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中野翠『小津ごのみ』

2015年12月31日 01時16分17秒 | 文学
図書館で借りて中野翠『小津ごのみ』(筑摩書房)を読んだ。
おもしろくて分かりやすい本だった。
自分に分からないことは「わからない」ときちんと書いていた。わからないことを分かったようなふりをして誰かの本からの受け売りをしていないところが好感が持てる。映画の本ではこのようなことがよくあるのだが(これはもちろん誰かからの受け売りです)。

小津安二郎の映画はいくつかは見ているのだが、何を見ているのかわからない。『東京物語』と『秋刀魚の味』は間違いなく見ているのだが、ほかは判然としない。『麦秋』や『小早川家の秋』などはたぶん見ているのだけれど、本を読んでいると見たくなったのでいつか見てみよう。
「腑に落ちないこと」という題の文章があり、小津安二郎の映画に登場する性的なクスグリについて、中野は好きではないが《男の小津ファンはそんなふうには感じないものなのか。よくわからない。》(212頁)とあった。
『秋日和』では北竜二が原節子の再婚相手の候補となり、お手伝いよりも妻のほうが「かゆいところに手が届く」という話から、「まだまだかゆい」とか「どんどんかゆくなった」とかそういう話が繰り返され、原節子との再婚に期待が出てくるたびに北竜二がトイレに行く。あそこがかゆくなってトイレでかいてくる、というようなふうに受け取れるのだが、それ以外に受け取れないからたぶんそうなのだろう。
僕としては、小津安二郎がこんな下ネタを入れているところが意外だった。
が、時代を考えればまあそんなものかな、というふうに思っていた。
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