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いきなりはじめろ仏教の話

2011年05月07日 01時26分54秒 | 文学
SF小説についてはいま8位まで順位付けができたのであと2つ読めばベストテンになる。結構読んだつもりなのにそこまで、ものすごくおもしろい小説にあたらない。1位の『幼年期の終わり』も宇宙人の姿のインパクトとコックリさんの驚きがすごいだけ、といってしまえばそれだけだ。
もっとなんかないかなあという気持ちが強い。次に読む予定の平野啓一郎の『ドーン』とウェルズの『宇宙戦争』に期待しよう。
マイクル・クライトンの小説はスピード感がやはりすごいと思ったので、読んでいないものを読んでいこうと思った。あとは他の小説も読んでみようという気にさせる作家には出会わなかった。残念なことだ。

SFばかり読んでいるのもなんなので、ニーチェの『ツァラトゥストラ』(光文社古典新訳文庫)を読んでいる。相変わらずおもしろさのよくわからない本だ。でもこの翻訳は書店で立ち読みしたときに適当にめくって読んだところがすべておもしろいと感じたので読んでいるとおもしろくなってくるのだろうと思う。
それと、釈徹宗の『いきなりはじめる仏教生活』(新潮文庫)も書店で気になったので買って読んでいる。
”いきなりはじめる”という割にはいきなりははじまらず、キリスト教の話だとか、そもそも宗教とは、という話から始まる。「オレはいきなり仏教生活をはじめたいんじゃ! もういまこの本を読んでいることを仏教生活にしたいんじゃ!」と思ってせっかちに僕は読み始めたので少しはぐらかされた感じになる。いらない説明はいいので核心だけを語ってほしい、と思いながら我慢して読む。第3章でやっと仏教の話になる。
このように、そこだけが知りたいと思って読み始めても、そこだけ教えてくれるわけではない本は多い。マルクスの思想を知りたいと思って本を読むと、ほぼ毎回と言っていいほど、マルクスの生まれや育ちや貧乏な生活やエンゲルスとの関係についてから教えられる。そんなことは求めていないのにだいだい歴史から説かれることが多い。そんなことが知りたいわけじゃなくて本を開いて、マルクスの貧乏な生活に嫌気がさしてマルクスの思想の話まで行きつかないひとって結構多いんじゃないかと思う。思想書にはいきなり核心をついた話を始めてほしいものだ。
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北村薫『冬のオペラ』感想

2011年05月06日 12時35分40秒 | 文学
北村薫の『冬のオペラ』(角川文庫)を読んだ。
NHKの番組「探偵Xからの挑戦状!」を見ていたらこの『冬のオペラ』の続編だというドラマをやっていて、ドラマのトリックそのものはいまいちよくわからないなと思ったのだが、登場人物の設定に興味を惹かれて読んでみた。
”名探偵”を職業にしてやっていこうとすると、名探偵が解明するべき事件は実際には滅多に起こるものではないのでアルバイトをしながら生計を立てていくしかないという設定がおもしろかった。
三つの短編(中編)小説が入っていたのだが、トリック自体は毎回僕には「よくわからないな」というものだった。

時代小説とSF小説と推理小説のなかでは、推理小説がもっとも自分にあっていないなと読むたびに感じる。
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マイクル・クライトン『アンドロメダ病原体』感想

2011年05月05日 12時49分01秒 | 文学
マイクル・クライトンの『アンドロメダ病原体』(ハヤカワ文庫)を読んだ。
マイクル・クライトンは好きな作家なので安心して読めた。話の盛り上げ方も上手だなと思って読んでいた。いろいろな専門家が一か所に集まりコンピュータを駆使して未知の現象に対処するというのも『スフィア』といっしょでおもしろかった。このような話が単純に好きなのだ。
ただ、最後に何がどうなって解決したのかがよく分からなかった。放っておくのがいちばん良かったということなのだろうか。いきなり死ぬ人と気が狂う人の違いも実は僕にはよく分からなかった。「よくわかんないけど、まあなんか原因があったってことだろうな」という程度にしか理解できなかった。「よくわかんないけど、まあなんか原因があったってことだろうな」と思ってしまうとだいたいすべての推理小説は読めなくなってしまうのだが(そして実際にあまり読めないのだが)、SFでもそういうことがあると思う。
ある原因が及ぼす影響が対象によって結果に違いが出てくるということと、地球上ではそれがなければ「それ」ではないと言われているときにそれがない「それ」というものについて考えること(なにを言っているのかわからない。この小説で言えば「酵素のない生物」は考えられるかということ)がこの小説のおもしろさだと思った。
何が起こっているのかはいまいちよくわからないところもあるが、いろいろなところで同時多発的にいろいろな問題が起こって、あらあらという間に読ませるのはさすがだなと思った。
で、順位は、えーっと、
1位 『幼年期の終わり』(クラーク)
2位 『夏への扉』(ハインライン)
3位 『アンドロメダ病原体』(クライトン)
4位 『ボッコちゃん』(星新一)
5位 『マイナス・ゼロ』(広瀬正)
6位 『ソラリス』(レム)
7位 『星を継ぐもの』(ホーガン)
8位 『美しい星』(三島由紀夫)
です。
『マイナス・ゼロ』はもっと上位かもしれないなあとか、『ソラリス』のほうが『アンドロメダ病原体』よりも上じゃないかとか思う。順位を付けるのはむずかしい。
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ジェイムズ・P・ホーガン 『星を継ぐもの』

2011年05月02日 17時21分45秒 | 文学
ジェイムズ・P・ホーガン 『星を継ぐもの』(創元SF文庫)読了。
推理小説ふうのものであるとやはり読みながら正解を考えてしまうものなのだが、それが当たっているとどうしても「それほどでもなかったな」と思ってしまう。この小説は小オチのあとに大オチがあるという感じで、その小オチのほう(月がどうのこうのというほう)は想像しなかったのだけれど、そのあとにやってくる大オチのほうはそうじゃないかなあとずっと思いつつ読んでいた。分かったからといって優れているとかそういうわけじゃなくてたまたまであるし、私のようなものにもオチが想定できるということはよく考えられていてそこに向かうようにできているからなのだろうけれども、やはり評価は低くなる。それとあまり動きのない小説だった。
で、順位は、
1位 『幼年期の終わり』(クラーク)
2位 『夏への扉』(ハインライン)
3位 『ボッコちゃん』(星新一)
4位 『マイナス・ゼロ』(広瀬正)
5位 『ソラリス』(レム)
6位 『星を継ぐもの』(ホーガン)
7位 『美しい星』(三島由紀夫)
です。
『美しい星』よりは上だが、『ソラリス』のほうが深いかな、といった印象。こうして並べてみると『ボッコちゃん』が上位になってしまっているのが意外だ。
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堤幸彦監督『劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル』感想

2011年05月02日 00時36分34秒 | 映画
堤幸彦監督の『劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル』をテレビで見た。
いつもどおりの感じ。
公開時にさんざん宣伝していたので映画館に見に行こうかともすこし思ったはずだが、映画館に行っていたら後悔しただろうなというくらいのおもしろさで、テレビで見るならまあいいかという程度。
『トリック 劇場版2』が片平なぎさとゆーとぴあで、今回は松平健とアダモステ(島崎俊郎)だった。往年の大物俳優と、懐かしいネタを持っているお笑い芸人という組み合わせが劇場版では共通しているのだなと思った。昔、紫の頭巾をかぶった泉アツノという占い師がいて「こんなんでましたけど~」って言ってたよなあと思い出した。

SF小説『星を継ぐもの』はなかなかおもしろい。
しかしこれはSFというよりも推理小説といった感じだな。どうしてこんなところに死体があるのかというのを科学的に解明していくという体裁の小説だ。
『劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル』は妻の実家でWOWOWで見たのだが、WOWOWの冊子を見ていると「涼宮ハルヒ」のシリーズが放送するらしく紹介が載っていた。たまに書店で「涼宮ハルヒ」という文字を目にしてはいたのだが、「リョウグウ? リョウノミヤハルヒ?」と思って自分とは関係のないものだと思って通り過ぎていた。「すずみやハルヒ」と読むらしい。SFらしく、少しだけ興味を惹かれるが、ここまでやらなくてもいいだろうと思うのでそこまではやらない。読まない。でもたぶん三島由紀夫の『美しい星』よりもおもしろいのだろう。そうに違いない。
本のカバー画によって私が読むべき本と読むべきじゃない本というのをなんとなく分けてしまっていることはあるのだけれど、SFには特にそれが多く、『星を継ぐもの』も表紙がマンガっぽいので手を出すのが遅くなった。ダン・シモンズもおもしろいらしいのだがカバーのせいで読まないと思う。
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司馬遼太郎『微光のなかの宇宙』

2011年05月01日 13時46分56秒 | 文学
司馬遼太郎の『微光のなかの宇宙―私の美術観』(中公文庫)を読んだ。
司馬遼太郎が美術評、または画家について書いていたことを知らなかったので新鮮だった。とくに「裸眼で」というタイトルの書き下ろしの文章は、このところ読んだ文章のなかでも良いものだった。最近では加藤典洋の「戦後を戦後以後、考える」(『さようなら、ゴジラたち』所収)が印象に残っているが、あれと同じくらい印象に残った。どちらも困ったときに読み返したくなる文章だと思った。
「裸眼で」はセザンヌの美術理論についての話で、セザンヌは世界をとらえるために円錐と円筒と球体で物質は出来ていると考えたのだけれど、それはセザンヌが自分のために作り出した理論であって、それを他の人が真似をして同じように考えて絵を描いても意味がない、というような話だった。司馬遼太郎の小説は独特で、小説じゃないんじゃないかというところまでいっていると思うのだが、それは司馬遼太郎が世間で小説だと言われているものをなぞって書こうとしていないことの表れだと思う。なにかをやろうとするのならそれに対しての理論を自分でうち立てて、誰かの真似ではないものではじめなければならないという強い思想を感じる。

絵画の本ということで引き続き小林秀雄の『近代絵画』が読めればよいのだけれど、いまSFを読むのに忙しくて手が出せないかもしれない。
SFはジェイムズ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』を読んでいる。
月で人間の死体が見つかったけれど、それは五万年前のものだったという話でなかなかおもしろい。いまのところの僕の推理では、タイムマシンで未来人が過去に行って死んでしまった、というような話かなと思って読み進めている。
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