![丸山眞男集 (第13巻)](http://ec2.images-amazon.com/images/I/412M7PPA88L._SL500_AA240_.jpg)
豊臣秀吉のことを考えるときに、木下藤吉郎の時代であっても羽柴秀吉の時代であっても最終的に豊臣秀吉になった人物という視点で考えてしまうのだが、ほんとうは木下藤吉郎は自分が豊臣秀吉になるとは考えてもいなかった。
というようなことを福沢諭吉が言っていた。
人間には一貫した性格があるというのは虚構なのだなということを最近よく感じるのでここはものすごく納得した。虚構だからといって無視できるものでもないけれど、性格は自分が自分を意識して作り上げているものだということはよく思う。
それと、絶対的な正しさがあるわけではなく時代と場所による、というような福沢諭吉がよく使う論理もよくわかる。
福沢諭吉はとても頭の良い人なのだなあ。
しかし、やはりこの当時の文章は難しく、丸山真男の助けがなければ難しい。
ゆっくりとよく読めばわかるのだろうけれど、ほどよいスピードで読まないと文章は理解できないものだ。この時代の本をたくさん読めば慣れるのだろうけれど、専門家ではないのでそこまではしない。
読みやすい現代語訳が出たら良いのになあと感じる。
たいへん良い本なのに言葉が古いということで読まれていない本はたくさんあるのだろうな。原書第一主義というようなものがあるのだが、原書で読まないと意味がないとかそのようなことを言っているうちに誰も古典に触れないような状況になってしまっているんじゃないのかなあ。
ワインに水を混ぜて子供に飲ませて将来の酒飲みを育てるフランス人のような発想が必要だ。