カメラは骨董品になるのだろうか

2006-10-12 00:00:01 | 美術館・博物館・工芸品
27c9bec6.jpg日本カメラ博物館というのがある。現在は、東京メトロ半蔵門駅から徒歩5分ほどのところにあるが、以前は別のところにあったような記憶がある。写真家、木之下晃氏の「日本の演奏家」という写真展が隣接するJCII PHOTO SALONで開かれているので(~10月29日)合わせて拝見。

27c9bec6.jpgまず、演奏家の写真展だが、よく撮影許可が出るものだと思ってしまう。要するにコンサート本番の指揮者やピアニストをフォーカスしているのだが、まず演奏中の被写体は、それぞれ自分の行為に没入している。カメラのことなど忘れてしまう。汗が飛び、顔がゆがみ、そろって苦しそうだ。モーツアルト弾きで有名な内田光子さんも絞殺犯に絞められ始めたような表情で鍵盤と闘う。指揮者たちは、神の降誕のように、あるいは地獄の門前で悪魔と戦う革命家のように表情の限界に挑む。(もっともオーケストラは集団事業なので、恍惚と自己陶酔に浸っていいのは、指揮者とソリストだけなのだが)

たぶん、前もって木之下氏が「写していいかな」と口説くと、「撮影だけならいいよ」と気軽に答えてしまって、後悔している方々も(特に女性)多いのではないだろうか。ただ、あまり写真家のご機嫌を損ねると、CDジャケットで実物より美人に写してもらえなくなるのも困るしとか、色々と頭の中で相殺計算をするのだろうか・・

そして、隣の建物がカメラ博物館。常設の歴史的カメラの傍らで、富士フィルムの特集をしていた。すでに光学カメラから撤退。もともとフィルムとカメラの二本建て経営だったのに、デジカメ時代にはフィルム事業は苦しすぎる。かといって、デジカメの世界は競争過激。前途多難だ。

27c9bec6.jpgそして、光学カメラというのは、今後、どういう運命になっていくのだろうか。よくわからない。少なくとも各家庭には何台かの光学カメラはあるのだろうが、その多くは電池でフォーカスを合わせるようになっているはず。そのまま使われないままだといつのまにか電池切れとなり、10年後にはただの「資源分類困難な一般ゴミ」となってしまう可能性は高い。

もちろん、アナログとデジタルという対立軸で考えると、「デジタル腕時計」というアナログに負けた製品もあるので、生き残りのチャンスも残っているのかもしれない。
  


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