村上春樹の「アフターダーク」がなんとなく喰いたりなかったので、無性に彼の”僕語り”が聞きたくなってしまい、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を購入。
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は高校時代と大学時代に一度ずつ読み、いずれもたいした印象を残していない。妹が旅行鞄を引きずって持ってくるシーンしか憶えていない(ほんとうにそんなシーンがあるかどうか怪しいけれど)。
加藤典洋の評論集「敗戦後論」のなかに、太宰治の「トカトントン」とサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を比較した「戦後後論」があり、読んだときにサリンジャーを読もうかと思ったがめんどくさかったのでやめた。
春樹訳で読むのが楽しみ。
というかいまは村上春樹が”僕”で語っていればそれだけで嬉しい。
猪瀬直樹の「天皇の影法師」の最初の「天皇崩御の朝に」を読んだ。
大正天皇崩御のときに東京日日新聞が次は「光文」という元号であるという誤報を流してしまった。そのへんのことが詳しく書かれている。
「昭和」の”昭”の字は当時あまり一般的な漢字ではなかったらしい。驚いた。
確かに「昭和」以外でこの文字を使っているのは、小沢昭一ぐらいしか思い浮かばない。
それと、明治天皇崩御のときに乃木大将が殉死したが、これについて一般大衆は、馬鹿なことをしたなあ、という感想だったらしい。
決してすばらしいお方のすばらしい措置、といった印象ではなかったらしい。
新聞で褒め称えるのを見て驚いたようだ。
歴史を見るときに文字で書かれたもの、新聞などを見て当時を推測することが多いと思うが、これでいくとなかなかそれだけでは判断を誤ることもあるのかもしれないなあと思った。
埴谷雄高(か大岡昇平)が、江藤淳がGHQの検閲について調べていることに触れて、GHQの検閲と言っても実際にやっていたのは日本人で、そのへんの雰囲気が当時生きていなかったから江藤淳にはなかなか判らない、と「二つの同時代史」で語っていた。それを思い出した。
「全国民が喜んだ」などと新聞やテレビで報道されても、全国民なんてことはありえないし、少なくとも僕は違うなあ、と感じる。そのへんの気持ちが、のちのち新聞やテレビ映像を見た人にはわからない、ということに近い感じだろう。
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は高校時代と大学時代に一度ずつ読み、いずれもたいした印象を残していない。妹が旅行鞄を引きずって持ってくるシーンしか憶えていない(ほんとうにそんなシーンがあるかどうか怪しいけれど)。
加藤典洋の評論集「敗戦後論」のなかに、太宰治の「トカトントン」とサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を比較した「戦後後論」があり、読んだときにサリンジャーを読もうかと思ったがめんどくさかったのでやめた。
春樹訳で読むのが楽しみ。
というかいまは村上春樹が”僕”で語っていればそれだけで嬉しい。
猪瀬直樹の「天皇の影法師」の最初の「天皇崩御の朝に」を読んだ。
大正天皇崩御のときに東京日日新聞が次は「光文」という元号であるという誤報を流してしまった。そのへんのことが詳しく書かれている。
「昭和」の”昭”の字は当時あまり一般的な漢字ではなかったらしい。驚いた。
確かに「昭和」以外でこの文字を使っているのは、小沢昭一ぐらいしか思い浮かばない。
それと、明治天皇崩御のときに乃木大将が殉死したが、これについて一般大衆は、馬鹿なことをしたなあ、という感想だったらしい。
決してすばらしいお方のすばらしい措置、といった印象ではなかったらしい。
新聞で褒め称えるのを見て驚いたようだ。
歴史を見るときに文字で書かれたもの、新聞などを見て当時を推測することが多いと思うが、これでいくとなかなかそれだけでは判断を誤ることもあるのかもしれないなあと思った。
埴谷雄高(か大岡昇平)が、江藤淳がGHQの検閲について調べていることに触れて、GHQの検閲と言っても実際にやっていたのは日本人で、そのへんの雰囲気が当時生きていなかったから江藤淳にはなかなか判らない、と「二つの同時代史」で語っていた。それを思い出した。
「全国民が喜んだ」などと新聞やテレビで報道されても、全国民なんてことはありえないし、少なくとも僕は違うなあ、と感じる。そのへんの気持ちが、のちのち新聞やテレビ映像を見た人にはわからない、ということに近い感じだろう。