
関東沖縄経営者協会・副会長の豊里さん経営の居酒屋オープン祝賀会に参加しました。正直、新年会ラッシュのこの時節週末、自宅から遠い東横線反町の松本商店街まで脚を伸ばすのはシンドかったが、因縁深い朋友の再起スタート、勇を奮って遠征しました。
それというのも今を去る20年前上間信久プロデューサー(当時)による「新感覚のUターン」と銘打つ1時間以上のRBC(琉球放送テレビ)放映のパネルデスカッションに競演した間柄。時はバブル経済絶頂期、当時40歳を越したばかりの豊里さん、弊社が売上8億の頃、㈱豊住建を率い、居酒屋、学習塾と売上40億を越す多角事業を展開、飛ぶ鳥を射落とす絶頂期。しかし、やがてバブル崩壊、地下にカラオケ部屋もあつらえた菊名の豪邸はもとより、横浜、沖縄に展開していたマンション、ホテル等多くの不動産を失い、多額の借金を背負い絵に描いたように倒産。再起は難しいだろうという周囲の予想を覆す雌伏20年、負債を返済しつつ宮古島アララガマ・スピリットを地で行くこの度60名収容の「おきなわ家」(長嶺匠店長)開店に漕ぎ着け、早くもフランチャイズ展開構想を抱く不死鳥再起!感嘆!
この日、栄誉ある祝賀開会の挨拶役を振られました。“豊里さん、改めておめでとう!”
それというのも今を去る20年前上間信久プロデューサー(当時)による「新感覚のUターン」と銘打つ1時間以上のRBC(琉球放送テレビ)放映のパネルデスカッションに競演した間柄。時はバブル経済絶頂期、当時40歳を越したばかりの豊里さん、弊社が売上8億の頃、㈱豊住建を率い、居酒屋、学習塾と売上40億を越す多角事業を展開、飛ぶ鳥を射落とす絶頂期。しかし、やがてバブル崩壊、地下にカラオケ部屋もあつらえた菊名の豪邸はもとより、横浜、沖縄に展開していたマンション、ホテル等多くの不動産を失い、多額の借金を背負い絵に描いたように倒産。再起は難しいだろうという周囲の予想を覆す雌伏20年、負債を返済しつつ宮古島アララガマ・スピリットを地で行くこの度60名収容の「おきなわ家」(長嶺匠店長)開店に漕ぎ着け、早くもフランチャイズ展開構想を抱く不死鳥再起!感嘆!
この日、栄誉ある祝賀開会の挨拶役を振られました。“豊里さん、改めておめでとう!”

近々お邪魔することを楽しみにしています。