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角田光代『対岸の彼女』

2010年12月11日 16時34分28秒 | 文学
角田光代『対岸の彼女』(文春文庫)を読んだ。
途中までおもしろく読めていたが、だんだんと現代文学らしくなってきてあまり楽しめなくなった。
現代文学らしさとは何かというと、あまり読んでいないので初期の大江健三郎のものくらいしか明確な例は思い出せないのだが、無理やりに他人の嫌な面を引きずり出して描いているようなところがあると、「これって現代文学らしいな」と思ってしまう。神経質に他人の嫌な言動に反応してしまって、主人公の周りをみんなそんなひとばっかりにしてしまう傾向が最近の日本の小説には多いように感じている。無理に敵を見つけて怒っているような。
それが文学だと言えばそうなのかもしれないが正直つかれる、と言いたい。
小夜子の夫にしても姑にしても、あるいは葵の母親にしても同級生にしても、主人公の視点から一方的に断罪されてすこしかわいそうだと思ってしまう。そんなに他人の嫌な部分ばかりを見ていたらやっていけないよと、思った。

会話文に「-(のばし棒)」が多く、「やーだ」とか「なーんでも」とか、読んでいて違和感を感じた。

葵の友達のナナコ(魚子と書いてナナコ)が最初は俗世間を超越した存在のようだったのに、長期アルバイトの帰りに突然泣き出して帰りたくないと言いだしたあたりからそもそもわからない存在だったのにさらによくわからない存在になった。なんで葵の父親はナナコと連絡を取り再会させたのだろうか。このタクシー運転手の父親がもっとも謎の存在かもしれない。

直木賞の小説を久しぶりに読んだ。
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