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司馬遼太郎没後20年番組、折口信夫対話集のことなど

2016年03月29日 23時40分47秒 | 文学
この前NHKでやっていたのを録画していた、司馬遼太郎の没後20年の特別番組(「TVシンポジウム「司馬遼太郎からの問いかけ~没後20年 菜の花忌シンポジウム~」」)を見ていたら、とってもおもしろかった。
パネリストは磯田道史と東出昌大と片山杜秀と辻原登だった。
東出昌大は司馬遼太郎のこととなると登場する。役割としては若者代表のイケメンで誠実な感じの俳優。
片山杜秀はマッドサイエンティストで、辻原登は間の抜けた小説家、といった役割だった。
ほんとうはここにいるはずの関川夏央は客席にいて、なんども映されていた。なんで関川夏央がパネリストでないかというと、磯田道史とキャラがかぶるからだと思う。話し方が似ている。
磯田道史は「100分de名著」の司馬遼太郎スペシャルにも出ていて、そのときはあまり注目していなかったが、今回はとても興味を惹かれた。
『坂の上の雲』の秋山兄弟のどっちかが日露戦争が終わってからちょっと変な宗教的な考えにはまってしまって、でもそれを司馬は書いていない。司馬遼太郎の書かなかったことについても考える時期にきている、というような話をしていて「すごい」と感心した。
遠藤周作の没後20年を振り返っている身としては、司馬遼太郎の没後20年は不倶戴天の敵であるわけだが、やはり司馬遼太郎に興味を惹かれる。どちらも読んだことのない人にはやはり司馬を薦めてしまうだろう。

『折口信夫対話集』(講談社文芸文庫)を読んでいる。
「細雪をめぐって」(谷崎潤一郎、川端康成)では、またまた『細雪』が読みたくなった。谷崎が固有名詞が出なくて「あなたのナニを拝見いたしました」とか「ナニは完成されたんですか」とか言っていて、それに川端も折口もきちんと答えている。日常では確かにあることだが、文章で読むと不思議だ。
「日本詩歌の諸問題」では当時(昭和二十四年)すでに詩が駄目になったと言われていた状況がわかる。脚韻は日本の伝統にないから、十年か二十年かがんばって定着させようというような発言もあり、そこまでして西洋の詩の影響を受けなければならない気持ちがもうわからない。
「古典をめぐりて」(小林秀雄)はこの前読んだので二度目(もっと前にも読んではいるが)。ここで小林は平安時代と現代では人間の評価の仕方が変わっていることを指摘する。枕草子について、
《清少納言の文章の面白さは僕らにもすぐわかるが、行成の字の美しさはもうわれわれからは遠い処にある。若し行成という人の全人格は字で表現されているという事であれば、もうそれはわれわれには大変難しい問題になります。》(114頁)
また、
《やっぱり男が偉かったのでしょうが、あの頃の男の偉さということが今は分からなくなって了ったのじゃないかと思います。女の偉さというものは、今の人から見ても分かりやすいというに過ぎないのではないかと思います。》(125頁)
とも語る。このことについてよく考えてみる必要がある。
「燈下清談」(小林秀雄)では堀辰雄について語られる。このころ(昭和二十五年)堀辰雄は一度危篤になり、回復したらしい。遠藤周作の師匠である堀辰雄について少し読んでみるつもり。
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