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アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』

2022年01月29日 21時40分17秒 | 文学
アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』(河出文庫)を読んだ。
分厚い本なので途中で「読み終えられないな」と思ったのだが、ギャツビー裁判のところで興味を持ち最後まで読んだ。
イラン人の名前に馴染みのないせいで、語り手の家に集まる生徒たちの名前が憶えられず、誰が誰だかわからない。もうそこを理解することはほぼ諦めて、誰が誰でもまあいいかと思って読み進んだ。
ヘンリー・ジェイムズについてはあまり興味が持てなかった。『デイジー・ミラー』を読み返す気にはならなかった。
ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』はつい最近読んだばかりなので、語られる内容がよくわかった。ダンスをするように男女の仲が描かれるという感じはよくわかった。オースティンの小説をまた読みたくなった。
「私の魔術師」という人物がイランでの生活のときの場面で何度か現れるのだが、この人物がずっと謎だった。途中で空想の人物なのかなと思ったが、はっきりと書かれてはいないがたぶんそういうことなのだろう。
イランでの生活が語り手たち女性にとって非常に辛いものだったということが、私のように登場人物の名前が区別できずに適当に読んでいる人間にもよくわかった。どうしてこんなに生きづらい世の中にしてしまうのか非常に謎だが、こういう状況になっていることはよくある。日本でもある。
生きづらい世の中の中で文学で別世界を読むことで救われるというところから、谷崎潤一郎の『細雪』を読みたくなった。
『細雪』はもう何度も読み返したいと思っているのでそろそろほんとうに読みたい。
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