赤い靴を追いかけて(3)

2006-06-14 00:00:25 | 赤い靴を追いかけて
 
本文
439cebed.jpg「赤い靴はいてた女の子」2

”人生はあざなえる縄の如し”とは、古い格言であるが、きみちゃんの物語は北海道へ移っていく。

函館で集まる三本の糸(鈴木志郎)
まず、鈴木志郎のこと。菊地記者は相当の調査を行っているのだが、実際に彼ときみちゃんには接点以上のものはなかったのだ。前半生については少し簡略に書く。彼は青森県鯵ヶ沢出身である。父は船大工で次男であった。ようするに、将来はどこかに出て行かなければならないのだが、そう簡単ではない。ゴロゴロしているうちに、青森と函館の間で賭場の仕切りの子分などやっているうちに追い出される。一方、鯵ヶ沢で知り合った神父さんのつてで、札幌の教会のコックの仕事を得て、働いていたのだが、いつの間に辞めている(その時に将来のきみちゃんの養父にニヤミスしているのだが未来は誰にもわからない)。また、その頃、日本国内で急激に支持者を増やしている平民社(社会主義活動)の影響を受けている。そして、再び、北海道函館にわたり、再出発をめざしていた。


函館で集まる三本の糸(かよ と きみ)
そして、そこへ現れたのが、岩崎かよときみの母子である。9月に出産したばかりのかよは、冬が明けるのを待ち、故郷を後にする。地元では母子家庭には社会的差別があったのだろう。新天地は、北海道であった。函館で約1年を過ごすうちに、鈴木志郎と知り合う。そして、交際がはじまっていき、志郎は二つの決断をする。一つは、かよと結婚したいということ。おそらくは、子連れ結婚でもと思ったのだろう。現代のように長寿時代ではなく、あちこちに片親はいたはずで、子連れ結婚自体は珍しくなかったと思う。そして、もう一つの決断は、函館を離れ、洞爺湖に近い留寿都村に開かれようとしていた「平民農場」に夫婦で参加しようということだった。

函館で集まる三本の糸(佐野安吉)
そして、かよと志郎にとっての運命とは別の運命がきみちゃんに始まる。実父である佐野安吉が函館に現れたのだ。

菊地記者もこの時、安吉が函館にいた理由はつかんでいないようだ。北海道の刑務所から出所したのかもしれないが、仮に収監されていたとすれば、それほど短期で出所したはずもないだろうから、やはり、かよときみのことが気がかりであったのかもしれない。また、この頃の安吉の行動の背景には、別の人物が関係していたのである。原胤昭という人物である。刑務官であり、クリスチャン。受刑者の更生に力を注いだ人物として、有名である。そして、佐野は函館でかよと志郎が、厳しい開拓者生活を始めようとしていることを知る。そして、きみちゃんの行く末も案じた上、ある策をはかる。

きみちゃんを外人牧師夫妻の養女に出そうということだ。

かよさんは、安吉からの養女案、来るべき厳冬の開墾生活、そしてこどもへの愛情との三面板ばさみのすえ、安吉にこどもを預け、鈴木かよとして留寿都村に向かったのである。

きみちゃんはこの段階で、岩崎きみから、佐野きみと名前が変わる。


開拓地での悲惨と脱出
留寿都村の平民農場は、結局は自然に立ち向かうには人力だけでは限界がある、ということを示すことになる。かよは故郷で一人で小作を続ける辰蔵を共同農場に呼ぶが、全国有数の温暖地である日本平育ちでは、わずか1年も経たず病死してしまう(岩崎家断絶)。さらに不作が続き、経営困難になる。そしてかよは自らの第二子を妊娠。ついに、鈴木夫婦はギブアップ。農場を退去し、札幌に行く。


「赤い靴」と野口雨情
志郎は、若干の文才があったのだろうが、新聞社に口を見つける。札幌第三位とは言え、発行部数わずか900の北鳴新報である。社長が東京方面で革新系とつきあいがあったようで、この新聞社に本州から流れてきた野口雨情とその後、石川啄木が加わる(注:啄木は北門新報だったという説もある)。その時、雨情夫妻と鈴木夫妻は一つの家を共同でシェアリングして借りていた。

のちに志郎、雨情、啄木はそろって小樽新報に移籍するが、結局、仲違いをし、それぞれの道を歩む。啄木は明治45年に早世。彼の残した刺繍「悲しき玩具」に登場する一節、「名はなんと言ひけむ。/姓は鈴木なりき。/今はどうして何処にゐるらむ。」は鈴木志郎夫妻のことだ。雨情はその後、童謡を綴る。大正10年に書いたのが「赤い靴」である。

(北海道の全紙は戦時中に強制的に北海道新聞一紙に集約された)


鈴木家のその後
そして、鈴木一家だが、大正2年に岡そのさんを出産。郵便局員を経て、室蘭の製鉄所に勤めるが、不況で解雇される。そして大正12年に樺太へ渡る。皮肉なことにカトリックの宣教師としてである。岡そのさんの記憶では、樺太時代、大正14年秋になぜか安吉が現れ、そこが彼の死地となったそうだ。その後、一家は国内に帰還。かよ昭和23年没。志郎は昭和28年没。


だが、菊地記者の調査は、この段階で大きな壁にぶつかる。きみちゃんの行方に近づけないのである。

続く


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