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”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「戸田ハーフマラソン」

2005年12月01日 | 「マラソン挑戦」
 今週末恒例の「ナハマラソン」。今年で13回目のエントリー。内9回はとにもかくにも6時間の制限内にゴール、メダルを貰っているが昨年は中間地点からタクシーでホテル経由空港へ直行帰京。その前年は6時間半とここ2年はメダル無し。連日の居酒屋通いと週末1時間ばかりマシンジョグでは今年もまず無理。
 その証拠に先々週、最後の仕上げと高校後輩の池間嬢と戸田川河畔のハーフマラソンに出場。制限時間内とはいえ2時間40分。因みに彼女は10キロ悠々1時間でゴール。共にナハマラソンに出る。
 4,5年前のハーフゴール写真は会心の笑顔だが、先週はこの苦痛顔、おいおい!本番ナハは後21キロあるんだぞ!土台無理。膝軟骨も磨耗しているしね。せめてパンツぐらい極彩色で派手に。
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「庄和大凧ハーフ・マラソン」

2005年05月04日 | 「マラソン挑戦」
 江戸時代より80畳近い大凧を揚げる庄和町の祭は有名。この季節の強い風を活用したグライダー練習場も有名。この薫風を浴び、飛翔するグライダーを見ながら埼玉・千葉県堺の江戸川土手を走るこのレース、これまで12回出たほど好きなコース。

  5月4日の今日、右膝の不具合も和らいだので、おっかなびっくり、それでも2時間半内を狙って出場。天気晴朗、気温28度と真夏並。しかし、 13キロ地点では併走していた81歳のオジサンに置いて行かれ、17キロ地点では遂に歩き出し、ゴールはしたものの結果は2時間48分、60歳以上380 名出場中344位のワースト記録。年と共に記録は落ちるが、やはり週末10キロ練習でハーフ2時間半切るのは無理で、せめて週2回は走らなければ無理と思 い知らされました。
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「20回記念ナハマラソン」

2005年02月18日 | 「マラソン挑戦」
 この写真、業者がネットで見本を送って来た。「これ幸い」と見本をコピーしようとしたら 「右クリックご遠慮下さい」のメッセージ。よく出来ている。注文したらしたら金3000円。

 膝の心配があったが、20回記念と友人に煽られ、生来の軽佻も作用し出場。 中間地点平和記念公園に制限15分前の2時間45分。

 ナハマラソンは前半が難所の坂多く、知人から「中間、そのタイムなら完走出来たのに」 と惜しまれたが膝に違和感を覚えここで中断、タクシー拾いホテルで着替え空港に向かった。 翌日の朝礼はシンドかった。
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「第20回記念ナハマラソン」

2004年12月06日 | 「マラソン挑戦」
昨日「ナハマラソン」、中間の摩文仁の平和公園で予定通りのリタイア。

今回、調整の失敗で左膝靭帯を痛めていたので半分不参加を決めていましたが、前日急に出張社用が発生したついでにままよと出場。20回記念大会とて本土からの6千名余を加え2万5千を越す国内最大のエントリー。折からの台風来襲で中止も心配されましたが、小雨の中を決行。

左膝テーピングの上にサポータを巻き走行、17キロ具志頭交差点辺りで、患部に電気が流れるような痙攣を感じ「ヤバイ」と思いつつ歩いたり走ったりのだましだまし12時10分、制限時間5分前にハーフ中間に到着。そこからタクシーで大会本部の奥武山グランドに引き返し、新聞・テレビの旧知の幹部に挨拶。ついでモノレールで宿泊の「西部オリオン」に戻り、シャワーを浴び、空港で発着便を待ちつつ知人を誘い会食、帰京。

 明けて今朝、恒例の月曜朝礼で立っている左膝にジワッと違和感走る。無理した体は正直、これから暮れに掛け落とし前。「だから言わぬことではない!」と澎湃として興る予兆有。
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「那覇マラソン・ハーフ試走」

2004年10月25日 | 「マラソン挑戦」
昨年のナハマラソンは6時間の制限時間に30分オーバーで完走ならず。頚椎ヘルニアの後遺症で過激なフルマラソンはドクター・ストップ中だが今年は20回記念大会ということで、多くの知人から参加の勧誘を受けて取り合えずエントリー。

先月、高校同窓会の翌日、マラソン初挑戦の吉沢直美さんと摩文仁平和記念公園までタクシー飛ばし、コース後半試走。12時スタート、寝たり転んだりで奥武山グランドによたよた到着。その後クールダウン兼ねて波の上で泳ぐ。炎天下だったの左腕と首部が真っ赤に焼けた。3時間越えとは言え、初挑戦の吉沢さんが最後まで付いて来たのには感服。流石に若さ。

しかし、前日は同期会跳ねた後、高里さん激励の別席から同期経営のライブハウス、クラブ4軒梯子。さらに男女有志5名で朝5時までカラオケ放歌。流石に3時半要した。
試走、水泳後、ホテルで2時間仮眠で「新城亘・翁長洋子さん激励の宴」に出席。 翌24日午後には羽田着、そのまま夕方から本社会議出席。さすがに足に来ていた。無茶でした。
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「1年振りハーフマラソン完走!」

2004年05月06日 | 「マラソン挑戦」
連休の4日、庄和大凧ハーフレースに出場。とりあえず完走。
五月薫風に吹かれながら江戸川土手を走る好きなコースの一つ。 平成5年の5回大会から連続9回出場していたが、昨年2月に頚椎障害を起してから 頸部に衝撃を来たすレースは医者から禁じられていた。

今も右指先に痺れが残るが、通院しながら週末スポーツセンターでの小1時間 ベルト・ジョグを続けていた。調子に乗り、先月10キロロードを走った。 果たせるかな数日頚腕の不快に悩まされ「まだ、無理か」とがっかりした。

その矢先またまたどうして?数ヶ月前に申し込んでいた上に3時間という緩い制限 と調子悪るければリタイヤと出場した。
折から台風並の逆風にたまらず19キロ過地点で歩き始めた。 ゴールは2時間39分。生涯ワースト記録。
ゴールする頃、表彰式や閉会式が始まっている私のようなランナーは順位より 「後に何人いるか」が気にする悲しい性が身に着いている。 今回60歳以上330名中309位。総合2300名中1887位。 もうロードは無理と思っていたがとりあえず、やった!

問題は頚椎後遺症。早くも肩から腕にかけて違和感が出てきている。
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「第19回 ナハマラソン 出場断念」

2003年11月11日 | 「マラソン挑戦」
 今年12月7日の第19回ナハマラソン申込が締め切れられた。

 今年2月より頚腕症候群に悩まされ、過激なトレーニングはドクター・ストップを掛けられていた。それでも毎週末に近くのトレーニングセンターで小1時間・月間伸べ5キロ弱のセンターマシン・ジョギングを続けていた。 月間50キロ弱の週末トレーニングではそもそも42キロの完走は無理で、せめて摩武仁の平和記念館のハーフ地点まででも、と思っていた。

 先週、半年振りに自宅から大宮氷川神社までの往復10キロを1時間ほどロード・ジョギングした結果、「まあまあ行けるかな」と思ったが、翌日から翌々日にかけて、両肩から右頚腕(そう、左から右に痺が移動しています)にかなりの不定愁訴がぶり返し、最終的にマラソン・エントリーはとても無理と判断した。

 大会前日6日の土曜日には社員の結婚式もあり、今回で50歳の時以来12年間続いたフルマラソン出場記録は途絶えた。
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「第18回ナハマラソン・追悼記」

2003年02月19日 | 「マラソン挑戦」
 過去の完走歴に驕り、苦杯をなめた昨年暮れのナハマラソンをお伝えしたが実はこのレースに臨み、「500名の全世界WUBメンバーの栄光のために」とご覧のように「WUB東京」のゼッケンを着けて出場したのです。

 中間地点までに沿道jから「おお!ダブル・ユー・ビー東京、頑張れ!」などとの声援を受けて得意になっていましたが、急速失速「トボトボ」歩き出し完走が怪しくなりだした32キロ過の地点で「これはまずい。WUBの名前を辱め全メンバーに非難されそうだ」と思い始め、路傍によって自らゼッケンを外す羽目になりました。とんだ失態を演じゼッケンを作成して頂いたWUB同僚のメンバーさんに申し訳なかった。

 写真は周りに比べまだ余裕のある25キロ地点で。
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「森林20キロマラソン」

2003年02月11日 | 「マラソン挑戦」
私は平均して月に1度、年12回ぐらいレースに出る。 レースといってもフルマラソンは12月のナハと3月の荒川で後はほとんどハーフマラソンである。

中でも2月11日建国記念日に埼玉県滑川村の国立森林公園内中を走る20キロマラソンは 5月連休中にある恒例の埼玉県庄和町の「大凧ハーフマラソン」と並んで好きなコースだ。 「森林ハーフ」は大学時代の同期の伊藤君と何度か出た。 最も彼はほぼ毎日走っているだけに私より問題にならないほど速い。

当然今年もエントリーしていたが、3週間前から頚椎ヘルニア性左肩腕の痺れと痛みのため出場を断念した。
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「敗北を抱きしめて」

2002年12月01日 | 「マラソン挑戦」
昨日12月1日午前9時、第18回ナハマラソンは県外4000 名を迎え含め20,000人近い参加者がスタートしました。合図は武器であるピストルではなく、琉球国平和のシンボ ルである「万国津梁の鐘」の音でした。

ゼッケンナンバー14000台の私がスタート地点を通過したのは12分後。先頭はすでに安里三叉路を右に曲がって いた。スタート時体調はいつもと変わりなかったものの、中間21キロの平和祈念堂前・第一の足切地点では制限時間の 15分前。正午前すでに気温22度、頭からジャンジャン水を被りつつ走り続ける。

32キロの第二の足切関門・兼城交差点ではすでにスタートから4時間半、体力の限界を感じる。「あと2分!3 分!」の声を聞きながら糸満市内を必死で駆け、西崎橋を渡りようやく間に合ったが、この時点で「これは今年は無理だ な」という思いがよぎる。実はマラソン途中でのこうした弱気は禁物で、この時すでに勝負あったと反省しています。

32キロから足に来てほとんど歩いたようなもので、ゴールしたのは制限時間を20分近くオーバーした6時間20分 台。最後の10キロに2時間かかり、残念ながら10回連続のメダルを逃しました。勝負時の9、10月の無理な日程と練習 不足がたたりました。「練習は裏切らない」と言いますが、日頃の積み重ねがないと如何に本番で頑張ろうと無理だとい うことを改めて思い知りました。

今年の完走率は62%。およそ5000人がリタイヤ。16台の収容バスが動員されたとのこと。ともかくも自力で ゴールしたのがせめてもの意地でした。閉会式のグランドを一人最後一周を死力を振るってジョギングするパフォーマン スに何人かが笑っていた。糞!

例年自分が貰って当り前になっていた琉球ガラスのメダルが何と眩しかったことか。この後、悔しさがジワート来そうです。フルマラソンは私にとって本当に限界への挑戦です。

今夕、浜松町モノレール駅からJRへの乗換えの下り階段で前上脚に凝りと痛みがズーンと来ました。あと数日続くこ の痛み、今年はことさらに響きそうです。この“敗北を抱きしめて“来年また挑戦しようと思います。

皆さんの応援ありがとうございました。
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「横浜マラソン 惨敗」

2002年11月24日 | 「マラソン挑戦」
恒例の12月最初の日曜に行われる ナハマラソンの準備とトレーニングを兼ねて横浜マラソンに出場した。

横浜山下公園をスタート・ゴールとする21キロハーフコースだった。 出場して見て判ったがこのレースはゴール制限時間が1時間55分、 10キロが55分と私にはレベルが高く厳しかった。

10キロ1時間8分で足切りにあった。収容バスの中、全員寂として声も無く、 久方ぶりの敗残兵の気分を味わった。

写真はスタート地点。この時すでに足は重かった。
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「2002年 北軽井沢ハーフ」

2002年07月20日 | 「マラソン挑戦」
ここ10年の私のハーフマラソン記録としては最悪の2時間45分。
このレースは15キロ地点に標高差100mの山道があり、私レベルの走者には真に厳しい。

それに泊まった「バアジニアガーデン」ホテルが1泊12000円の割合には部屋も調理も2度と行きたくないほどに最悪。
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「2001年 那覇マラソン」

2001年12月10日 | 「マラソン挑戦」
 先週(12/02)のナハマラソン、何とか完走できました。

実質タイムは昨年より2分早い5時間57分台でしたが今年のタイム計測担当の(株)OCCさんの不手際で500人近くの完走者がすべて6時間ジャストという妙な結果になりました。

2~3分の違いをお笑いでしょうが、ラスト1~2分を死にものぐるいで走った我々限界ランナーにとっては大問題なのです。

今年はWUB大会もあり例年の半部以下の練習にも拘わらずタイムが良かった理由が分かりません。

まあ、当日のスナップご披露します。
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「那覇出張中のコース」

2000年08月24日 | 「マラソン挑戦」
できる限り出張先にもジョギングシューズとTシャツを持参する。 これは多少の見栄と伊達で、その証拠に3度に2度はそのまま持ち帰る。 それでも3度に1度は走る訳で、今回は那覇出張時のお好みのコース。 定宿のワシントンホテルから泊大橋往復5キロは海上を走っているような気分で最高!
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「Sub5とは・・・」

2000年07月18日 | 「マラソン挑戦」
Sub5とはフルマラソンを4時間台で完走したいという私の目標。

S正直、現状は国内では数少ない制限時間6時間のフルになんとか間に合う状況。というのも週末に10キロジョグ練習というのが私の精一杯。

S今回は自宅の埼玉県与野市の自宅から埼京線に沿って北浦和へ、そこから京浜東北線沿いに中仙道を通って大宮氷川神社・大宮公園。調子の良い時は第2大宮公園までを往復する15キロを1時間30分ほどで走る。

(写真は第11回ナハ・ゴール後故親泊那覇市長より祝福される)
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朝吼夕嘆

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