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バルガス=リョサ『若い小説家に宛てた手紙』

2010年12月31日 18時49分34秒 | 文学
今年のノーベル文学賞受賞者なので本屋に並んでいたバルガス=リョサの『若い小説家に宛てた手紙』(新潮社)を読んだ。
とてもおもしろかった。
小説というのはこういうものなんだということがとても分かりやすく書いてあった。
小説家なので、理論よりも実際に読んだときにどう感じるかを大切にしていることもよくわかった。ほかにも似たような本があれば読んでみたい。
フロベールをとても尊敬している。セリーヌは嫌い。でも『夜の果てへの旅』と『なしくずしの死』だけは良い。とか独自の文学観を大切にしているところもよいと思う。
ラテンアメリカの小説は、ごたごたしてて面倒くさい小説が多いので、あまりいま読む気はしないけれども、こういうエッセイだったら読める。
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半藤一利『荷風さんの戦後』

2010年12月31日 10時30分51秒 | 文学
半藤一利『荷風さんの戦後』(ちくま文庫)を読んだ。
永井荷風がとても偏屈な爺さんで、日記『断腸亭日乗』に書いてあることも実際に起きたこととはニュアンスの違うことの多いことがわかった。偉そうに言っているけれども実は小心者、といった印象。しかしこれは誰の日記にも当てはまることかもしれない。
大江健三郎が、自分の小説は私小説のような体裁を取っているけれども語り手は自分そのものではない。私小説の語り手は作者と同一人物であると、作者自身も思ってしまってどうしても格好よく描いてしまうものだが、自分の小説はちがう。というような内容のことを言っていたけれど、日記でも同じことは起きるだろう。日記を書いているのは、書いている本人と同一人物だとどうしても思ってしまうので(「何を言っているのだ。そんなこと当り前じゃないか」と言われそうだが)、やはりうぬぼれみたいなものが出てきてしまいがちだ。これは自我というものを、自分の内部に設定するか、それとも世間との交わりの中間あたりに設定するか、でかなり違ってくるように思う。
『断腸亭日乗』を読もうかなと思ったりもするが、長いし、それほど永井荷風が好きなわけじゃないので飽きるだろうと思う。言葉もよくわからないことも多いし。代わりに、同様に気になっている日記、武田百合子の『富士日記』をまずは読もうか。こっちは言葉が分からないということはないだろう。

NHKの「トルストイの家出」という番組を録画していて見ていなかったのだが、年末で見る番組がなかったので見た。
トルストイは立派なことを言うけれど、奥さんにとっては困った夫だったのだなということがよくわかった。田中泯がトルストイの日記を、余貴美子が妻のソフィアの日記を朗読する番組だったのだが、どうしてもソフィアに同情してしまう。
作家の書いたものを倫理的に正しいかどうかということだけで良い悪いを判断してはいけない、と改めて思う。

テレビでお笑い番組を見ることが多く、このところ思うのは、笑いで勝ち負けを決める番組が増えたこと。昨日は、お互いにおもしろいことをして、笑った方が負け、という番組をしていた。笑うまいと思えばいくらでも笑わないことはできるのだが、あまりにも笑わないと相手のやっていることがおもしろくないということになってしまい、番組自体がおもしろくないということになる。テレビではおもしろくなくても大袈裟に可笑しがるというのが約束なので、難しいジレンマを抱えた番組だ。
笑いに勝ち負けがあるという発想がそもそも間違いなのかもしれない。
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