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村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

2014年12月10日 22時13分26秒 | 文学
村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』(文春文庫)読了。
太宰治の小説と村上春樹のエッセイを交互に読む生活が続いている。でもそれもそろそろ終わりだ。村上春樹のエッセイで読むものがなくなってきた。
しかしこの、ある作家の小説とある作家のエッセイを交互に読むというのはなかなかよいと思う。リズムができる。料理に入れる黒胡椒のようなもので、口に入るとピリッとして食欲が持続する。
次回は、太宰治が終わった後はヘミングウェイを読みたいと思っているのだが、そのお供は誰がいいだろうか。誰かヘミングウェイによく合うエッセイストを知りませんか。「1926年のヘミングウェイには雑味がありますから、肴にはこれがおすすめです」とか言う、書店員に会ってみたいものだ。
この本を読むのは二度目。
この本を読んでも走る気にはならなかった(久しぶりに泳ぎたいとは思った)。走っている人は世の中には多くて、車に乗っているときにそんな人たちを見ると、走ったら気持ちがいいのかもしれないなとは思うのだが、どうにも踏み出せない。学生の頃のマラソン大会も嫌で嫌で仕方なくてほとんど最初から歩いてたし、1500メートル走も歩いてた人間は走ることなどできないのかもしれない。
学生の頃に獲得した「私はこういう人間だ」という思いは、なかなか払拭できない。

このところ読んだ日付のある文章のなかでの位置はこんな感じ。
『富士日記』 1964年7月 ~ 1976年9月
『成城だより』 1979年11月 ~ 1980年10月
『成城だよりⅡ』 1982年1月 ~ 1982年12月
『成城だよりⅢ』 1985年1月 ~ 1985年12月
『246』 1986年1月 ~ 1986年9月
『遠い太鼓』 1986年10月 ~ 1989年秋
『雨天炎天』 1988年9月 ~ 1988年10月
『日日雑記』 1988年 ~ 1990年(?)
『シドニー!』 2000年9月 ~ 2000年11月
『走ることについて語るときに僕の語ること』 2005年8月 ~ 2006年10月
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