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”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「当社大卒採用に於ける琉大率」

2007年01月10日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 当社の県出身大卒出身採用は累積75名、現定着率は15名の20%。その内訳はグラフで示すようにこれまで県立芸大以外の県内全6大学からの採用実績があるが、採用・定着共に圧倒的に琉球大学が多い。以下、その経緯と理由を開陳する。
 創業5年目の昭和59年は日本経済のバブル絶頂期とも言うべき時代で沖縄には富士通に次いで日電が子会社を設立、進出、この日本有数のコンピューター両子会社が琉大電子工学系の卒業生の大半を数10人単位で根こそぎ掻っ攫って行く時代でした。あまつさえ、琉大工学系卒業は沖縄電力、公務員、教職が3大志望先で、その後にNTT、富士通、日電、日立と大手電機メーカーと続く。当時はベンチャー等見向きもされず、まして創業5年目の当社が琉大工学卒業生を採用する等至難の業だった。
 そんな最中私は何度も琉大、それも教授の研究ゼミ室に通い、お願いして会社説明会の機会を頂いた。その中に当社琉大入社一期生として、電力も公務員も受けず当社に入社したのが現在勤続23年目の沖縄事業所長である。

 当時私が臆せず琉大に通ったのは私の高校同期が10名以上琉大教授を勤めており、現ポリテックカレッジの校長を務めている機械工学の屋良教授の部屋を琉大の当社事務所のように使わして頂き、各教授ゼミ教室に通いました。爾来当時の短大生を含め30名の卒業生を採用、現在11名が勤続定着している。ここ数年は院卒が毎年入社している。

 県内大卒社員中、琉大生が多いのはその他に以下の事由があると思う。
 ①琉大にはIT業である当社が求める人材を教育、供給する情報、電子工学部があるのに対し、県内他大学にも情報経営的な専攻科があるとは言え、どちらかと 言えば文系。さらにIT業界は専門職の色彩が強いため大学院のある琉大生が馴 染み易い点もあるようです。事実定着している琉大出身者の8割が工学系出身で その内4名は院卒です。
 ②もう一つの理由は琉大には比較的本土・他府県出身在学が多く、彼等は就職対象として、当社のような沖縄に関連がある本土企業を注目すること。現実の当社在席の琉大OB中3名が本土出身。
 ③さらにはわずか一年とは言え、かって私が琉大に在学したのもどこか作用しているのかも知れません。

女性の最長勤続は今年で18年。現在4年制大になったキリスト教学院卒が一人頑張っている。配偶者も県出身勤続21年目の社員同士で共に本社勤務。
 
 (06年、琉球大学同窓会関東支部20周年で報告挨拶)


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「当社に於ける浦添工業高の定着度」

2007年01月07日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 当社はこれまで上記グラフで見るように沖縄県内11高校から累積40名以上の新卒を採用して来たが、採用数も定着数も浦添工業高校(情報技術科)が圧倒的に多い。大学では琉球大学工学系が突出して高いことも先に紹介した。2006年末現在、奇しくも両校同数11名が定着している。以下その理由を分析し、今後の採用・応募の参考に供したい。

 浦添工は昨年で創立24年目を迎える。21年前、当社にその一期生4名が入社し男子2名が現在まで勤続21年。同期女子社員は社内結婚、お子さん二人、首都圏で家庭を築いている。これは限りなく個人情報の開示に近く、当事者には申し訳ないが、同校定着要因の一つになっている可能性があり、県後輩のためと諒承願いたい。
 以後、同校からはほぼ年一人の割合で入社、現在席10名の中には上記以外にも社内婚や元生徒会長等もいる。因みに我社は創業以来、毎年平均一組の社内婚、累積30組近くあり、同業他社に言わせると我社の特徴の一つらしい。これには我社ならでは要因に思い至るが、これについては後に触れたい。

 上記一期入社二人は琉大生でも簡単ではなく、当時全県高校生でも数人しか合格しない情報技術の国家試験資格を卒業前後に取得するほど優秀でした。
また、当社のような受託ソフトウエア開発の会社では女子高校生の採用、育成は容易ではないが、学校からの推薦もあり同校から採用した一期生に続く女子6名は皆クラスのトップクラスで優秀でした。ただし、これと定着性は一致しないから悩ましい。

 新設校と言うものは関係教職員の皆さん、一様に熱意を持つものらしい。一期生採用に同校訪問した際、クラス全員に当時の最新鋭PCを設置した教室を案内下さった情報技術科担任の誇らしさや初めて送り出す一期卒業生の新規就職先開拓へ熱弁を振るう校長先生の姿が今だに思い出される。
 県内最先端ITモデル校構築を目指した予算措置や学科毎に選り優りの担当教師を配置する等県教育担当の意気込を感じたものです。あたかも創業7~8年目の当社も折からバブル経済期を迎えた高揚期、双方良い出会いだったとも言えます。

 同校と当社の関係はその後も私や当社同校OBが何度か就職セミナー等で訪問する一方、同校からは職場実習生、先生方の来訪、さらに当社勤務の卒業生が“県外就職事例”として取材、放映されたテレビを職員会で鑑賞される等々続いています。
 同校一期生を推薦された当時の情報技術科担当の先生は研修センターへ出向、IT教育黎明期のリーダーとして活躍、件の女子社員の社内結婚式にも列席される一方、何度か当社に来られた。現在は県内工業高校の校長をされている。後にその姪御さんが偶然当社に入社、社内結婚するという奇縁もありました。最近では職場実習引率の先生が琉大で我社の社員と同期という巡り会わせもあった。
 いま、沖縄事業所で採用担当として同校を折々訪問しているのは入社19年目の同校3期生という歴史も出来ました。

 当社の在席県内高卒は浦添工以外に沖縄工業、八重山商工他商高卒5校が在席しているが、生徒会長やクラス委員、クラブ長等の経験者で下手な大卒より総じてしっかりしており、その多くは家庭の事情で進学を断念している。


(05年、浦添工高校長室訪問。校長・教頭・就職指導の各先生と)



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「Uターンは悪いか!」

2007年01月06日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 沖縄県は全国の2倍にも上る若年者失業率を下げるために、企業誘致と並んで県外就職を奨励している。仲井真新知事も公約政策の筆頭にそのことを掲げている。
 県はそのためこれまで全国でも例の無い、旅費、滞在費等を補助し、首都圏、関西に職場実習のため毎年100人を超える高校生の派遣を行っている。県内私立6大学でも“就職の翼”と銘打ち、就職セミナーや企業訪問のため学生の本土ツアーを実施している。私は両キャンペーンに何等かの形で参画し、その実態も見ているが県や教育関係者の努力は並大抵ではない。にも関らずこれらの関係者の期待に反して、県出身者の離職、Uターン率は高い。
 
 では「Uターン」はそんなに悪い事なのかと言うと、私は「Uターン」そのものはそんなに悪いとは思わない。現に若者の県外脱出による人口減と過疎に苦しみ、対策に四苦八苦している他県から見たらこんな羨ましい現象はない。
 問題は「Uターン」の形である。出来ればノウハウや人脈、一番いいのは仕事を持って帰る。悔しさを秘め、捲土重来を期した挫折感でもいい。私の経験からも言えるが、挫折は飛躍へのスプリングボードになる。最も避けたいのは何をしたのか自覚無く、ただボーっと“尾羽打ち枯らし”手ぶらで帰ること。

 インターネットやマスコミの発展普及し、情報の同時共有可能な最近では県内で生まれ、育ち、本土就職経験無く起業、成功している例も少なくない。しかし、その人達も会社の発展と共にやがて市場として県外と向き合う局面では本土経験と人脈があるに越したことにないと思うだろう。県内企業家を仔細に見ると何等かの形で本土経験を持っている例が多い。
 こんなことを言うと叱られるかも知れないが、沖縄で成功している県外出身経営者の中には本土での挫折経験を持っている例が少なく無い。本土での失敗経験を沖縄でのリターンマッチに活かしていると言えよう。

(写真は05年、代々木青少年センターでの”就職の翼”向け講演)
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「もう一つの節目10年」

2007年01月04日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 前回の一般的県出身者の離職Uターン傾向は別としてもう一度、我社のグラフに目を移すと次の特色が読み取れる。つまり、勤続10年を過ぎるとグーンと定着性が高まるということ。この層は10年以上本土市場の修羅場を潜り、本土の技術者と競い合い、キャリアを形成、IT技術者としてどこでも通用するという自信を確立したメンバーで、言わば当社が育成した人材。この層は採用総数の1割強。
 沖縄出身者は少数の例外を別にして潜在的にほとんどがUターン指向。しかし、県内市場の需要からはそれを実現するのは極めて難しい。勢い当社の沖縄事業所へのUターンは原則10年以上の本土勤務と最低でもシステムアドミニストレイターや基本情報技術試験等の資格取得等そのハードル高い。その高ハードルのもう一つの理由は当社沖縄事業所の仕事7割は本土市場からの遠隔受託開発、いまで言うNear Off Shore。そのために当社は20年ほど前から自力で東京本社並びに首都圏顧客と回線接続の一方、テレビ会議システムの設備投資を行った。それだけの経費を掛けての遠隔開発で採算を採るためには平均以上の経験と技術力並びに顧客とのリレーションが必要で、必然的にそれだけの要件ハードルを必要とした。
 再度グラフに目をやると当社の定着性の高い県出身者は青グラフ、つまりは県内事業所勤務者が多い。これを見ると県出身者の離職率の高さは県外就職の場合で県内就職だとそれほど悪くはないといえる。事実当社沖縄事業所メンバーの平均勤続年数は大阪、名古屋、静岡等の事業所と比較しても決して低くない。むしろ近い将来、事業所内の“中高年問題”が課題として浮上する状況だ。
 さらに、これだけのメンバーをほほ首都圏と同じ雇用条件を維持しつつ、遠隔開発で継続継続していくのは経営的に楽ではない。             
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「県出身者の勤務態様」

2007年01月03日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 上記のグラフは我社で創業5年目から昨年まで20余年に亘り採用した県出身総数220名強の内2006年現在在席の43人の勤続年数を表したもの。定着・離職率は別としてこの表から県出身者の就業態様のいくつかの特色が読み取れる。
 まず、グラフの形態から県出身者は入社4~5年が一つの節目で、この頃の退社が多いということ。なぜ、4~5年が節目か?以下その理由と意味。
 単純に言えば、就職4,5年「東京生活、大体分かった。もういい!」という物見遊山気分の終了。

 沖縄県の調査によると県外就職者の三〇%がUターンするという。しかもこの七割が三〇才未満だという。これは失業保険支給から把握した数字だから実態はこの倍近くになるかもしれない。本土就職の半分近くが五年前後にUターンすると類推できる。これは我社の事例だけでなく、本土に行った県出身者お互いの同級生の何割がいま現地に定着し、何割が沖縄に帰ってきたかを考えれば直ちに頷ける。
 我社の例でも東京勤務三年という条件ならOKする応募者でも五年というと一様にたじろぐ。雇う企業からみると入社三年未満は養成期間でいわばお客さん。言葉は悪いが採用経費からみると採算分岐点だ。四~五年目からミドル(中堅社員)としてそろそろ部下もでき責任も重くなる。同時に上司と部下、社内とお客の間で悩みやストレスも生じプレッシャーもぐーっときつくなる。
 こうした試練をえて問題解決能力を身につけ組織管理者として成長していく。4,5年離脱のもう一つの理由は、程度の差こそあれ、誰でも覚えがあろうが、こうした試練に弱音を吐いた時親元、両親の対応。

 これは本当にあった話ですが、母子家庭の私の部下がこうした弱音を吐いたとき鹿児島在住の寡婦母親は「何を言っているの!そんな弱音を吐いてどうするの!頑張りなさい!」と叱咤、激励、彼はその後独立し私と同じIT会社を経営している。
 方や我社の沖縄のオバー(祖母)は「だから言ったでしょう。もういいから帰ってきなさい」という言葉にいそいそと退社Uターンした実例がある。このオバーには”頑張れ”という激励より”ヤマトに苛められて、可哀相”という心境があったのかも知れない。

 しかし、この時期を乗り切ることが取りも直さず「企業、組織経験」。県出身はこの「試練と成長」のチャンスを目の前に戦線を離脱する例が多いことを統計は示している。極論すれば裏切られた気分になった企業側は次からいつ止められても困らない責任のない仕事を与えることも考えられる。 
 
 欧米、東南アジヤと日本の企業を比較するとトップの力は変わらないが、ミドルの強さに差があり、それが日本企業の強さを支えているという。「試練と成長」を目前にミドルが陸続としてUターンし、果ては組織人としてのノウハフがさして蓄積しない単純季節職になだれ込むとしたら、彼らが社会の中堅層を形成する沖縄はどうなるだろう。  

 

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「全採用者の定着率」

2007年01月03日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 我社は創業以来昨年迄28年間に総数566名の社員を採用し、内沖縄出身は214名になる。学校種別内訳は4年制大学(含院生)、短大、専門学校(含職業訓練校)、高卒、キャリア(中途採用)と全ての学校種に及ぶ。御覧のように勤続在席者よりも退社者の方が圧倒的に多いが、定着率は意外に高卒者が善戦し大卒に劣らない。

 当社の場合、高校は浦添工業(情報技術科)、大卒は琉球大(工学系)が大半で、奇しくも両校共に創業28期の2006年までに累積30名を採用し、現在それぞれ10名が勤続、定着率33%。従って両校出身者共に勤続20年のキャリア社員がいる。以下その理由を考えるてみる。
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「沖縄出身勤続年数」

2007年01月02日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 我社は上のグラフで見るように創業以来昨年迄28年間に566名の社員を採用した。その内沖縄出身は214名で、本土出身対沖縄出身の比率は6対4。ところが10年以上の在席比率を見ると70名対24名で3対1になる。さらに部課長クラスの全幹部社員25名中の沖縄出身者は一割と激減する。

 これはあくまで我社の統計数値から言うことだが県出身者は継続勤務でキャリアを形成する志向が相対に低いと言える。
 次回以降これをさらに別の角度から次に見てみる。


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「元気のいい沖縄のお母さん」

2006年12月31日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 もう10年以上も前の話。クラスでもリーダークラスで教師の強い推薦もあり、県内工業高卒の元気のいい女性を採用した。プログラマー見習いとして社員寮から通勤していたが、入社間も無くで居室で天婦羅鍋をひっくり返しボヤ騒ぎを起こした。その彼女が大事に至らなかったものの駅から寮への残業帰り道、痴漢もどき不審な男性から声を掛けられ、怯むどころか持っていたバックで反撃、追っ駆けまでしたらしい。後で怖がっていたが、とにかくしっかりした気の強い子だった。
 この彼女1年余りで退社する。直接の原因はネットワークビジネスへ入れ込み、そこそこの成果を上げそっちの方への興味が強まったためらしい。
入社前、お母さんから申し入れを受けて那覇で面談したが、ご自分の商売生業を熱心に語る男勝りを感じさせられた。

 すべてのケースがそうだとは言わないが、沖縄それも中北部のお母さんの中には採用先の会社に対し“娘がお世話になります”というオブリゲーションより対決調とまでは言わないが“娘にどんな仕事させるのですか”と詰問調が珍しくない。その意識の底に会社組織への懸念やヤマト社会への疑念があるのか分からないが、とにかく“元気のいいオバーお母さん”が珍しくないが、とくに女手一つでお子さんを育てた寡婦に多い。実際、当社の場合、しっかりした優秀な高卒就職者は母子家庭の比率が高い。

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「M君の応召と退社」

2006年12月30日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 今回は「応召」という言葉を思い出した沖縄出身ならではの採用・退社ケース。10年ほど前の話。その年の4月沖縄の高校を卒業して運用部に入社したM君が入隊のため会社を辞めざるを得ないと申し出てきた。

 沖縄は日本一ハーフの多い県で、タレントの南佐織も安室奈美江も過去甲子園に出た何人かの球児もそうでしたが、この年採用したM君も日本とスペインの両国籍を持っており、国民皆兵制を採る母国のスペイン国軍に入隊するため渡航しなくてはならないという。
 M君のお父さんは船員で、お母さんがスペインのカナリヤ島の出身、応召しなければ軍事裁判のため強制送還を要求されるとのことでした。採用したわれわれも本人も召集令状をもらうまでこの事に気が付かなかった。
 このM君は中部出身で当社沖縄事業所が入居している国と県、民間からなる第三セクターTTC(トロピカルテクノセンター)の建設中の高校時代、アルバイトで同乗した車中の叔父さんから「お前も将来あんな建物(TTC)で働ける位頑張れ」と激励され、当時地方では珍しい壮麗な建物に憧れ、内定時「入社出来て夢のようです」と語っていた。その彼が母親の心中を思いわずか半年で言葉もわからない異国の軍隊に入隊したケース、国際性強い沖縄ならではの採用経験だった。
 
 ご承知の通り、アジア近隣の韓国や台湾は皆兵制を敷いており、20代前半の若い人たちが2年間強制的に軍隊に入り軍事訓練を受けます。数年前多い時で5人ほど韓国からSEがわが社に来ていましたが、軍事訓練を受けた彼らはいずれも勤勉、実直で、私が彼等の前を通りと立ち上がって挨拶するかと思うと、酒席、私の前で喫煙するときは必ず断る等非常に礼儀正しい。
 ジベタリアンや路上飲食等の日本の同世代を見て、彼等は自国の将来に対し、大きな自信を抱いて帰国したのではないか。
 (写真は2003年産業祭・ベンチャースタジオでの講演)        
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「採用とウチナータイム」 

2006年12月29日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 沖縄で採用活動して「ウチナータイム」を思わされる時がある。
8,9月は東京、大阪同様沖縄でも内定者懇談会を行うが、相対に沖縄の遅刻率が高い。沖縄地方における内定者の遅刻の原因は何だろうか?よく言われるように時刻表通りに動く本土の電車と道路渋滞で進行ままならない沖縄の交通手段の違いにその原因があるのか。
 そもそも「内定者懇談会」ということに対する緊張感が足りない。競争社会の本土と比べ就職活動への温度差があるようだ。遅刻の理由に「友人を待って遅れた」というのがあった。遅れる友人を見限って自分だけ時間に間に合わすことをせず、共に遅刻して来る。「会社より友人を大切にする」ともって廻った説明をせずとも“一人では心細い”のかもしれない。            
                     
 「ウチナータイム」が厳然として存在するのはシテイホテル以外で行われる結婚披露宴。県出身社員の結婚披露宴に何度か出席したがそのタイムスケージュルはほとんど茫然とするほどの「ウチナータイム」だった。地方の公民館や会館で行われた披露宴は「いつ始まるともいつ果てるとも」定かでない「ウチナータイム」の真骨頂だった。 
 新郎勤務先社長の私は“主賓”ではなく、本土では例のない“職場代表”として指名されたが、予定を大幅に遅れ予定のフライトに乗り遅れたことがある。沖縄の結婚披露宴は実は披露宴(セレモニー)ではなく祝賀会(フエステバル)なのだ。
 その証拠に本土では両家親族は末席に座り新郎新婦を”ご披露する”が沖縄ではご両親は新郎新婦と並んで雛壇に列し、時に自ら舞台に立って踊りを披露し自ら喜びを表し参列者から祝される。出席者も200名以上はざらで時に400名を越すこともあり、そのためか宴は本土では出血が普通の挙式経費が沖縄では黒字になる例が多いという。文字通り共済ご祝儀だ。
 「セレモニー」は様式化された儀式であり、したがって「けじめ」や制限がある。それに対し「フエステバル」はお祭りであり、いわば無礼講の要素がある。この農村的フエステバルの結婚祝賀会とシテイホテルのホールで都会的セレモニーの披露宴を比較考察することはとはとりもなおさず「ウチナータイム」の背景を考えることであろう。                                     
 本土資本をバックにした那覇市街のシテイホテルにおける結婚披露宴はサービス産業としての「結婚ビジネス」がある。そこは時間と料金の論理が貫徹し、時間オーバーはペナルテー(超過料金)の対象だ。
 都会(産業社会)でのパンクチャリテイ(時間遵守)とは「約束=契約」。したがって時間はデジタル的であり、約束違反はペナルテイの対象だ。
 それに対しハルサー(農夫)やウミアッチャー(漁夫)はアケモドロ(曙)と共に動き、ユーマンギー(夕暮)と共に帰路に着く。言わば太陽との対話であり、その本質上アナログ的だ。都市を生み出した産業(インダストリアル)社会は工場制がその基礎にあり、工場制とは「同一場所で、皆で、同時に」働こうということだ。これが近代の基礎になる。    
 パンクチャリテイ(時間遵守)とは近代の精神にほかならない。沖縄にはかって同時一斉に動きだすラインを整備した大工場制は成立しなかった。その意味でパンクチャリテイ(時間遵守)という近代の精神は十分育たず農村的近世精神が色濃く残っているのだろう。
 最近、こうした機械産業社会の苛烈さや酷薄さに比して近世農村社会が本質的に持つスローライフと優しさ(テーゲーさ)が見直されているのだろう。

 (写真は2002年泊高校での進路講演)
 
                                  
                
                     

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 「不祥事①」(水道栓閉め忘れて弁償)

2006年12月27日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 別に沖縄に限らず、新卒生が親元を遠く離れて就職するときは様々な経験をする。以後暫く敢てそうした新人の起こした失敗談を報告する。これを単なる他人が起こした不祥事例と興味分で読むのではなく、“明日はわが身”と他山の石として頂きたい。
 創業間も無いバブル景気の求人難最中、30人を超える要員を静岡地方の顧客の工場に派遣した。駿河湾を望む富士の裾野のアパートの2階部屋を社員寮として賃貸、県出身者を住まわせた。
ある日、彼はバスルームの水道栓をしっかり閉めず職場に出かけ、水が溢れ階下の新婚さんの部屋の箪笥に漏れ、新婚さんの着物や洋服がすっかり漏水で汚染、賠償金を請求された。会社と折半で弁償する羽目になったが、彼の負担額は彼の当時の1ヶ月の給与に相当した。彼は実家を離れての寮生活は初めてだった。
 その為か彼の生活は荒れて、仕事の終わった後の居酒屋でのマナーが悪く、ある日遂にお店への出入りを断わられた。そのためお店の人と諍いを起こし、警察沙汰になり留置される羽目になった。夜間にも拘らず、顧客の先の勤労課長が警察に駆け付け、貰い下げこと無きを得た。私は直ぐさま顧客先へ飛び社員管理の不行く届きを陳謝、善後策を申し入れたが当社への沙汰は予想外に軽かった。後で分かったことだが、当時こうした事例は珍しく無かったらしい。しかし、結局彼はこれを契機に退社した。

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「上京新人が陥り易いこと」

2006年12月19日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 わが社の過去の例ではキャッチセールや催眠販売でした。上京間も無く、街頭で綺麗なお姉さんに声を掛けられた男子新人社員が乗用車に誘われ、気が付いたら高額の印鑑を買わされた例。翌日、気が付いた彼は総務担当に相談し、すぐさまクーリングオフ手続き教示、難を免れました。彼の場合はすぐ会社の上司に相談した賢さがあったのですが、一人悩んで背負い込むタイプが一番問題です。
 寮で新聞の新規購読勧誘を断れなく、2紙の購読を契約した例はまだしも、親戚の保証人を背負い込み、サラ金の取立てに会い、結局退社に追い込まれた例があります。
 いわゆるネットワーク販売は個人間の信頼関係を媒介にする一つの近代流通機能として評価する筋もありますが、入社早々そのネットに取り込まれ、会社の仕事よりそちらの方に傾斜し、挙句は退社し、何のために上京、就職したか判らなくなった例があります。
 総じて県出身は純真、素直で“断り下手“が多く、そのためしたたかな都会の大人に騙される例が少なくありません。
“素直さは程々に人を疑え“と諭すのは必ずしも本意ではありませんが、鵜の目鷹の目の都会では多少性格が悪くなっても、身を守るには止むを得ません。本土就職で失うものもあるというは厳然たる事実です。
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「上京後最初に困ること」

2006年12月14日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 沖縄から本土に就職する新人が最初にストレスを感ずるのは何だろうか。
言葉、食べ物、先輩・同僚との人間関係等々いろいろありますが、当社のこれまでの経験では最もこたえるのは通勤電車のようです。なかでも朝夕のラッシュアワーです。わずか3日間とは言え、実習生もこの首都圏のラッシューアワーを経験して驚くことが多いが、実習生の宿泊ホテルは大体会社から30分以内。社員の平均通勤時間は1時間を越す。
 沖縄でもモノレールが走るようになったとは言え、そう乗る機会は少なく、一度ならず上京の経験でもあの殺人的通勤混雑はそう味わえません。
私もさいたま市の自宅から東京は五反田の本社まではドア・ツー・ドアーで1時間半かかりますが、これは首都圏通勤時間ではそう珍しくなく、当社の社員寮から本社までも1時間位は掛かります。これが沖縄から来る新人には想像を超えるようです。昨年入社の沖縄市出身の大卒新人は空いた電車でも向かい席乗客との目線に相当疲れたと経験を語っていました。向かい合う席の乗物の経験が全く無かったようです。
 また、就職指導ではめったに語れませんが、長距離混雑電車通勤で女子社員がしばしば酷い目に会うのが痴漢です。県内出身新人はその予測や避け方、遭遇したときの対応に慣れて居らず、当社ではこのため入社間も無く退社、帰沖した事例があります。
 送り出す側も引き受けた私達もこうした問題をタブー視するのではなく、しっかり研修、教示する必要があると思っています。
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実習生の感想文

2006年12月05日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 最近の県出身高校生の文章力には目を見張るものがある。下手すると当社の社員よりもしっかりしている。もっとも高校生といっても各学校のほぼトップクラスの生徒で一概には言えないが。引率の先生の筆が入っていないかとも感じましたがテニオハはともかく、教師では決して用いない表現もあり、ほぼ彼等のオリジナルと見ていいと思う。以下紹介しますがご本人達の了承を得ていないのでイニシャル名にしました。以下

(具志川商業高校 K・Aさん)
 今回、職場体験ということで、日本アドバンストシステムさんで研修をさせて頂き、ありがとうございました。沖縄では出来ない貴重な体験をさせて頂いたと思います。最初は、やはり課題を与えてもらったときは、うまく出来るかどうか不安な所もありましたが、社員のNさん、Kさんにとても分かりやすく教えて頂いて、完成させることが出来ました。Tさんは、とても明るくいろいろとお世話になり、本当にありがとうございました。また、昼食の時、お世話になった、諸先輩には、東京の話や、仕事の話をいろいろ聞かせて頂いて、とても参考になりました。社長さんには、会社の事、東京の事、沖縄の事などいろんな話をして下さって、これからの自分の進路に役立てたいと思いました。

(浦添工業高校 Z・C君)
 お仕事お忙しい中、自分達を研修生として迎え入れてくれてありがとうございました。自分達を暖かく迎え入れてくれたTさんやNさん達のおかげで心よく実習ができまし た。社長の講話も県外就職を目指している自分にはとても参考になりました。昼食時の沖縄出身者の話もとても参考になり、とても良かったです。あと、自分達に直接実習を指導してくれたNさんやKさん、ありがとうございました。おかげで、大きな問題もなく、みんなスラスラ作品を仕上げる事ができました。最後に自分達に研修の場所を提供して下さったNASの方々へ、いろいろと迷惑をかけてしまいましたがありがとうございました。

(泊高等学校 夜間部 S・Rさん)
 最初に私達を受けいれてくださった社長さんをはじめ社員のみなさん本当にありがとうございました。社長の県外での就職をするにあたっての心がまえやきびしさなどのお話をきけてよかったです。また初日から私達の世話やなごましてくださった総務のTさんありがとうございました。とても安心して実習を受けることができてほんとうによかったです。そして、3日間私達にパソコンの操作から説明までしてくださった講師のNさん、Kさん本当にありがとうございました。お2人のおかげで無事にホームページができあがり発表まですることができました。沖縄に帰ってもここで学んだことを忘れずそれをいかせるようにがんばりたいと思います。

(南部工業高等学校 M・Y君)
 お忙しい中、僕たちのために時間を開け、指導までしてくださった。Nさん、Kさんそして、僕たちのこと応援してくれた。Tさん本当のありがとうございました。
 私は最初、何もパソコンの使い方がわからずてんぱっていたけど、NさんやKさんがやさしく指導をしてくださったおかげでみごとホームページを作ることができました。私は最初、絶対こんなの3日間で終わる訳がないと思いながらやっていたんですが。終わってみると「あれ」もう終わっちゃってる。そんなことより実習も終わっちゃっているみたいです。本当に忙しいなかありがとうございました。これからもお仕事がんばってください。後、おいしいお昼ごちそう様でした。お話しもいっぱいで楽しかったです。

(浦添高等学校 N・N君)
 この度は、日本アドバンストシステムに研修させて頂き、まことにありがとうございました。僕らが緊張して会社に入り、ドキドキした時、Tさんが笑わせてくれました。他にも色々な所で笑わせてくれました。Tさんの笑顔に癒されました。そして1日目に社長にお話をして頂き、正直怖かったです。でもTさんが社長の経緯を話して頂き、とても苦しい時代を生きてきたんだなぁ~と思いました。その後、NさんやKさんにHTML作成で焦っていた時も、丁寧に教えて頂きとても感謝しています。その後の昼食も楽しかったです。2日目のNさんのフリーディスカッションも楽しかったです。東京に来て色々なことを話されていました。3日目の発表は緊張しましたがみなさん僕の発表を笑ってくれたのでとてもよかったです。日本アドバンスシステムの皆さん、本当にありがとうございました。
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「早い!寒い!」

2006年11月27日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 沖縄県高校生の職場実習、期間はわずか3日間と短いながら高校生にとっては初めての職場経験だけでなく、初の本土生活経験。当社では平均して毎年1~2人、県内高校生を採用している。私はこれらの実習、新卒採用の皆さんのオリエンテーション で“本土は早くて、寒いよ”という・キーワードを送っている。

“早い”とは「本土の人は沖縄の人に比べ歩くのが早く、朝と夜が早い」ということ。
 四季温暖、夜型社会の沖縄に比べ、本土の生活は朝が早く夜が早いということ。
なにせ、東京では寮から職場までは満員電車で“押しくら饅頭”立ちっぱなしで一時間以上かかるのは普通。「9時の始業時間に間に合うためには遅くとも7時には起きる必要がありますよ。その為には12時前には寝ないと連日の疲れは取れませんよ。だから、これまで身についている夜更かしを止めて、早寝早起の習慣をつけましょう」」と説くとやっと肯く。

“寒い”は季節もさることながら、「人間関係もヒジュルー(冷たい)よ」。朝夕のラッシュウ駅ではこちらは悪いことをしていなくても“なにボヤボヤしている!”と突き飛ばされますよ。もっと正確にいうと、混雑した競争・縦社会の本土は厳しく、“まあ、いいさ”(テゲー)は通用しませんよ、と多少オーバーに言っている。
 最初は一般論として聞いていても、やがて追い追い実際の現場で“あ!このことか!”と実感する。こうした体験、試練を潜り、分水嶺の入社4~5年を乗り切り、10年以上定着するのは県出身採用の2割程度。その統計的詳細は追ってお知らせします。

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朝吼夕嘆

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