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”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「実習生からの礼状」

2007年06月20日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 先週終了した沖縄県職場実習高校生4名から早速、以下のような礼状が届きました。引率教師の指導跡が伺えますが、個々の感想も滲んでいます。イニシャルとは言え、ご本人達の承諾なく敢えて紹介したのは後に続く後輩諸君の参考になればと考えました。

(未来工科高 H君より)
 企業職場体験の三日間、会社の改装等でお忙しい中時間をつくっていただき本当にありがとうございました。学校では聞けないような県外で就職する心構えが聞けて、私のような県外就職希望者にとって、とてもいい事を聞くことや体験をすることができました。お世話をして下さった社員の皆様、ありがとうございました。
                 
(八重山商工 N君より)
 企業職場体験実習をさせていただき、ありがとうございました。三日間という短い間でしたが、社会人としての心構えや必要な物。又、必要とされている物が何なのか分かった気がします。この体験を基に進路を考えたいと思います。会長並びにお世話をして下さった社員の皆様、貴重な体験をさせていただき、本当にありがとうございました。                      

(浦添工業高M君より)
 県外企業体験実習では大変お世話になりました。沖縄に居ては経験する事の出来ない県外の雰囲気や生活を身を持って経験する事が出来ました。また、先輩の話など貴重な時間を過ごす事が出来ました。今回経験したことを糧にして、今後の自分の進路に生かしていきたいと思います。会長、お世話をして下さった皆様、本当にお世話になりました。 
         
(名護商工高 N君より) 
 三日間の就職体験実習で大変お世話になりました。初めてのHTMLでやり方もまったく分からず、出来るのかと不安でしたが(講師の方)のおかげで見事完成することができました。この体験で得た経験を生かし、今後の就職活動で役立てることが出来るように努力し、私も御社のようにパソコンを使う会社へ就職できるように頑張りたいです。今回の職場体験の間、会長、お世話をして下さった皆様方、本当にご親切にしていただき、ありがとうございました。
                                                                

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「今年の沖縄県高校生職場実習」

2007年06月18日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 今年も沖縄県高校生の職場実習のシーズンがやってきた。ご承知のようにこれは沖縄県が全国一の失業率の低下を目指す政策の一環として実施しているもの。
 当社はこうした県の要請に応え、ここ10年近く毎年全県高校から選ばれた生徒5名に限り、出身校のHP作成を研修テーマに引き受けて来たが、今年は予算縮小の影響を受けて浦添工業、八重山商工、名護商工、美来工科高からの4名。しかも、毎年半数近くを占める女生徒がゼロ。いつも成績上位は女生徒が占めるだけに、今年の実習生の質を心配したが結果は案に相違し4人ともなかなかの出来でした。
 私は毎年、実習開始の初日のオリエンテーションと最終日、引率の先生、県東京事務所担当者と共に成果発表を聞いていますが、年々高校生のITスキルの向上と共に県出身若年者の意識変容を感じます。それも年々サイクルが急変しているようです。具体的には“チムグクル”等沖縄キーワードや島訛り”対ヤマト”意識の消滅等々。
 彼等の世代に近い沖縄出自を微塵も感じさせない仲間由紀恵、比嘉愛未、新垣結衣等の全国的活躍を見るとこれも“むべなるかな”とも思われる。
 逆に私にとって、10年1日の如く“ヤトト対ウチナー”コンセプトに拘る古色蒼然たる自己認識を省みる真に得がたい学習チャンスとも言えます。

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「沖縄転勤はないですか」

2007年02月25日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 創業以来これまで県内外の新聞や機関紙、雑誌等から要請されるままにコラムやエッセイを書いて来ました。20年以前の若気や衒気紛々、今にそぐわない文章もありますが、支障ない限り暫くご紹介させて頂きます。以下
                    
 昨年社内結婚した沖縄出身のLさんと大阪出身のM君夫妻が「社長、実はー」と「おめでた」の挨拶に来た。Lさんが入社した四年前のことを思い出した。
 沖縄の親御さん一般の例にもれずLさんの御両親も一人娘の県外就職を望まなかったが本人の強い意向に押し切られ「いずれ沖縄に帰る。結婚は沖縄の人とする」という条件つきで同意した。
 これはLさんにかぎらず娘を本土就職に送り出す沖縄のほとんどの親の気持ちだ。入社の時、県公務員のLさんのお母さんもわざわざ我社の東京本社を訪れこのことを述べられ「社長さんもどうぞよろしく」と言われた。私は「いいですよ、でもこれはご本人第一ですから」と笑って答えたものだ。
 Lさんは学生時代、テレビに出演するなど深く澄んだ明眸と闊達な性格なため社内では人気が高かった。このLさんが入社三年目に大阪育ちの母子家庭で長男のM君のひたむきさと情熱にほだされ、連れ立って婚約の報告に来たときにはこういういきさすがあったので心中困惑した。こんな私の様子を見てM君はLさんに「社長は僕等の結婚を必ずしも喜んでいないようだ。妬いているんじゃないか」と言ったとか言わなかったとか。
 県出身のお嬢さんを採用するにはこんな悩ましさもあるのだ。東京で行われた結婚式の当日、嬉しさ半分悲しさ半分で「社長さん、娘夫婦の沖縄転勤はないでしょうか」と挨拶にきた新婦のお父さんももうすぐ初孫を迎える。 
             91年9月 琉球新報「仕事の余白」コラムから。  
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「管理者の究極目的」

2007年02月12日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
“警察官の究極の目的は警察官の要らない社会の実現”というのを聞いたことがある。現実にはそんか事が実現する筈がないが、その役割を存在論的に表現した至言。
 この言で行くと“管理者の究極の目的は自分が居なくても困らない組織の実現”ということになる。ところが現実には“俺を通せ”とひたすら自分に権限を集中、“自分が居なければ困る組織作り”を目指す管理者が少なくない。パワフルで有能(?)な管理者ほどその傾向があるから始末が悪い。
自己の究極的役割目的が自己の存在否定実現になるのだから悩ましいが、実際には“適切な権限委譲、後継育成”の勧めということだろう。

 創業経営トップには“出処進退を潔く“の心構えということになろうか。
“そうした高貴な動機で貴方はこの度、会長に退いたのですか”と言われそうですが、実は心身ともに能力の限界、“もう、楽をしたい”というEscape Mindが大きな引金でした。どうでもいいでしょうが、ハイ!

 (写真は沖縄産業公社でのセミナー)
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 「退社」

2007年02月08日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 企業人にとって退社は入社以上に難しい。退社は一方的に社員ばかりが悪いのではなく、当然のことながら辞められた会社や社長にも問題がある。最終責任者としての社長の責任を逃げる訳ではないが「会社とは上司!」と言われる様に当社に限らずの社員が退社する最大の理由は上司。それだけに会社は社員教育、それも管理者教育が重要だ。
 ある時、日本有数の銀行勤務者が「上司や私の転勤があるから我慢出来るんですよ」と笑いながら言うのを聞いたことがある。このように運悪く相性の悪い上司に仕えたとしても、雇用条件の良いブランド企業や超安定の官庁勤務の場合は退社の世間的ダメージが大きく、社員は歯軋りしながらも耐える。そのため、得てして大企業には”いいから私の言うことを聞け!“等のパワハラ上司が少なくない。
 ところが当社のような設立浅いベンチャーの場合はそんな隠忍・残留のインセンティブは働かない。下手すると退社、転職が勲章の場合さえあるから、上司の一言でさっさと辞める。経営者にとって堪ったものではない。技術力の高い社員でも部下の定着しない先輩・上司は長期的に会社に大きな損害を与えることになる。
 社長にとって辞表を提示されるということはいわば社員から“見限られる”ことで、余ほど止むを得ない以外、相当にこたえる。逆に社員にとっては“辞めさせて頂きます”という瞬間は人間として社長と全く対等になる時。
 在社時の情報やノウハウを遺漏、持出は論外としても同業他社への転社告白は社長にとっても辛いものだが、思い切って正直に言った方が良い。去られる社長にとって後々一番嫌な印象が残るのは“帰郷”とか“家族の病気”とか嘘の理由が分かった時。

 これまで県出身者から多くの辞表を受け取ったが、全体に県出身者は良くも悪くも退社下手。照れがあるのか「お世話になりました」という挨拶、別れの儀式が出来ない。あるいは“世話になんかならなかったのに、そんな台詞言えるか”と正直なのかも知れない。会社を離れることは別に人生の別れではない。そんな他人行儀な挨拶、狭い県内、明日また顔合わすかも知れない“なんで、いいさ!”と言わんばかり。現に先日、沖縄の懇親会でバツの悪そうな照れ笑いで“どうも!”と頭を下げる30名越えるOB社員達は多かれ少なかれ現役社員と模合等の付合いがある。
 それはそれとして、辞めた会社の上司や社長に会った時、目線を避け、そそくさと離れるのではなく正面から「その節はお世話になりました」と挨拶出来る様な辞め方をしたい。それが出来ない辞め方はその人の生涯プランにとって貴重な人脈形成が出来ないことで、真にもったいない。

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実習生感想文②

2007年02月03日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 先に紹介した実習高校生の感想文に対する反響を多く頂いたので、以下昨年度の事例も紹介します。この内一人は昨年4月当社に入社、先輩および客先からも高い評価を得ています。

○前原高等学校(G・Sさん)
 こんな体験、すばらしい体験が出来たことに幸せを感じています。県外職場体験なんて一生出来ない事だったと思うし、この体験に参加できたことを感謝しています。この体験を企画してくれた沖縄県の教育庁さん、労働局さん、それと私たちを受け入れてくれたNASさんに大大大大感謝です。Tさんをはじめ、3日間つきっきりで教えてくれた松本さんにも大感謝です。わからなかった所を丁寧にわかりやすく教えてくれました。本当にありがとうございます。Tさんも3日間私たちのお世話をしてくれました。本当にお世話になりました。ありがとうございます。
 自分のHPを発表する時、とても緊張していていざ発表の時には頭が真っ白になったけど、発表は成功したと思います。けど、最後の感想の時に泣いてしまった...。きっと安心してしまったからかもしれない。泣くなんて思わなかったです。あとの4人の発表がすごく上手で私はまだまだだなって思ったけど、みんなのHPが見れてよかったです。

○陽明高等学 (I,Aさん)
 この3日間、私達のために貴重な時間をさいてもらったMさん、Tさんをはじめお昼を一緒に食べていただいた社員の皆様、NASの皆様、本当にありがとうございました。
 NASに体験に来て、実務的な面ではHTMLをタグ入力で完成させる技術が身に付いて、PCを動かす能力がとても高くなりました。これからIT業界を目指そうと思っている私にとって、これから学ぶべき事への具体性が出てきて自信が持てました。
 ただ、発表する時のドキドキはこれから先、慣れるかなあと心配ではあります。進路面では悩んでいることが多かったので、それについてどんどん質問させてもらいました。社会の情報などを知る機会のない私達にとって、実際社会で働いている人の話を聞いて確実な情報だなあ、なるほど!と沖縄の同級生に対しても教えてあげたいことがいっぱいになりました。気持ちの面では、前よりも大きく広い視野を持てるようになったと思いました。こうゆう機会を体験できた私はとても幸せだと思いました。

○沖縄工業高校(T、Z君)
 この職場体験実習に参加して本当によかったです。最初はどうなるのか不安でしたが、実際に来てみると(職場に)沖縄出身者の方が多くて、こんな機会にめぐまれて良かったです。
 自分達のために厳しく指導してくれた社長をはじめ、いつも優しく自分達のことを気にかけてくれたTさんやMさん、社会人の生活について話してくれたKさん、フリーディスカッションで自分達のいろいろな質問に答えてくれた宮城さん、昼食で東京について話してくれたSさん、最終日の昼食でカッコイイ笑顔のWさんと素敵なイラストを描いてくれたSさん(とても楽しかったです)、また発表の場に来てくれた社員の皆さんに心から感謝の気持ちを申し上げます。ありがとうございました。
 この実習期間はとても充実していて、時間がとても早く流れたような気がします。沖縄では学べないことをたくさん学びました。県外就職に対する意識がかなり持てたと思います。今回の事で東京近辺に就職したいと思いました。貴社に面接に行くことになった時にはよろしくお願いいたします。本当にこの機会に恵まれてよかったです。

○八重山商工高等学校(T、S君)
 この県外職場体験でNASに職場体験をさせてもらいました。初日はやっぱり緊張していたけど、TさんやMさんと話をして、リラックスできて気が楽になって少し余裕を持って実習をする事ができました。実習以外でも先輩たちの話を聞いてすごく勉強になりました。東京での気をつける事や、東京に来たら冬はとても寒いとか、色々な事を学びました。
 社長の挨拶を聞いて、会社に来たからには気を抜かないでマナーをしっかり守るなどのことも学びました。
 課題のHP作成では、一度授業で少しやったけどほとんど忘れていて、最初からスタートでした。先生のMさんに基礎から学びました。HPの作成は意外と簡単に出来るかなと思っていたけど、画像の貼り付けがうまく出来なくて苦学しました。ここら辺もMさんに教えてもらいました。HPは色々な工夫ができるので、どうしようか迷いながら作りました。
完成した時はとても充実できて満足感がありました。そして、発表の時に社長やその他の課長さんが来ると聞いてとても緊張していました。いざ発表の時に大きなミスはなかったけど、ちゃんとしゃべれなくてたくさんかんでしまいました。けどみなさんの感想を聞いて少し安心しました。
 この職場体験でNASに来て本当によかったと思います。社長もすごいと思いましたし、TさんやMさんもとてもいい人ですごい良い会社だなと思いました。

○宜野湾高等学校(K、Sさん)
 今回、HPを初めて作ったんですが、やっぱり分からないことだらけで用語や使い方も全然わからなくて苦戦しました。出来上がりはどうなるのかも頭の中で想像できない状態から始まり、今ではなんとか一人ででも頑張れば作れる(簡単なものであれば...)んではないかと、少し自信がもてるようになりました。
 初日、『この3日間は本当に頑張れるかな?』と凄く心配でした。『もしもMさんが一生懸命説明しているのに理解出来ずに進んでしまったらどうしよう?』とか『良い作品が出来上がらなかったら、3日間で仕上がらなかったらどうしよう』
って不安ばかりがあって、しかも作成する内容もガイコツなどホラー的なものだったので、怒られたらどうしよう、と凄く不安でした。でも、MさんやTさんなど、皆さんすごく優しく物事を教えて下さって凄く安心しました。そのおかげか、リラックスした状態でHPを作成することができ、また自分の納得した作品を作ることができました。
 私が何かをすることによって、誰かが動き、誰かが支えて下さっているからこそ、今回みたいな良い体験をさせていただけたことに、本当に感謝しています。
私自身、今回学んだことを生かし自信を持ってこれからも頑張っていきたいと思います。本当に今回はこのような素晴らしい機会を設けて下さってありがとうございました。心から感謝しています。本当にありがとうございました。

(2004年、稲嶺県知事より高校生職場実習貢献で感謝状受賞)

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「当社に見るUターン志向」

2007年02月02日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 上記表のように当社は創業以来20年以上に亘り延400名以上・その内50%を越える226名を沖縄から採用して来た。しかし、沖縄出身者の現在の定着率は42名の22%。さらに、全社員の25%が県出身者であれば幹部4人に一人は県出身者が占めてもおかしくない。しかし現実には12名の上位幹部中、県出身はわずか一人、それも本社勤務ではなく沖縄事業所所属。
 県出身者に能力が無い訳ではない。事実当社の累積75名の琉大卒退社メンバーの中には県内の公共機関や同業社で幹部になっているのも少なくない。また、当社沖縄事業所の中堅メンバー15名は20年近い平均勤続年数を誇っている。要は県内Uターン志向の強さ。さらに、その事実がより分かるのは下記に示したような事実。

 この表で示す幹部の規定は厳密ではなく分析の便宜上、私以下通常の会社でいう役員・部長クラス10余人をその出身、続柄から分析して見た。

 東京本社勤務故、首都圏出身者が多いのは当然として、表中網掛の東北、中国等地方出身の幹部4人は長男であるにも関わらず、国許のご両親と別居し首都圏に生活を築いている。将来のご両親の介護は課題だが、どのケースも親元にUターンする意思は今のところないという。それに対して沖縄出身者の長男で親元を離れて東京に生活基盤を築いている社員は現状見当たらない。当然、ご覧のように県出身の本社幹部社員もいない。子のUターン志向か親の“帰れコール”の結果かその主要誘因は分からない。

 固よりこれは現時点の事実で、変化のテンポの速い昨今、どう県民性や事態が変化して行くか分からない。これまで何度も触れたように当社という特殊条件下の事実をもって沖縄一般を語る危険性や内部事情を限りなく晒すことへの社内の危惧の声を十分認識しつつ、敢えて事実をお伝えしている。
 とは言え、極小現場の瞬時の事実を様々な前提、制約条件の考察抜きに意味の無い膨大なゼロ作業をしている可能性もあります。
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「OBと現役の壁」

2007年01月28日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 先に沖縄で開催された交流会で現役事業所メンバー20名の倍近いOBの参加があったことをお伝えした。本社幹部の定年壮行会にも大勢のOB社員の参加があり、当社の特色とも言われたがこれは多分に沖縄文化の影響があるとも指摘されたことがある。沖縄事業所では日頃から模合(頼母子講)やビーチパーティ参加等による現役社員とOBによる交流がある。会社よりも地域・友人の付き合いが濃密というより、その境界が低い文化風土があるのか。
 まあ、辞め方にも拠りますが、苛烈な競争下にある本土企業社会では“一旦敷居を跨いだ者がどの面下げて”とまでは言わないが、退社した会社を再訪するのは余程のことが無い限りあり得ない。それだけケジメが厳しいと言える。良いか悪いかは別にして沖縄風土の特色としてよく言われる“テーゲー“文化が如何無く発揮される局面だ。
(上下の写真メンバーほとんどが退社OB)

 これと似たことだが本土では例え酒席であっても側から見ていて上司と部下の区別がハッキリ分かるのに対し、一旦職場を離れた懇親酒席の沖縄では部下が平気で上司をからかい、当の上司もそれをヘラヘラ、ニヤニヤ許して、どっちが部下か上司か分らない時がある。私も沖縄の企業メンバーと飲んでいて何度かそういう場面に出くわした。良くも悪くもこれも会社文化と乖離した沖縄文化の特色か。
 ところで、時折韓国の企業メンバーと会食、飲食する機会があるが、喫煙、飲酒、食事のマナー、どれをとってもこれはもう日本以上に上下関係、序列が歴然としている。地位の上下もさることながら幼長の差も厳しい。これはあの国特有の儒教文化のなせる業か。彼らが沖縄の“テーゲー“文化風土を目にしたら“大らかで開放的”と見るか“礼節に欠けた野卑”と見るのか興味深い。

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“越境する沖縄女性”当社のケース

2007年01月24日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 勝方=稲福恵子早稲田大学琉球・沖縄研究所長がその著「おきなわ女性学事始」で“越境する沖縄女性”と題し、種子島漂流のポルトガル人通訳の琉球婦人やバジルホール船への闖入婦人等の故実を紹介している。省みて当社のデータを思い出しドキッとした。以下その事由。

 当社はこれまで延230名前後の県出身者を採用したことを繰り返し述べたがその内、女性は約25%の44名。現在の勤続は子会社転籍・出向を含めわずかに6名。ところが正確な統計数値は把握していないが、退職男子社員の大半がUターンするのに対し、女性は結婚という形で本土に“越境”移住する率は男子の数倍以上。
 具体的な事例として当社はこれまで社内結婚が平均年一組、累計30組近くあるが、実はその半数近い新婦が県出身者。ところが県出身男子が本土の女性と社内結婚した例はわずかに一例しかない。男子4(188名)対女性1(44名)という採用母集団を考えると沖縄女性の“越境率”は60倍以上になる計算だ。さらに当社の女性派遣の子会社を含め県出身女性が派遣先本土出身社員と結婚した事例は結構あり、私はこれまで数例そうした結婚式に出席した。対して我社の県出身男子社員が顧客取引先の女性と結婚した式に出席した事例は一度もない。

その理由は何だろうか?単純に考えてただでさえ県内志向の強い沖縄で親の反対を押してわが社への県外就職に挑む沖縄女性はそもそもが、極めてポジティブな性格、その時点で特殊であること。さらに位牌トートメー継承等男の子に対する沖縄の親達の“帰れコール”心情。
なにやら首都圏で影の薄い沖縄出身男性タレントに比してそのプレゼンス躍如たる沖縄女性タレントを思い出させられるではないか。

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「制約・前提条件その2」

2007年01月21日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 先に私のこれまでの所論は”創業ITベンチャー”という産業、企業論的前提、乃至は制約条件があることを述べた。さらに、もう一つ沖縄の持つ歴史的、地政学的条件と共に世代的制約を述べない訳にはいかない。

 私達復帰前“本土留学”世代が背負っている制約条件。”男子志を立て郷関を出ず、学もしならずば死すとも還らじ”とまでは云わずとも立身出世価値観の片鱗を引きずり、パスポート持参で1960年代上京した私達世代。
“日本語上手ですね”と云われた我々の世代のコンプレックスが多少払拭出来たきっかけは“豊見城、具志堅効果”だった。それまで“お目溢し推薦”で甲子園に出場させて頂いていた沖縄高校野球が栽監督率いる豊見城高校の連勝で“沖縄、強し!”の印象を全国に植え付け、恥ずかしいと思っていた沖縄訛りが具志堅節のテレビ放映で愛嬌をもって受け入れるようになった。

 本土就職で行き詰まると故郷沖縄へUターン出来る今は見方を変えると幸せな時代とも言える。日本経済の高度成長以前に本土留学、就職した私達の世代には”両親は還る処ではなく、呼び寄せるもの”という価値観をもっていた人も少なくない。現に私の高校、大学の同期の中にはバブルの真っ最中に首都圏に土地付マイホームを購入、定年ギリギリまでローン返済に奮闘しつつ、故郷沖縄から両親を呼び寄せ、同居介護しているのが何人かいる。私も沖縄の学校を卒業した妹弟を、次いで両親を呼び寄せ、見送り、埼玉の寺院境内に墓を購入、守っている。住宅ローンに至っては定年遥かに過ぎた今もって返済続けている始末。
 
 と言って、私達世代に比べて、Uターン志向の強い今時の若者を直ちに”だらしない”という根性論だけでは片付けられないと思う。私達世代は東京オリンピック、大阪万博”明日はきっと良くなる”という日本経済の高度成長という高揚した時代の追い風があったと思う。今は”降込め詐欺”の温床基盤とも言える”判断・管理能力が弱い前世代がお金を持っている時代”。その元に帰りたくなるのは”水は低きに流れる”如き自然現象とも言える。

 こうした価値観と残像を背負う私達世代が“え!仲間由紀恵、山田優、黒木メイサって沖縄出身?”と本土・沖縄彼我の若者文化が共有同化した今の世代に「本土就職」などというテーマが通用するのか。
 そこまで云わずとも軽薄なまでに若ぶって、背伸び、何とか一青窈まではカラオケする私とは言え、彼等の堪能するオレンジレンジやDA PUMPの16ビートにはとても付いて行けない。それほどに感性に違いのある私如きのゴタクをこれからの若い世代がどこまで受け入れるか。

(写真~80年沖縄県・ハローワーク共催コンベンションセンター「大学就職セミナー」パネリリストとして出席)
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「沖縄職業能力開発大学校(ポリテック・カレッジ)」

2007年01月20日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 これまで我社で採用した学校種別県出身者の定着率を見ると専門校が最も芳しくない。最近では専門校進学動機の一つに大学進学無理と同じく高校卒時就職出来なかったからというのがあるという。
 それでも当社はこれまで累計85名を採用し現在10名が在社、10%強の定着率となるが、グラフをよく見ると専門学校と呼べない学校がある。
それは沖縄職業能力開発大学校(ポリテック・カレッジ)。これは周知のように文部省管轄ではなく厚生労働省管轄。これは4年制大学校もあるが、この学校、県内のどの大学、高校と比べても就職率が極めて高く随一。当社は同校からの採用暦は浅いがグラフで御覧の通り今の処、一人の退社もなく、現場や顧客先の評価も良く、定着率も100%。講師も生産現場の経験者やOBを採用、カリキュラムも企業の現場ニーズに最も近く実践的。
 同校長は歴代琉球大学の工学部教授OBが就任する。現在の屋良校長は前琉大機械エネルギー教授。実は私の高校のクラスメート。前任の大城校長も元琉大建築教授で、これまた私の高校の先輩。
 その縁で2005年九州ブロックの成果発表会(ポリテックビジョン)で職員関係者を前に「不況を乗越えて」という大層なテーマーで講演を依頼されたのを契機に同校からここ毎年採用している。因みに同校教職員大半は独立行政法人雇用・能力開発機構による県外人事である。同校の例は教職員の取組によっては就職率と定着性の向上が実現することを示している。

(05年九州ポリッテクビジョンで講演でのQ&A)
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「そこまで書くか!」

2007年01月19日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 これまで私は個人情報ぎりぎりの当社県出身の就業データーを開示して来た。
中には対象者情報を守護するため意識的にデーターを差し替えたケースもある。しかし、社内近隣メンバーが読めば“ああ、彼のことだ”と推測可能な場合も少なくない。それでも郷土の後輩のためと暗黙の諒承を乞うている。もちろん、クレームを受けたときには直ちに訂正、削除している。
“書くことは恥をかくこと”と言われるように当社の問題点や短所、多少の露出趣味も影響していることを否定しない。
それでも今後の県内就学、本土就職、IT創業ベンチャーの人材採用、育成という自分自身のごく限られた条件下の具体的数値データーに基づく現場レポートを心掛けた。それはともすればマクロな統計データーに基づく、抽象概念論に傾きがちな筆勢性癖を警戒、拘束する為というのはいささか格好良過ぎるが。

(写真)~2001年沖縄で開催された”文化の国体”と呼ばれる「日本文化デザインフーラム」で増田ツタヤ社長、奥谷礼子ザ・アール社長等の”沖縄型ベンチャー型シンポジウム”を司会)
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「親元仕送する高卒社員」

2007年01月17日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 入社以来初任給から7年目の今日まで、沖縄の親元に送金し続けている社員がいる。実はこれは沖縄の実業高校卒で入社した社員の例です。
当社の沖縄出身社員の懇親会で、私の”初めての給料を親元に送った人”という質問に手を挙げた数人は全て高校卒。同席の4年生採用社員の驚いた顔が忘れられない。
 時にサラ金に手を出し退社、三食付、親の脛かじりながら一銭も自宅に入れない自宅通勤四年制大卒が多い中で真に賞賛、瞠目すべき例です。この模範的事例は別としても当社の沖縄県高卒社員には親元に仕送りする例は珍しくありません。

 実はこれらの社員には実業高校出身であること。母子、片親家庭であること。従って、高校進学時から大学進学が無理なこと。さらに、そもそもこうした事情を背負いながらも親御さんも本人も“本土就職志向”の意欲があること。
もう一つ忘れてならない点は進路指導の先生方が当社の長年に亘る県出身高卒者の採用継続をご存知で、“これは”という本土就職志望の高校生を推薦してくれた事情があると思います。
 採用担当者の間では高校生は地方の実業高校生がいいと言う意見があります。これは目的ないモラトリアム人生そのもの様に都会のレジャーランド・4年制大学生より“親を助ける”という目的意識がハッキリしていることです。
“逆境こそ人を育てる”“艱難汝を珠にする”ことを改めて認識させられた事例です。
(写真は2005年宜野湾コンベンションホールで知事とのシンポジウム)
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「組織経験としての入社式」

2007年01月15日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 前回に組織体験で“得るもの、失うもの“を論じたが、忘れてならないもう一つが入社式。最近よく言われるロスト・ゼネレーションにはニートやフリーターが多いという。こうした人は正式に組織に加入したことがないから、必然的に入社式の経験がない。入社式とは何か?

 通過儀式としてのイニシエーションは”洗脳"等のイメージで否定的に評価されることが多いが私は入社式をそうは思わない。
 入社式はわずか数時間とは言え、人が自らの人生のスタートに直面し、ひたむきに心底素直になれる瞬間だ。それも参席する先輩達が等しく祝し、共鳴・共有してくれる瞬間。例えその時の素直な心情がその後の現実の様々な矛盾や不合理に打ち砕かれ、傷付き、やがて“しらけ“が訪れ、辞表を叩き付ける事態になったとしても、あの素直な瞬間は生涯源体験として残る。
 入社式に続く同期同士の数ヶ月の研修が続くとしたらもっと忘れ難い経験になるだろう。あるいは生涯の朋友が出来る可能性もある。
 現に転職を重ねた私でも最初の職場の入社式の状況や当時の社長の言葉や共に研修を受けた同期の記憶は未だに残っている。
 創業以来30回近い入社式に祝辞を述べ、後にその彼らから多くの辞表を受理したが、私は未だに人生のスタートに際し、直向にまっすぐ前を見る若い人達の巣立ちの入社式に立会い、つかの間とは言えその息吹に触れる瞬間が好きだ。

 あの一瞬は云わば人生の通過儀式だが、あの儀式を通過しないフリーターやニートは限りない貴重な体験、組織というものに対する畏敬の念は遂に芽生えず、従って自らも組織構築は出来ないように思えてならない。
 では入社式や組織体験の無い人は全く組織構築が出来ないかというとそうではなく、自らのこうした体験喪失を自覚したその瞬間、それを補う対策、たとえば補佐役やサポーターを確保し、それから援助を受けようと発想すれば課題は大半解決に向かうに違いないのだ。

 (写真は過年の我社の入社記念撮影)



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「組織経験で得るもの、失うもの」

2007年01月13日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 入社経験4~5年で辞めるのは組織経験が得られないと書いたが組織経験とは一体何だろうか。”すまじきものは宮仕え”という言葉があるように典型的組織仕えは窮屈で、耐え難い要素があるが、組織経験で得るものは次のようなことかと思う。
 まず、第一に“嫌いな人との付き合い方を知る”
会社や組織では学生時代と違い“上司や部下を選べない”否が応でもそうした相性の悪い人との付き合い方を学ぶ。不承不承付き合って見ると存外“人は見かけに拠らない”人間関係の妙を発見する。反対に温厚篤実に見えた“いい人”が内心自尊心の強過ぎる結構難しい人であること等を知る。

 次に“他人の所為を自分の事として謝る経験”
会社に入社して4~5年も経つと部下、後輩も出来る。彼等や時には先輩・上司の犯した誤りを“監督不十分”ないしは組織の代表としてお客さんに謝らなくてはならない時がある。そんな時“あいつの為に何で俺が”という思いを抑え、謝る経験。
 最近はそうでもないが10年前訪ねた北京の百貨店の売子はまず絶対にお客に”申し訳ありません”と謝らなかった。お店の為に自分(個人)が謝るのは屈辱という非組織意識が根底にあったと思う。

 また”打たれ強さを身につける”
変な言い方だが”力理不尽な上司の下で切歯扼腕、悔し涙、歯軋りしつつも耐えるを蓄えること”。最近は”それパワハラではないですか!”と異議申し立て出来る時代だが要するに”打たれ強さ”を身に付けること。よく”苛められ人は苛める”と言われるが、逃れられない組織の呪縛でパワハラに耐えた人は逆に下の人の心情が理解出来、よりより上司としての知恵を身につける。
 
 かって一度も組織の力学を味わわず、上司にも仕えた経験がなく、社会に出て一貫してフリー契約の人や上司に仕えた機会の少なかった組織の一期生等は、いかに技術力や実力があっても傘下のメンバーの心情を理解出来ず、部下を育てられず、従って組織構築も出来ない例は沢山見て来た。

最後に“負け方を知る”
 一と同じく入社して4~5年以上も経つと、自分より遥かに出来る優秀な部下、後輩に出会う。その人とどう接するか。悔しさを押して道を譲り、時に教えを請う潔さを学ばなければならない。

 学校卒業して一度もチームで導入研修等を受けず契約社員やフリター経験で、いわゆる上司仕えの経験がない能力に富む人ほど“謝り下手”“付き合い下手”。たまさか優秀な後輩に会うと“あれはこんな欠点がある”とあら捜し、その長所を相殺し素直に認めない。競い合うということは勝つことと同時に負け方も学ぶこと。その経験が乏しいのだ。
 最近の日本の学校では競い合わせないという。その上に長子や一人子が多く両親に可愛がられるだけで、兄達に苛められた経験が乏しい。ストーカーに共通するのは“明らかに自分が振られている事実を認めず、その原因を他に求める”つまりは“負け下手”との指摘を聞いたことがある。
 組織未経験者に組織構築が絶対に出来ないというのではなく、そういう危うさ、欠点可能性を自覚すればしめたもの。なんとかそれをクリアーする方法を考える筈。

 ただし、組織に属さない強み、組織経験で失うものもあるだろう。例えば豊かな個性や自由な発想、権威に屈しない強さ等々か。

 (写真は2002年・日本大学ビジネススクールでの”創業セミナー”講演)
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