。

少し前に、日付の入った文章を読んでいて日付をメモっていたが、その中に入れると、だいたいこんな位置付け。
『富士日記』 1964年7月 ~ 1976年9月
『成城だより』 1979年11月 ~ 1980年10月
『成城だよりⅡ』 1982年1月 ~ 1982年12月
『成城だよりⅢ』 1985年1月 ~ 1985年12月
『246』 1986年1月 ~ 1986年9月
『遠い太鼓』 1986年10月 ~ 1989年秋
『雨天炎天』 1988年9月 ~ 1988年10月
『日日雑記』 1988年 ~ 1990年(?)
『シドニー!』 2000年9月 ~ 2000年11月
コメント

雑感

2014年12月05日 00時23分35秒 | 文学
うちにはいま音楽を聴くための装置(いわゆるラジカセみたいなもの)が全くないのだけれど、子どもに音楽を聴かせたりラジオを聴かせたりというのが必要かなと(クリスマスも近いことだし)思い少し調べる。iPodはあるのでこれを使って拡声器のように音楽を聴く機械を見たことがあるのでそんなものでも買うかと思い、調べてみるがさっぱりわからない。どう使うのかもわからないし、僕の持っているiPodが使えるのかもよくわからん。
こういう機械物は知ってる人は知ってるし、知らない人はまるで知らないという状況になってしまっているなといつもの感想を抱く。
店頭で見てみるかな。
でも電気屋さんに行っても最近どういうわけかあんまり薦めてこないんだよね。もう知ってるんだろ、みたいな態度で扱われているような気がする。何も知らないんですが。このパソコン(MacBook Air)を買うときもぜんぜん説明してこないんでこっちからいろいろ訊いて、あんまりよくわからなかったけど、買っていまはだいぶ使い慣れた(ちなみにMacBook Airはすこぶるよいです)。
店員が説明してこないのは僕が悪いんだろうか。僕が何でも知っているみたいな顔してるのがいけないんだろうか(してないけど)。
洟でもたらして、腹巻きの下の方から札束を出しておけばいいのだろうか。

ヘミングウェイあたりから始めて、戦争についての本を読んでいきたいなと考えている。
で、この間ふと開高健の『夏の闇』は面白いんだろうかと興味を持った。日本のヘミングウェイのような気がするし。
開高健は高校生の頃に『裸の王様』などを読んでおもしろかったが、それ以来読んでいない。代表作とされる『夏の闇』も読んでいないのだが、ベトナム戦争が題材らしく興味を惹かれる。
その他、大岡昇平『ある補充兵の戦い』とティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』は読もうと思っている。
コメント

村上春樹『シドニー! ①コアラ純情篇』

2014年12月04日 21時33分08秒 | 文学
村上春樹『シドニー! ①コアラ純情篇』(文春文庫)を読んだ。
オリンピックに興味がなくて(というかほとんどすべてのスポーツ観戦に興味がない)、オリンピックの記憶と言えばロス五輪の開会式で背中に背負ったランドセルみたいなもので人が空を飛んだことしかない。
シドニーオリンピックもまったく見た記憶がない。2000年だから14年前か。何してたんだろう。
この本の単行本が出たときも「シドニーオリンピックか、興味ねえな、へっ」って思って読まなかった。
今回、村上春樹の紀行文を読み続けていてその一環で読んだのだが、思っていたよりおもしろい。
もっと毎日毎日のオリンピック競技の実況中継のようなことを村上春樹がするのかと思っていたら、そういう部分はあまりなく(感覚的には一割くらい)、ほとんどがオーストラリア紀行という感じの文章だった。
これはオリンピックやスポーツ観戦に興味のない人でも読める、と思う。そういう人の方が向いているかもしれない。「ナンバー」編集部がチケットを十万円で買った開会式を途中で飽きて帰るところが、わざとらしいが素晴らしい。
「幸せなら手をたたこう」が坂本九の歌であることを初めて知った。

村上春樹の紀行文は往々にしてその土地に行ってみたくなくなるという希有な紀行文なのだが、オーストラリアには別に行ってもいいかな。特に魅力も感じないが、嫌なところもあまりない。
コメント

高橋昌一郎『小林秀雄の哲学』

2014年12月02日 21時22分25秒 | 文学
高橋昌一郎『小林秀雄の哲学』(朝日新書)を読んだ。
非常によくまとまっていて、小林秀雄がどんな人かというのがよくわかる。あまり興味がなくて、中原中也と小林秀雄と長谷川泰子の関係などはあまり詳しく知らなかったのだが、理解できた。坂口安吾が鬱病になったことなど初めて知ることも多かった。小林秀雄の父親が生牡蠣にあたって死んだ、そしてその後小林秀雄自身も生牡蠣を食べなかったことなどおもしろい話が多かった。
高橋昌一郎自身が小林秀雄のことを好きなのがよくわかるが、フラットな立場で論じようとしている。これまであまり詳しく書いた物を読んだことのない、太平洋戦争時代の小林秀雄の話も興味深い。
郡司勝義の『小林秀雄の思ひ出』を読んだときも思ったが、小林秀雄は遠きにありて思うものだと思う。近くにいると泣かされる。そばにいた編集者たちはほんとうに苦労しただろうなと思う。

さて、非常におもしろい本なのだが、小林秀雄が科学的ではないということを結構詳しく書いているところは必要かなと思った。
小林秀雄が科学的ではないということは、まあ当たり前といえば当たり前で、科学的ということをこんなに批判している人はいない。
で、科学的でないから正しくないと言うのであれば、それは同語反復を行っているだけで、この場合の「正しい」とはどういうことかと言えばそれは「科学的である」ということだ。科学的であることが正しいということを科学的にじゃなくは証明できない。
科学的でないといけないとか言い出したら小林秀雄は読めない。

なんだかんだで小林秀雄の魅力のよくわかる本でした。
コメント