『当店炊きあげ』

2020-10-16 00:00:02 | あじ
「当店炊きあげ」、という謎の食べ物があらわれた。「炊きあげ」でなく「焚き上げ」と書くと、店が赤字で破産したようなイメージになるが、漢字が違う。

販売しているのは、三大コンビニチェーンの1/10程度であるが4番目のコンビニの「ミニ・ストップ」。その数が少ない上、偏在している店舗網のさらに一部の店で扱っている。ご飯を各店舗で炊くからで、一日3回調理しているようだ。



基本的には、「おにぎり」だが「ミニ弁当」もある。不思議なことに社のホームページにはメニューの記載がない。100円おにぎりには『いつものおにぎり』という変な名前がついている。上級品を出したのに、下級品に「いつも」はまずいだろうと思うが、それはこのコンビニのマーケティングがザルだからだ。


今回は、おにぎり二種(焼きしゃけ、海老天)。158円と188円。一般の工場で作るおにぎりは100円なので、この当店炊きあげは1.5倍以上。といっても2個買うだけなので、味の方が重要だ。実は、前日は、「当店たきあげ ミニ弁 タルタルチキン竜田BM」368円を食べて、感心した。絶品弁当だ。

今まで、個人的なコンビニ4社の弁当ランキングは、7 > F > M > Lであったが、Mが1位になった。

サークルKがファミマに統合されたことで、また弁当の種類が減ってしまって4社になったのだが、毎日コンビニ弁当でランチをしている人もいる。月火水木金と5日間のうち、4社のうちどこかの社が週二回だったはず。これからは、そもそも週に数回だけ出社する人も増えるわけで、弁当戦線はレッドシー状態になるのだろうか。

ミニ・ストップの不思議なところは「QUOカードが使えないこと」。株主優待券としてQUOカードを送ってくる会社が多いので、使わないと溜まってしまうので、どうしても大手三社優先になってしまう。

アパートの鍵貸します(1960年 映画)

2020-10-15 00:00:38 | 映画・演劇・Video
ビリー・ワイルダー監督。ジャック・レモンとシャーリー・マクレーンが主演のラブ・コメディ。原題は『The Apartment』。この『The』が重要だ。特別なアパートの一室。


保険会社の週給サラリーマンのバクスターは給料に見合わぬ立派なアパートに住んでいる。そして、毎日、帰宅時間はちょっと遅い。理由は、同じ保険会社の管理職(日本的に言うと課長)4人に日替わりで自分の部屋を3時間ほど貸している。理由はそれぞれの課長の逢引き場所としてだ。ラブホテル替わりだ。その見返りは、社内での昇格。

4人から管理職昇格を推薦された彼は、部長からの昇進通知を期待していると、ついに部長室へ呼ばれる。そして、今までの課長たちへの部屋貸しのことをすべて知られていることを知る。そしてクビを覚悟した時に、思わぬ提案を受ける。部長にも部屋を貸すように迫られる。見返りは部長補佐の椅子。

1週間は5日しかないのに、これで5人に部屋を貸すことになったのだが、一方、彼はエレベーターガールに恋をしてしまう。

ところが、部長が部屋に連れ込んでいたのは、このエレベーターガールだった。

その後、様々な事件をいくつか続いて、最終的にこの二人は一見幸せそうな関係になるわけだが、冷静に考え直すと、彼らの幸せの陰で不幸になった人たちが多数発生しているわけだ。


これを書きながら調べているとシャーリー・マクレーンの実弟は「明日に向かって撃て」のウォーレン・ベイティ(ビーティ)ということだそうだ。また、ジャック・レモンはハーバード大学の理系学部卒業ということだそうだ。余計な学歴だった。

故事にみる国家指導者の肺炎治療

2020-10-14 00:00:09 | 市民A
トランプ大統領が新型コロナウイルスによる肺炎の治療に「抗体カクテル」を用いて成功したと自負している。日本では元女子ゴルファーの夫が感染したあと、「アビガンで治った」、「抗体があるからマスクは要らない」と威張ったものの共感者は現れない。基本的にずいぶん違う国民のわけだ。

また、大統領は「モノクローム抗体のカクテル」の他、既存の「レムデシビル」と「デキサメトロン」も投与しているので、本当に「抗体カクテル」の効果かどうかは明確ではない。

実は同じような事例が、77年前に起きていた。1943年(1941年説あり)。場所はロンドンだ。

肺炎になったのは、ウィンストン・チャーチル。英国の首相だ。第二次大戦の最中で、まだ戦況は好転せず、必死に耐え忍んでいる状況だった。首相が病に倒れるわけにはいかない。

そこで新薬として登場したばかりの抗生物質ペニシリンを投与したところ、二日で効果が出たということになっている。

もちろん、チャーチルが背負っていたのはイギリスという国家の未来であり過去の歴史でもある。トランプ大統領が背負っているのは、自分の地位の確保ということで、価値が全然違うわけだ。(負けると、檻の中に入れられるのだろうか?)


話がよじれていくのは、ここから。

日本でも、敵米・英の指導者であるチャーチルがペニシリンで回復したという残念な情報が1944年1月に入っていて、同様の研究が始まり、同年末には分離に成功している。しかし、最近、「チャーチルがペニシリンで治ったというのは、朝日新聞の海外特派員の捏造で、実際はサルファ剤で治っただけだ」と言われ始めているらしい。朝日叩きなのだろう。

この部分の真偽だが、新説の方が間違っていると思われる。当該の記事は1944年1月27日の4面「敵米・英最近の医学界(1)チャーチル命拾いズルホン剤を補うペニシリン」という見出しの記事。ズルホン剤はドイツ語で、英語ではサルファ剤。つまりサルファ剤に加えてペニシリンを使ったことが書かれている。今回のトランプの治療と同様の話のわけで、どちらの薬が効いたのかははっきりしないが、少なくとも捏造ではない。(ただし、多くの場合、ペニシリンは肺炎には効果的のわけだ)。

この頃、朝日、毎日、読売の三社は軍にべったり擦り寄って、ビルマ、マレー、インドネシア、フィリピンなどで、それぞれが新聞を独占的に売ろうとして、朝日はジャワでの拡販を保証されていた。政府批判の捏造記事なんかあり得ない状況だった(ゾルゲ事件と関係がある)。(フィリピンは毎日、ビルマは読売、マレー・スマトラ・シンガポールは同盟通信中心で地方紙13紙の連合体。なお同盟通信は、戦後、解体し共同通信、時事通信に分かれた。)

さらに、ペニシリンの効果によりペニシリンの発見者であるアレクサンダー・フレミング氏は1945年にノーベル賞を受賞したのだが、その後、米国でも賞を受賞した時に、米国の財務長官が有名なスピーチを行っている。フレミング教授がチャーチルを二度助けたという話だ。

話は、さらによじれる。

ヴィンソン財務長官が授賞式に明かしたエピソードいうのは、1880年代に英国で起きたこと。チャーチルの家系は英国革命の時に活躍した一族だそうで、貴族だった。英国の田舎に行っていたチャーチル少年が、遊びに熱中して小川に流されたそうで、助けを呼んだそうだ。「ヘルプ・ミー」とかだろうか。「プリーズ」は付けなかっただろう。貴族だから。それを聞いた「農家の少年であるフレミング」は川に飛び込みチャーチルを助けたことがあった、というもの。

実は財務長官の話と言うのもいい加減で、フレミングよりチャーチルの方が7歳年上で、助けることはできないだろう。どうも実際は、フレミングの父親がチャーチルを助け、恩に着たチャーチルの父が謝礼を持って行ったところ、「礼には及ばず」ということであったため、「では、幼少の息子さんにも息子のチャーチルと同じように教育の機会を作りましょう」という提案をして、フレミングはロンドンに行き、医学の研究に向かうことになり、ペニシリンを発見し、チャーチルを救い、ノーベル賞を得ることになったようだ。


ところで、大統領の方だが、「回復を誇らしげに語るために、仮病を使ったのではないか」とまで疑われている。真偽は別にしてみっともない話だ。さらに、大票田で共和党が有利なはずのテキサス州では郵便投票の妨害をするために、郵便投票可能なポストの数を制限するため、ポストの閉鎖を急いでいるらしい。なにしろ、全米で最も投票率が低いらしく、郵便投票が増えると、不利になるからだろう。

吠える その他の詩(アレン・ギンズバーグ 詩集 柴田元幸訳)

2020-10-13 12:00:00 | 書評
『吠える その他の詩』は一般に、『吠える』と略される。1956年に発行され、ギンズバーグは一夜にしてカウンターカルチャーの寵児となった。



1950年代の米国は行き詰まり感が漂っていて、反抗と自由がテーマのこの詩集は、後世の米国、つまり現代の米国の文化の中に生きているわけだ。

日本語訳で50ページ程度の詩集の中の21ページが『吠える』であるが、それが3部に分かれていて、一部は、米国の混迷を示す単語が羅列されていく。二部は、その混迷の理由を示し、三部では向かうべき方向が示される。それがカウンターカルチャーだ。

以前、カウンターカルチャーの本を大量に読んだ時期があった。

それと、日本語訳ではなく英語版を入手すれば良かった。短いし。和訳では蔵書としての価値はゼロだし。

翻訳者の柴田元幸氏の別の訳書を専門サイトで見ているうちに、ついポチ買いしてしまった。

ルビーロウカイガラムシの駆除

2020-10-12 00:00:10 | 市民A
「そよご」という形の定まらない庭木がある。和風の樹木はあまり植えてないのだが、わけがあって植えている。その枝に、びっしりと付着物があり、葉もスス病のように見える。



調べると、「ルビーロウカイガラムシ」というそうだ。日本語で書くと、「ルビー蝋貝殻虫」。ルビー色の蝋でできた貝殻虫ということになる。

卵から孵った幼虫が樹木の栄養を吸い取って、しばらくして樹木にしがみ付くと、体から蝋分がでてきて、気温が下がるにつれ厚く固まっていき、そのシェルターの中で越冬し、6月頃に自分の腹の上に産卵。そして死んでしまう。そしてしばらくして幼虫がはい出してくる。10月の段階は、幼虫が成虫になって越冬準備をすること。この蝋のシェルターはほとんど農薬をブロックしてしまう。天敵は蜂の一種だが、ここにはいない。

もっとも効果的な駆除方法は、軍手をして、直接指でゴシゴシすることだそうだ。樹木の全枝に虫が固まっている。

軍手よりもビニール手袋という歯医者用のようなのがやりやすい。ただ、指先に虫を枝からはがす感触が残るので、夢に見る可能性がある。



約1時間作業したので、虫の数は2000個ぐらいではなかっただろうか。

はがした虫も撮影したが、こちらも相当に気持ち悪い。

伊勢山皇大神宮、横浜市の一之宮かな

2020-10-11 00:00:52 | おさんぽ
桜木町駅から少し離れた丘を登っていくと、比較的わかりにくいところに伊勢山皇大神宮がある。立派な神社なのだが、由緒はそう古いわけではないが、横浜の総鎮守ということだ。鎮守と言うとムラのようなイメージだが、実際はムラだったわけだ。それも漁村。すべてが変わったのは、ペリー提督の脅迫外交からだ。



ここに開港の歴史を書くことはやめておく、それをめぐっては多くの武士が戦って死んだわけだ。開国に反対していた勢力が勝って、大々的に開国してしまったわけだ。ストーリーが難しすぎる。

それで、新しい町の象徴として明治3年(1870年)に横浜の町と港の安全を祈願して政府と県が出費して神社を建てた。今年が150周年になる。結構、人工的な神社なのだが、そもそも横浜の町は突然、外圧によって始まったので、すべてが人工的だ。日本で最初の○○というのがやたらに多い「日本最初のカジノ」に向かって邁進している市長もいる(リコール署名が始まっているが)。

横浜らしいエピソードとしては、この神社の創建時にアイスクリーム(あいすくりん)が配られたそうだ。



ところで、日本国が統一国家になったあと、全国に『国』ができた。おおむね現在の『県』のようなもので、それぞれの国ごとに一社の『一之宮』、『二之宮』、・・・という神社のランキングを与えた。いずれも多くは自然発生的な「地の神」であったはず。

実は、神奈川県について勘違いしている人が大勢いる。

神奈川県=相模国で、東京都=武蔵国。

それで、相模国の一之宮は昔も今も「寒川神社」であるので、「寒川神社こそ、わが土地の神様」と思って初詣にいく人も多い。

実は、相模と武蔵の県境というのは、大きく神奈川県の中に食い込んでいて、横浜市の西の方の戸塚区の中の方なのだ。したがって人口の多い川崎市の全部と横浜市の大部分は武蔵国だったわけだ。

では、武蔵国の一之宮はどこかというと、また複雑で、三社が「われこそは武蔵国一之宮である」と標榜している。

聖蹟桜ヶ丘にある『小野神社』、府中にある『大國魂神社』、埼玉県にある『氷川神社』。埼玉も武蔵の国だったわけだ。

実際には元々の一之宮は『小野神社』だったそうだ。ずいぶんと小さい村の鎮守といった感じだそうだ。昔のままなのだろう。氷川神社のような大神社に抜かれたそうだ。もっとも江戸市内の住人は江戸時代に他所から移り住んだ武士や町人で百姓のように土地そのものが余剰生産物を作りだす源泉と言うことではなく、たんに消費生活者だったので、神田明神とか山王神社といった町の神社を愛好したのだろう。

さらに言うと、『小野神社』は、東京都といっても多摩川を渡って西側。つまり神奈川県みたいな場所なのだ。



ということで横浜の住民が、寒川神社に行こうが伊勢山皇大神宮に行こうが、小野神社に行こうが、その他どこに行こうが、おかしいこともないのだが、行ったら100円でも賽銭箱に投入した方がいいだろう。

伊勢山皇大神宮の賽銭箱にはコインではなく、かなりの「札」が投入されているのが、外からも見えるようになっていて、お賽銭相場が把握できるようになっていて、便利なのだが、余計なお世話ともいえる。

タイトル戦ドミノの目が残った将棋王座戦

2020-10-10 00:00:47 | しょうぎ
10月6日、王座戦第四局、永瀬王座に挑んだ久保挑戦者が勝ち、五番勝負の行方は最終局に懸ることになった。圧倒的に優位だった永瀬王座が最終盤でひるんだところに寝技が入り、200手を超える一局になり逆転。

4タイトル戦連続で挑戦者がタイトルを奪取している「タイトル戦ドミノ」が終わるかと思ったが、まだ目が残っている。両者の棋風が「勝つ手より負けない手」を好むことで一致しているようで、簡単には終わらないだろう。

 棋聖戦 渡辺→藤井
 名人戦 豊島→渡辺
 王位戦 木村→藤井
 叡王戦 永瀬→豊島


さて、9月26日出題作の解答。





簡単に言うと、飛車のいる場所に6七の角を移動させるということ。

動く将棋盤は、こちら。(flash版、edgeは不可)

gif版はこちら。


今週の問題



目を凝らして考えようということだ。

わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

卒業(1967年 映画)

2020-10-09 00:00:00 | 映画・演劇・Video
ニュー・シネマでは有名な映画で、公開されてから53年も経っている。この頃の映画が、最近になってリマスターされている。4K化にあまり意味はないが。



記憶力の問題だろうが、いつ観たかも定かではないが、部分的には思い出すが、全体の粗筋は忘れてしまっていたし、他の映画の記憶と混濁している。しょうがない。

落ち着いて考えて調べ直すと、監督のマイク・ニコルズはこれが監督として2本目。前年の1作目『バージニア・ウルフなんて怖くない』で、いきなりアカデミー賞の監督賞にノミネートされた売り出し中。主演のダスティン・ホフマンは事実上のデビュー作、キャサリン・ロスは2本目、音楽で使われたのは1年前に初ヒットを出したサイモン&ガーファンクル。

そういった、「ここからすべてが始まった」映画ということになる。

現代の常識から考えると、主演のベン(演:ダスティン・ホフマン)が、東部の有名大学を卒業し、西部のパサデナに戻ってきて、プールのある自宅で大パーティがあって、卒業祝いがアルファロメオというのも米国人にしか共感が得られないだろうし、パーティを機に父親の友人の人妻と不倫を始めながら、次第にその娘(演:キャサリン・ロス)に惹かれて結婚しようと思いつき、ストーカー行為をはじめたり、その娘も産婦人科医のバカ息子と二股交際を始めたりするのだから、「青春映画」というより「コミカル映画」に分類されるのだろう。

結婚式での花嫁誘拐事件というのが、衝撃的シーンで、その中でキリスト教の象徴である十字架を使って追っ手から逃れるシーンがあって、反キリスト教感をまき散らすが、監督も主演男優も音楽グループも欧州から逃げてきたユダヤ系なので、そういうものかもしれない。

最後のシーンは、逃げ出すときに乗ったバスの中の二人なのだが、最後に不安な表情をチラッとみせたあと完結する。この不安は、「逃亡した後に起こる厄介なことに対する不安感」ということになっているが、個人的には、この作品にかけた監督や主演男優や主演女優や楽曲提供者が、今後の自分たちの運命を決定する『この映画の客入り』を心から心配しているということではないだろうか。

一才柚子に結実が

2020-10-08 00:00:22 | あじ
二年前に鉢植えから、地面におろした一才柚子だが、昨年ははじめて一個だけ結実。

一才柚子というのは一年間隔で結実する種類だそうで、毎年結実するほどの体力がなく、途中で実が落ちるといわれる。今年は六輪の花が咲いたのだが、ということで期待しないうちに大きくなっていた。全体で五個の実が大きくなっている。



ところが、ネットで調べると、この一才柚子だが、熟すと緑色から黄色になるようだ。驚くことはなく、柑橘類の多くが緑から黄色になってしばらくすると食べごろになる。柚子も緑のまま絞ったり、冬至の頃に風呂に浮かべたりするのは黄色なのだが、そういえば昨年の一個は緑のまま要観察したのだが、色が変わるそぶりがなかったので、もいでしまったのだが、気が早すぎたのかもしれない。

ただ、一才柚子の特徴である結実する年と落実する年が交互にくるという法則通り、油断すると実が落ちてしまうかもしれない。

実は、その前に、この木が「一才柚子」であるという記憶だが、あまりはっきりしないのである。

掃部山公園の主は

2020-10-07 00:00:41 | 歴史
横浜の桜木町駅から海とは逆の方に進むと野毛地区があって、にぎわい座とか野毛山動物園とか市の中央図書館などがあるのだが、それより東京寄りにも低い丘があり、そこには自然を生かした公園があって、かなり大きな銅像が立っている。


公園の名は『掃部山公園(かもんやまこうえん)』。銅像の主は、井伊直弼。そう、歴史上の大人物である。なんといっても、江戸時代を通して制限していた外国との交易を認めた(開国)。そして、反対派を粛正していった(安政の大獄)。

そして、あろうことか徳川家の一員であるはずの水戸藩士によって、江戸の真ん中で暗殺された(桜田門外の変)。


幕府の大老であったことから、明治以降は、評判が最低になり、戦後の、アメリカナイズの中で再評価されるかといえば、そんなこともない。考えてみれば、井伊直弼がいなければ、幕府も朝廷も薩長もこぞって攘夷論者だったので、英米仏連合軍が江戸京都大坂の三都市を占領していたかもしれない。日本はなくなっていたかもしれない。

一方、横浜という町は、日本の開港地になったことで、漁村から外国人街になり、疎開地のような関内地区ができあがり、江戸改め東京で仕事をする外国人が横浜から通勤できるように鉄道が敷かれた。すべては井伊直弼さまのお陰なのだ。

井伊直弼は大老であったため、畏れ多くて周りは名前で呼ぶわけにはいかず、名誉職である井伊掃部守の役職部分の「かもんのかみどの」と呼んでいた。桜田門外の変のあとの川柳では、「井伊掃部(いいかも)と雪の寒さに首をしめ」と掃部を鴨と呼ばせている。

明治時代に旧井伊藩士が私財でこの山を買い、井伊家に寄贈したが、井伊家は後年横浜市に寄贈。開国50年の時に初代の銅像が立つが、その後、大戦中の金属供出により溶かされてしまう。1954年の開国百年の年に、この像が再び建てられて、以後、横浜の中心部を見下ろしている。

公園は、雑草が生え茂っていて、まるで「夏草や、つわものどもが夢の跡」状態だ。


公園からはランドマークが良く見える絶景の場所の一つだ。

井伊直弼は政治家としての評価が問題になるのだが、もう一つの顔が茶道および茶菓子。江戸を代表する大茶会を開催していた。茶会の華は、道具であり、また茶菓子である。江戸の多くの菓子店は、井伊家の大茶会に茶菓子を出品できるかどうかが大問題で、日夜新製品の開発に勤しんでいて、それが日本の和菓子文化を育てることに繋がったというのが定説である。

マイナポイントに苦戦の図

2020-10-05 00:00:47 | 市民A
マイナンバーカードを普及させようという下心から、コロナに乗じて補助金をつけようと、見えるのだが、本来は既にカード取得者には補助金を払わず、新規取得者だけに優遇したいはずだが、マーケティングの中でも最も難しい問題だ。DMでノベリティを付けて誘客する際も、長く来てない客ほど高額の景品を渡したりするのだが、常連客にばれると面倒なことになる。ゴルフ場のばら撒く割引券を使うと、会員権を買ってもらった会員様の料金より安かったりして大騒ぎになる。

マイナポイントだって、既存のカード取得者にとっては、ただのサービス。新規の取得者がいなければ、政策の失敗と言うことになるだろう。

それで、既にカード取得者だったので、補助金貰ったら申し訳ないような気がしていたが、街角から現れた制服姿の二人組に無理筋の難題をふっかけられ、9000円を取られたので、少しはとりかえすべく、補助金略奪に参戦した。

そもそも、簡単だと思っていたのだが、

調べていてわかったのは、パソコンではマイナンバーカードの読み取りがないため、完結しないこと。そうなるとスマホかセブン銀行等になるのだが、あいにくスマホには栃木産の皮のケースが、がっちりはまっている。取り外すのは大変だし、ケースが壊れる可能性がある。

まず、スマホでカバーを付けたままやってみることにする。ダメならそこで考える。

ところが、当初の計画では、GOTOトラベルを旅行会社で予約して、その代金をクレジット払いにして、その代金から補助金を引いてもらえばいい、という計画だった。

よく使うのはJCBとVISAなので、マイナポイント対象一覧表を探すと、掲載されていない。クレジットでは有名なのはM井S友カードだけで、それでもいいかと思ってM井S友カードのサイトで調べると、ポイントを現金として使う場合はポイント×0.6になると書かれている。つまり20000円を使うと5000ポイントになるが、現金としてクレジットの請求書から差し引く場合は3000円分になるということ。2000円はどこに消えるのか??

PayPayでもいいのだが、使える店が減少しているし、イオン銀行からのチャージがなぜか停止になったため事実上ほぼ使えなくなっている。

ということで、調べ直しになり、イオンクレジットカードかnanacoなら、さらに2000ポイントの上乗せがあり、GOTOトラベル料金を支払うにはnanacoでは無理なので、イオンクレジットを選ぶことにしたのだが、これがまた認証が難しく、本人のスマホ宛にワンタイムパスワードが送られたり、相当行き詰まっていく。そしてイオンの認証が終わってからマイナンバーカードの認証を始める。こちらは、4桁の暗証番号が必要。なんとか作業終了する。

そして、マイナポイントは予算に限度があり、財源に到達すると終了ということで、ただちに、イオンクレジット(マスター)でオンライン決済をしようとするが、最終段階でイオンのカードが拒否された。どうも3D認証というのがあって、それをクリアしないと使えないカードになっている。JCB、VISA、MASTER、AMEXの4種は3D認証しておかないと海外のホテルに泊まれないと脅迫的に書かれている。

で、それも難しい作業を続けているうちに、突然認証終了となる。そして、ついに目的が達成することになった。

作業達成までに最も必要なことは、根性だろうか。

ラブ・ソングが聴こえる部屋(川西蘭著 小説)

2020-10-05 00:00:17 | 書評
短編集である。『マイ・シュガー・ベイブ』『チープ・スリル』『ジェラス・ガイ』『マイ・ラスト・アフェア』の四作。


lovesong


文庫本のカバーの裏側に書かれた解説は、


===ぼくたちの愛は、とても素敵なハーモニーだった。豊かな情感とはじけるような青春の中に、あなたへの限りない愛と、ぼくへの確かな信頼があった・・・。===


軽快な会話で知と愛をやさしく奏でる4つの恋愛楽章。



となっている。裏カバーに本の粗筋を書くはずはないので、これだけでは何もわからないのだが、小説から引用した二行だけでも感じるのは、「村上春樹の表現に似ている」こと。


実際、4作とも、村上春樹的な感じが50%くらいある。ただ、あいまいで不可思議な男女の関係を、少し突き詰めようとするのが川西蘭的方針で、男女がたがいに理解できない部分に突き当たると、結論に進まずに、都合よく片方がいなくなったりするのが村上春樹なのかもしれない。(最終の『マイ・ラスト・アフェア』では、古来より不自由な愛の終着点として選ばれる方法の中でも、吹き出す赤い液体量が半端ない行為に至るわけだが、思いとどまった方がよかったように思う)


本作が発表されたのは1985年から86年であり、村上春樹が短編を書きまくっていたのは80年台前半でよく符合する。


その頃は人間関係というのは複雑ではなかったのだなあ、と小説を読んで、いちいち考えたりすることが多かった。インターネットやコロナとか、われわれは、どこに向かっていくのだろうか。


そういえばノーベル文学賞の季節だ。私立大学の星の今年は・・


小説とはまったく関係ないが、


川西蘭氏の経歴が書かれていて今年60歳。思い当たることがあって(実際には思い違いだった)、現在位置を調べたのだが、各種検索でも山形県の東北工芸大学教授ということになっているが、大学のHPの教員紹介には名前が記載されていなかった。1時間ほど格闘した結果、東京の有明にある武蔵野大学の教授に就任されている。もちろん創作を担当している。有明も武蔵野の一部なのだろうかと思ったが(元々、海だし)、田無の浄水場の近くにあった大学が移転しているようだ。武蔵大学という大学もあり紛らわしかっただろう。


再生の空間(地主麻衣子/山口啓介・横浜市民ギャラリー)

2020-10-04 00:00:08 | 美術館・博物館・工芸品
横浜の美術館もトリエンナーレとともに動き出している。その中でも野毛の市民ギャラリーで開催中(~10/11)の『今日の作家展』。いわれは1964年から40年間開かれていた同展が2016年より復活。そして5年目の今年がコロナの影響を受けた。


建物は、地下一階、地上4階の5層なのだが、本展は1F(地主麻衣子氏)とB1(山口啓介氏)の二人展になっていて、他の階はお休みになっている。もったいないが色々と都合があったのだろう。

さて、地主さんと山口さんだが、各種パンフの中に両者の写真があった。


地主さんは1984年生まれ。珍しい苗字に記憶があるので、どこかで作品に触れているような気がする。

本人は、そう思っていないかもしれないが『メキシコシティの探偵』というビデオインスタレーション、とても良い。探偵と言っても殺人事件の捜査をして、犯人を追い詰めたりはしない。メキシコシティの中の様々な男女のカップルを隠し撮りすることにより、特に女性の視点で様々な年代の男女の出会いと別れをテーマにしている。地主さんがこの作品の題材としたのが、2003年に50歳でなくなったチリ人(メキシコ在住)作家ロベルト・ボラーニョの『電動まぶたの世代』という詩だそうだ。


山口さんは1962年生まれ。世に出たのが大型の銅版画だったので、版画家と思われているが、絵画もあれば立体もあるそうだ。本展出品の一作が『地球・爆』第10番より「黒い涙」。蛸は氏の中心的造形だが、本作では鮑を腕で握りつぶしている。

他の作品にも共通だが、常人には及びもつかないような絵画である。

会場は桜木町駅からみなとみらいとは逆方向の野毛坂の方向で、伊勢山皇大神宮の向かい側にある。坂を上るのが苦しい方には、送迎車が待機している。

双玉詰将棋がなぜ邪道感なのか

2020-10-03 00:00:01 | しょうぎ
少し前から『双玉詰将棋』のことを考えていた。『双玉』とは二枚の玉将のことで、敵と味方の両方の王様が使われることを指す。といっても、玉が二枚じゃなくて玉将と王将のわけだから『玉王詰将棋』が本当のはずだが、といっても最近は平等主義が行き届いていて玉将が二枚の『双玉駒』もあるらしい。

江戸時代の詰将棋は二世名人大橋宗古によって、打歩詰が確立したことにより隆盛を極め、『詰物』と呼ばれていたのだが、おそらく双玉詰将棋はなかったはず。明治以降も、大道詰将棋という怪しい世界の中に蠢いていたわけだが、表に出てきたのは昭和の前半のはずだ。

江戸時代は家元制度という封建制度があって、「革新」はご法度だったのだろうが、明治以降にすぐに隆盛になったわけでもないし、現代でも『双玉は邪道』と思っている人も多いだろう。

チェスの世界では、プロブレムやチェックメイト問題でもほとんど双玉(キング白黒2枚)だ。これは実戦の延長にあるのと、そもそも駒が少ないのでキングが活躍しないと様にならないということもあるだろう。



日本将棋でも、双玉詰将棋と言うのは、現実に起こりうる(あくまでも形式上)形のわけで王が一枚の普通の詰将棋より馴染みやすいはず。ではなぜ邪道なのだろう。

あれこれ考え抜いた末にだどりついた思考の終着点だが、逆説的ではあるが『双玉は実戦的だから』ではないだろうか。本来、詰将棋は攻める側が一方的に王手を組み立てるようになっていて、途中で反撃を食らったりするはずはないはず。勝負で言えば、「詰みは勝ち、不詰みは引分け」のはずが、「不詰みの中でも負けがある」という感じが嫌なのだろう。


さて、9月19日出題作の解答。





途中で打った歩が邪魔駒になる図。

動く将棋盤は、こちら。(flash版、edgeは不可)


gif版はこちら。
1003g


今週の問題も入玉図。入玉図も邪道感があるが、本来は入玉こそ詰ましにくく詰ませた時の達成感が大きいのだが、多くの将棋指しは入玉された嫌な経験があるのだろう。



ヒント:結局、追い返す。

わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

アルゲリッチ 私こそ、音楽!(2012年 映画)

2020-10-02 00:00:15 | 映画・演劇・Video
数ヶ月前にNHKのBSプレミアムで放送された映画を今ごろ観る。現在、世界で最も高名なピアニストのマルタ・アルゲリッチ(Martha Argerich)の人生を映画監督の娘、ステファニー・アルゲリッチが撮っている。


冒頭のシーンが出産シーン。困惑するのは、この映画の構造が明らかになる前の出産なので、生まれたのがピアニストなのか映画監督なのか、映画監督のこどもなのかよくわからない。後で振り返ってもよくわからない。要するに映画監督の眼でアルゼンチン生まれのピアニストを中心とした一族のことを映しているということが徐々にわかってくる。

そして、女系家族のようだ。映画の構造上、家族の構造が先に明らかになるのは父親のこと。こちらもピアニストだが、こどもの頃、離婚している。父親には3人の妻(もちろん同時じゃない)がいて4人のこどもがいる。一方、母親にもたぶん3人のそれぞれ異なる夫や愛人の子がいて、一番上の娘の存在は長い間秘密にされていた。2番目の相手の男がシャルル・デュトア。彼は子連れ結婚だった。(しかし、チョン・キョンハと浮気をしたのが発覚して日本公演に向かう途中の機内で夫婦ケンカになり、入国せず、そのままUターン。( )内は映画には登場しない)

ピアニストの方に戻ると、母親はウクライナ出身のユダヤ系の亡命者。教育ママで大統領に頼んでウィーンの音楽学校に娘を入れ、16歳から活躍させる。常にサングラスをかけ目を見せないようにしていたそうでミステリアスだ。

ピアニストは、20歳頃、憧れのホロヴィッツの顔をみたくてニューヨークで彼の家の近くに住むことにしたが、実際には会えなかった。(注:その頃のホロヴィッツは58歳だったが40代後半から12年間の長い休眠状態を続けていた。ホロヴィッツもユダヤ系でウクライナから米国に逃れている。母の母国の英雄だったのだろう)


音楽のことを書くべきだろう。アルゲリッチ(母)のピアノは、かなり思い入れのある弾き方で、好き嫌いがわかれる(と思う)。ミステリアスに弾いて観客に判断をゆだねるのではなく、「わたし流のショパン」というような思いが極めて強い。映画の中の本人の音楽論や経歴から言って、「世界最高のピアニスト」を目指したのだろうと感じる。

また、本人は、シューマンを弾くことが最高の幸せと言っている。シューベルトには批判的な感じだ。なぜベートーベンやモーツアルトやショパンではなくシューマンかというと、最も感情を移入しやすいからだそうだが、その感覚はよくわかる。

書き忘れていたが、この映画には、アルゲリッチ一族やデュトアなどが登場するが、全員が役者ではなく本人である。(冒頭の出産シーンが誰なのかはわからない)

最後に、日本公演の映像が流れるのだが、日本を代表するシーンが、新幹線の中で箸で駅弁を食べながら富士山を観るというのは、「ちょっと違うな」と思わざるを得ない。毎度ながらの日本人観だ。