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☆橋本治「橋本治という考え方」

2009年08月13日 13時21分43秒 | 文学
橋本治という考え方 What kind of fool am I橋本治の「橋本治という考え方」(朝日新聞出版)読了。
正直に言うと、橋本治のカマトトぶった(と言うのじゃないな)、何というのか分からないが、賢い人が「自分はどうやって勉強したらよいのか分からない」、という類いの発言をするのを聞いた時に感じる不快感に似たものを読んでいるとたまに感じる。
たぶん橋本治は正直に自分の言葉で語っているだけなのだろうが、それがなんだか腹立たしいことがある。
これは私に問題があるのだろう。

古典というのは、いや、本というものは、いやいや、そもそも何かに出会うということは、それまでの自分の理解してきた手持ちのもので理解しようとするのではなしに、まったく理解不可能なことに出会い何とかしようとするところに喜びがあるのだろうと、最近よく感じる。
高校野球はすこしは見ているが、まだ一回戦なのでそんなに面白くない。
やはり終盤の逆転によるエースの崩れ、そんなものを私は見たい。
守備が終わってベンチに走って帰る姿を見ると、高校野球というのは楽しむためのスポーツではなくて、修行というものに近いものなのだろうと思う。
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☆明菜、治、七平

2009年08月13日 00時38分54秒 | 文学
中森明菜が歌うのをひさしぶりにテレビで見る。
何を歌っても中森明菜。
ただただ懐かしい。

橋本治の「橋本治という考え方」(朝日新聞出版)を図書館で借りて読んでいる。
橋本治の文章は独特なので少し疲れる。このような文章を書く人を他に知らない。
いまちょうど「論語」を読んでいるので、
《ところが、その作業を続けて半年以上が過ぎ、なんとなくおぼろげに清少納言の言わんとすることが分かるようになった段階で、「ああ、なに言ってるのかさっぱり分かんない!」の正体が分かって来た。障害の根本は、「清少納言はそう言いたいのかもしれないが、こっちはそういう風に言わない」という、思考の相違なのである。》(38ページ)
このようなところがよく理解できる気がする。
「論語」のおもしろさがいまだにわからないのだが、読んでいれば面白くなるのかもしれないと、というか、何かに気がつくのかもしれないと、思って読んでいる。
自分にとって面白いものだけを読んでいると、わりと退屈になってしまうし、自分的面白さをどんどん極めすぎて神経質で狭苦しいものになるので、たまには全く違うものから攻めてみるのもいいことだと思う。
書店で山本七平の「論語の読み方」(祥伝社)という本を買う。
その他、家にある「論語」関連の本(白川静「孔子伝」と井上靖「孔子」)も机の上に積んで気分を盛り上げてみる。
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