(父に抱かれる1歳の私、左前が母・右は母の妹・義母・義妹・父の右は母の弟)
私の両親は奄美大島南部の加計呂麻島の須子茂村出身ですが、私が生まれたのは1940年(昭和15年)満州の哈爾濱(ハルピン)で、五歳まで大連で育ちました。何故、満州で生まれたのかというと、父が学校卒業後、召集され鹿児島45連隊任務を終えた後、ハルピンで満鉄(満州鉄道)に勤めていた父の従姉の岡留ウフミ伯母に呼ばれ、渡航、満鉄付属の「大連都市交通」に就職したようです。
父と母の結婚もこのウフミ伯母の斡旋紹介でした。たまたま滋賀県の近江絹糸社に繊維工として勤めていた母が須子茂へ帰郷した折、フミ伯母も帰郷しており、説得され結婚したようです。母は須子茂小学校の二つ年上の父を知っており、快諾しハルピンに渡り、結婚、私が生まれたようです。
~”重田さん履歴書途絶えたの?”との督促を受け、継続アップ(´Δ`;)
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